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私たちは、生が私たちの始まりであり、死が終わりであると考えている。神
学者と形而上学者は、人類の記憶が遡ることが出来る限りは、それを議論し、
反論もしてきた。従って彼らに「その通り」とか「それは違う」と私たちは
言えるだろうか。しかし耳障りな騒音や声が遠くの彼方に静まり始めたとき、
また、夜の静寂な時間が幾重にも幾重にも私たちを包んだとき、その時にあ
の不思議とも言える崇高な感覚が訪れる、そして静かに聴き続けていると、
それは「我が子よ、彼らが何を考え、何を言うかは、あまり重要ではない。
私は君の味方であり、君を落胆させることはない。そうしたければ死に対し
て微笑みかけなさい、あるいは恐れるがよい----しかし私はいつも君のそばに
いる」と語りかけてくる。
Source: The Notebooks of Paul Brunton





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