最新30日

The 30 latest published notes
修行者が自身を浄化し、成長させる範囲に従い、秀逸なる直観を受ける資格
が出来る。5.6.1.2015 4 2021精神は固有の欠点や限界から、また自身の感情や自己中心主義、そして所有
欲によって真理を知るのを制限している。哲学的訓練は、これらの弱点を除
去することを目的と設定している…3.2.1.3, 巻14 4 2021自身は聖なる教えとして大切にしているが、他人はそれを間違いなく馬鹿に
している信仰について他人と会話をするのは愚かである。5.6.5.31013 4 2021それは文字通り自身の小さな自我から脱出し、「内なる神」へと解放される
道である。14.22.6.28112 4 2021修行者は、喫緊の義務は自己浄化であり、自己訓練であることをいつも思い
出さなくてはならない。修行において、性格を改善することは、信仰を磨
き、瞑想に励むことと同様に、時にはそれ以上に重要である、何故ならそう
することによって、自我を鎮めることになるからであり、その努力がないと
きには、それらの修行に効果が現れない。5.6.1.1111 4 2021目的を目指し、真理を求める姿勢が初期の段階では目覚ましくとも、それが
後期には障害となる。15.23.1.12310 4 2021修行者が不満となる、霊的にうまくいかないということは、神秘修行の通常
の現象である。それはいろいろな原因で起こり得るが、やがて消え去り、良
い結果が齎されることを疑ってはならない。3.2.9.419 4 2021修行者は「内なる神」との意識の関係性を元に戻さなければならない、潜在
意識は失われるということは絶対にない。2.1.1.1108 4 2021個人の自我があるということが、意識を消失すると想像してはならない—む
しろその反対である。意識を消失よりも増加させている、何故なら修行者
は、宇宙生命の全体に触れ、その自由さを感じるからである。彼は、「私は
内なる神に従属しており、その一点でもある甲乙である」と考えるが、以前
は「私は甲乙である」としか考えなかったからである。14.22.3.3987 4 2021ある意味では、霊的問題について熟考する全ての試みは、直観を目覚めさせ
る試みである。何故なら、思考力が静まり、直観が起こり得る深い静謐の状
態に意識が入り込み始めたときのみ、成功が齎されるからである。4.4.4.386 4 2021私たちを物理的身体に入れ、またはそこで終結させる法則は宇宙の法則であ
る。そこには些細な間違えも起こり得ない。6.9.2.1615 4 2021悟りへの告知はある修行者には生涯で一度か二度訪れるのに対して、他の人
に対しては20回も続けられることがある。14.22.6.494 4 2021迷信から人を解放してくれる同様の教育が、人間としての本当の深部を理解
する微妙な知識に気付かず、精神が、自身を身体の一部であると誤解してし
まう欠陥となることもある。5.7.6.823 4 2021… 人間は現在のレベルを超越するために、人間としての機能を使うことが出
来る…16.26.4.46, 巻2 4 2021自我を絶え間なく攻めることによって、自我を弱めることはあり得るが、そ
れが消失してしまうことはない。何故なら闘う人は誰なのか。それは自我自
身なのである。それは明らかにより強固な側面を暫時弱める戦略に甘んじる
ことはあっても、自らを死に追い込む意志は持っていない。6.8.4.4371 4 2021個人の人生体験のパノラマを見えない背景として「内なる神」に開き続ける
信仰は、様々な出来事に適切な展開を私たちに与え、困難な病気などにも最
終的治癒を与えてくれる。15.23.6.24831 3 2021多くの動物の無力さを利用した、人類の恐ろしい武器や、冷酷な罠、または
強力な仕掛けは、罪である。人生を測るカルマは、それに対して、適切な報
いを読み取るであろう。これらの動物に対する通常の残酷さも罪悪である
が、生体解剖による科学的残酷さはさらに過酷な罪である。5.6.7.930 3 2021「内なる神」との神秘的交流を求め、その隠れた姿を拝する荘厳さを求める
者は、この修行を自身が選択した道としなければならない。14.22.5.1129 3 2021鍵となる言葉は尊崇の想いである。その想いは、全ての観想や瞑想に込めら
れていなければならない。12.18.1.3528 3 2021万一、「内なる神」の実現に喜びが無いとしても、そうする価値は十分にあ
る、何故ならそうすることによって他の多くの宝物が備わっているからであ
る。しかし、そこには喜びも存在し、いつも必ずそこに存在している。15.24.4.11727 3 2021… 修行者が希望出来る全ての事は自我の働きを弱め、自我自体の勢いを弱め
る事である、しかし、自我の力を完全に離れる事は自身の能力の限界を超え
る。故に、自己以外の力を呼び寄せなければならない。修行者にとってかか
る力で利用できるものがある… それが恩寵である…6.8.4.424, 巻26 3 2021楽しかった、または不安だった過去について、自我はさらに誘惑して騙す。
楽しい、または不安な未来への予測は同じように作用する。しかし、その二
つの考え方を放棄し、永遠の「今」に生きることによって、自我を弱めるこ
とが出来る。13.19.4.19125 3 2021神学の言葉では「長期修行」は悔恨 を意味し、「短期修行」は、「内なる
神」への信仰を意味する。15.23.5.13024 3 2021彼がこの地球上に生存していたという自覚は、その痛ましく、混乱する人生
を、それ以外では全く無秩序に見えるものを、少しは耐えられるものにし、
多少とも意味のあるものにしてくれた。何故なら、彼の高位の境涯への発展
は、何らかの進化があったこと、またその人生の背後には目標と目的があっ
たことを、 私たちに思い出させ、いやそれどころか、確信させたのである…16.25.4.71, 巻23 3 2021死と、そして身体から脱するという甚大な出来事は、修行者の修行を妨害す
ることはない。6.9.1.10622 3 2021日々の活動に追われる中で神性が完全に忘れ去られてしまうと、否定的なこ
と、愚かなこと、自己に対しての自信の無さが容易に思い出されてしまう。3.3.2.5521 3 2021聖なる力が自身の内部にあることを知り、そう感じている修行者は、不安や
懸念から文字通り自由になるであろう。この段階までは至っていないが、そ
の道を進んでいる人は、その力の存在を固く信じることによってこの段階と
同様の結果に近付くことが出来る。しかし、そのような修行者は、本当にそ
のような信仰を持ち、そのように発言するだけではならない。修行者がその
ような信仰を持っているという証拠は、彼が否定的思考、不安な思考や意気
消沈した思考を拒否する範囲に示される…13.20.3.97, 巻20 3 2021「長期修行」の修行者は、自身の低位の感情を抑え、高位の感情を養うこと
に努める。しかし、この全ての修行で、一人で自身を見つめ、自我を清純に
し、それを向上させるように努めるが、さらに自身の自我を鎮める。3.2.1.19119 3 2021普遍的法則と形而上的真理は感情を鍛え、思考を高める。この学習は自らを
放棄させ、小さな自我に背を向けさせてくれ、自身の「内なる神」を発見す
る道を明確にするために支援してくれる。5.7.7.17518 3 2021全ての事物に対しての「聖なる源泉」に近付いた人は誰でも、その「力」の
オーラに触れ、その「光」を認識する。14.22.4.15617 3 2021一日を心に愛を込め、神経には平和を与え、精神には真理を思って始めたと
き、あなたはそれらの到来に寄与するだけではなく、それは、あなたの家
族、または友人、そして運命が引き合わせる全ての人々に、それらを与える
ことになる。3.3.1.416 3 2021
The notebooks are copyright © 1984-1989 The Paul Brunton Philosophic Foundation
This site is run by Paul Brunton-stiftelsen · info@paulbruntondailynote.se