毎日
「内なる神」という概念は基本である。それは人生に意味を与えている。
14.22.3.1111 9 2021身体や知力、感情の訓練を終了した者は、それを終了していない者と同じレ
ベルではない。更なる高位の成長のためには、それぞれ適切な教えが必要で
ある。12.17.6.1122 9 2021彼は最早、彼以外の存在が彼の意志を決定し始めているので、自身で決定は
出来ない。人間としてのレベルでは自我、動物のレベルでは欲望、この二つ
は修行者の心から消えている。16.25.2.2703 9 2021自我的立場を起点とする全ての議論は、初めから崩壊しており、確固たる結
論を出すことはない。自我は自身の興味を初めからその重点として、全ての
議論、文言、時には事実すら自己の利益のために、歪めてしまう。6.8.4.1024 9 2021外面的には彼は他の人と同様に集中し、熱心に行動しているように見える。
しかし、内面的には「内なる神」に安心して座している、それによって児童
が必要な行動を実践するような方法が取れる。彼の身体は多忙でも精神は静
謐である。この導きがある故に、彼の行動は正しく、啓発されたものであ
り、彼の個人的な意思も高位のそれを表している。16.25.2.2975 9 2021たまに実践するだけの修行者でも、その体験から、持続して体験できた場
合、自身の生活がどれだけ素晴らしいものになるかを推察出来るであろう。14.22.8.986 9 2021あの狡猾な老狐である自我は、全ての種類の霊的修行に勤しみ、全ての段階
での霊的願望を表現する事を可能とする。6.8.4.3197 9 2021「私」と名付けられる実体は、その反映部分でもある自我よりも大きく、自
我によって使用される知力よりも多大な力を持つ。14.22.3.3398 9 2021… 自我意識を放棄した報酬は、自身の根底にある真我--「内なる神」をその
拠り所として生きることが出来ることである…8.12.1.2, 巻9 9 2021「長期修行」は自身の身体から自身を放棄する否定的結果を目指す事を目的
としているが、「短期修行」は、自身を「内なる神」と同化する肯定的結果
を目的とする。15.23.5.4710 9 2021人が花のように無意識に成長すると、自分が出会った人々の個人的な影響力
がどれだけ大きく、またどれだけ深く浸透しているかを発見して、驚く。8.12.4.22211 9 2021自身の本当の実体である聖なる存在に覆い隠されているが、そのために、彼
は極めて人間らしく生きている。16.25.3.36812 9 2021もしも自我が、自分を正当化するのと同じように自分を非難したり、他人を
非難するのと同じように他人を正当化したりする傾向があるとしたら、この
修行はどれほど迅速で容易になるであろうか。6.8.3.11213 9 2021修行者が自身で学び、また教師や伝統から学んだ事は、自身が瞑想の中で悟
った事と合致するまで、本当の悟りとはならない。2.1.3.9314 9 2021この修行を始めようとする人は異なる人にならなければならない—以前の人
ではなく、新しい人にならなければならない、なぜなら従来所有していた無
分別、無関心や浅慮に引きずられていた従来の性格を新しいものに変える必
要があるからである。2.1.5.2615 9 2021神のような実体は私たち全てに存在しているが、教師のみがそれを知ってお
り、その栄光を感じている。14.22.3.4616 9 2021私たちのほとんどが在家信者としてこの世で生きていかなければならない、
またはそうしたいと思っている。故に、精神的な願望を妨げず、それを促進
するために、この世をどのように利用するかを学ばなければならない。3.2.5.10117 9 2021私たちは皆、生命が人間に求めるものを与えなければならない。それは、現
在の状態を超えようとすることである。16.26.4.87, 巻18 9 2021降伏とは、自分の無力さを知り、自分の人生を賢明な手に委ねることであ
る。12.18.4.2719 9 2021シュリ・ラーマクリシュナは、主張している「精神は通常三つの低いチャク
ラで動く。それらを超え、心に到着したとき、人は「光」を見る. . .それが喉
に到着したときは、精神はもう一度降りてくる (言葉のない意識により、
PB)。人はいつも注意していなければならない。精神が眉の間に到着したと
きにのみ、修行者は落下を心配することは不必要になる、聖なる存在に近く
なっているからである」15.23.7.30620 9 2021身体の死は精神の死を意味しない…
6.9.1.154, 巻21 9 2021… 「ウ-ウェイ」の意味は無為で、無作為の事であるが、道教と禅の高度な
教えである… 「内なる神」は、既にそこに存在している。故に自我としての
あなたは去らなければならない…3.2.1.209, 巻22 9 2021もし、何千もの生前の記憶が押し寄せてきたら、心の生活は恐ろしくなり、
おかしくなるだろう。さらに悪いことに、自分自身のアイデンティティが失
われ、他のすべてのものに統合されてしまう。6.9.2.10623 9 2021「聖なるものを思い出す」作業は、選択の行為から始まる。なぜならば、目
の前の仕事や問題を妨げることなく、心の中から捨てる事が出来ることを選
択する事から始めるからである。15.23.6.22124 9 2021…「内なる神」が私を助けに来て、その「恩寵」により、希望している状態
をもたらしてくれない限り、進歩の望みはない。8.12.1.2, 巻25 9 2021自我は、最も醜い行為を最も崇高な自己正当化で覆い隠す方法をよく知って
いる。6.8.3.11626 9 2021この時点で、修業者は外界との接触を失い、もはや何も見たり感じたりしな
くなる。意識は、場所や形、時間の経過や物質の固さから離れ、自身の存在
へと沈んでいく。15.23.7.6527 9 2021その安定した雰囲気には、否定的な思考は存在することはない。
14.22.3.11428 9 2021私たちはある目的のためにこの世に生まれてきた。人生はこの世での私たち
の仕事であり、逃げることは出来ない。ある種の放棄が求められる場合、そ
れは人生の準備の一部であり、この目的を果たすために必要とされる。3.2.7.2429 9 2021悔い改めて行動し、考えを変えるように呼びかけたイエスのメッセージは、
当時のユダヤ人が必要としていた以上に、今の私たちにも必要とされてい
る。12.17.5.12430 9 2021
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