毎日
… 自身の自我には関心を少なくし、「内なる神」にはさらに多くの関心を持
つことが修行者には必要なことである。このことは「長期修行」は、「短期
修行」とバランスを取ることが必要だという視点と同じである。15.23.4.52, 巻1 9 2020それぞれの人の人生はその人の人生に対する態度により影響される。また、
それは自我によって形成され、人生に対する経験と理解にも制約を与える…6.8.4.396, 巻2 9 2020直観的に指示を受けるということは全ての問題が発生した途端に即座に解決
するということではない。いくつかの問題は救済が必要とされる直前まで意
識されないこともある。修行者は忍耐し、高位の力が最高の進路を取ってく
れることを学ぶのである。14.22.1.83 9 2020禁欲主義を実行し、不安定な思考を鎮めることは高位の意識を生じさせる原
因になると信じることは重大な間違いである。彼らがしようとしていること
はそれが生じることを許可している に過ぎない。欲望や注意の散漫さはそれ
を到達する妨害となるので、それを取ろうとしているだけなのである。それ
は、欲望や注意の散漫さを消滅することでその背景の私たちがどんな存在か
がわかるようになる。しかしながら、ヨガと呼ばれるこの方法を超えること
をしなかった場合、到達する境涯も低いもので、ほとんど仮のものである。
哲学に言われているように自我を取り除くことをしない限り、最終目標で、
優れた超越的な境涯に到達することはない。11.16.2.2584 9 2020私たちは高位の直観を育てていくのであるから、必要であれば、私たちの性
格で低次の欲望は、満足することも止めていかなければならない。騒がしい
一方の声は、他の静かな囁きを消してしまうからである。5.6.4.1705 9 2020彼は自身の意識を「内なる神」に引き渡し、自我を長い間の専制の座から引
きずり下ろし、こうして目指していた完全な人間になったのである。13.20.5.106 9 2020彼がこの境涯に達したとき、自身の更なる霊的成長には、人格陶冶や瞑想の
修行は必要がないことを理解し始める--準備期間の修行としては素晴らしい
もので必要とも言える—しかし、今や彼は、自身の人生も含め、傍観者とし
て人生を見つめていることだけが、必要なのである。15.23.4.1407 9 2020祈りのとき私たちは、神に語りかけようとする。瞑想のときは、神が私たち
に話してくれるように求める…12.18.2.181, 巻8 9 2020一部の自由より他に人は何を所有しているであろうか。全ての人は過去世の
業を引き継がなければならない、賢明で訓練された人々は、それらに対して
も新規の行動により、変革することは出来るが.....6.9.3.5159 9 2020彼はどこからかは分からないが、平和が訪れているのを感じ、正しい道が発
見されたという知的確信や神秘的な無関心さが、世間的誘惑や混乱の中でも
彼をしっかりと捉えている。14.22.6.10810 9 2020慈悲は最高の道徳価値であり、人間としての最も高尚な感情であり、最も純
粋な生物愛でもある。それは人間の聖なる魂が持つ究極の社会的表現であ
る…5.6.2.131, 巻11 9 2020オームとは、「私は宇宙霊の一部である (と一緒である)」ことを意味する。
4.4.6.2412 9 2020自我はいつも隠れており、または変装している。それは狡猾な生き物であ
り、自身の顔を見せないため、その支配を破壊しようとしている人ですら、
まんまと騙され、自我以外の全てを攻撃してしまう! 従って、その秘密の住
処を知るのに必要な最初の (最後のでもあるが) 重要な知識は、それを認識
し、その身元を明らかにすることである。6.8.4.39113 9 2020仮に男と女の性交が両者の最高の親密な行動であるとすれば、人間が「内な
る神」と意識的に接触することはそれより更に親密である。14.22.6.13414 9 2020自身の内部に神を感じている人は、自身の外部に求め、接触する神に祈る必
要は感ずることはない。12.18.2.20315 9 2020人は霊的恩寵を他の人に与えることが出来るだろうか。恩寵が「内なる神」
からの悟りを意味するのであれば、答えは「出来る」である!--他の人に価値
があり、分別が高く、特にカルマから考えて準備が出来ているのがその条件
となる。他の人が彼に与えられている霊験を吸収することが出来るのであれ
ば、可能である。16.25.4.6416 9 2020人を他の人から峻別している、個別の彼の人格だが、それが自我である。
6.8.1.15017 9 2020… 最高度の様式は最も低い生命にも隠されている。動物の盲目的で本能的な
生命より人間の意識的に思考する生命に発展する。植物の自身の生命を維持
しようとする盲目的で本能的な闘いは、進化の過程で知的な自己意識的人間
の努力に取って代わられる…16.26.4.257, 巻18 9 2020自身の本当の源泉に近づけば近づくほど、人は意気消沈や絶望から遠ざかる。
15.24.2.16819 9 2020… 彼は自身が生まれた国でその歴史が始まったのではないことを知ってい
る。また彼は、それは自身が死んだその肉体では終わらないことも知ってい
る。6.9.2.217, 巻20 9 2020「長期修行」の仕事は、自我の罪を憎み、それを捨てることであり、「短期
修行」のそれは「内なる神」を愛し、その恩寵を受け取ることである。15.23.5.11421 9 2020強い自我を持つ人に取って、謙虚さを育成し、罪深さを後悔し、自己からの
感情を再教育する宗教的アプローチは、自我を制約する「哲学的訓練」を並
行するならば、極めて推薦される。しかしながら、このような人は、自己に
取って最も必要な薬を服することを通常拒否し、その結果、自身の創造に
よって作り出すトラブルに巻き込まれ続けるのである。12.18.3.6922 9 2020人が自身に問うことが出来る最も重要な質問— 自身は何なのか、そしてなぜ
ここに生まれたのか—は、彼自身の人生が的確なコースを見つける前に答え
なければならない…2.1.1.126, 巻23 9 2020どのような自我の活動も救済を齎すことはない。どうしてそれが可能だろう
か。人は自身の頭にある髪を使用して自身を高めることが出来るだろうか。
それと同様に自身の能力により、「内なる神」の精神に触れることは出来な
い。自我より人を救うのは「内なる神」の働きのみである。しかし、これは
「短期修行」により、自身を刺激し、誘引しなければならない。15.23.2.15524 9 2020自我はその存在を終えることはないが、その占有状態を終えるのである。
6.8.1.18425 9 2020悟りを開いている人の世間における行為は指導的なものである。彼の五感は
世間で何が起きているかを知らせてくれるが、彼の霊感はこれらの五感から
の報告に対して的確な評価を与えてくれる。このようにして、彼はこの世間
の中で生きるが、その一部とはならない。このような人のみが霊的人生を生
きていると言える。16.25.3.16626 9 2020動物は群れとしての本能により生きている。人間が個人として持つ自己意識
を持たず、また彼らのレベル以上の生き方を希求する能力も持たない。しか
し、彼らも進化の法則に従って生きていくので、やがては私たちのレベルに
上ってくる…4.4.3.58, 巻27 9 2020人は神に似た人格を隠し持っているという意味で、神の似姿で生まれてい
る。しかし、これらの人格は、進化により、通常の人生の経験を経てゆっく
りと、またはこの修行により、迅速に発展していかなければならない。2.1.2.45728 9 2020生命の核心から生きることを始めることにより、離れた存在ではなく、全体
の生命として、調和により生き始める。13.20.5.4129 9 2020… 修行者が不安定な思考を鎮めることが出来ないとき、そのように努力する
日頃の努力とともに--何故なら忍耐が成功する秘密でもある--彼は、自身の精
神を支配して貰えるように高位の自身に祈ることが出来る。そのような祈り
は心の奥底からのものでなくてはならず、常に繰り返し続けられ、不安定な
自我より離れる事を強く願って熱心に行わなければならない。12.18.2.188, 巻30 9 2020
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