毎日
「長期修行」の直接的目的は自我を訓練し、規律を与え、準備させることだ
が、「短期修行」の直接的目的はそれから超越することである。15.23.5.301 9 2019私たちの人生に時に接触したり、関与したりする人は、善または悪や、知恵
または愚かさ、あるいは幸運や不幸を運んでくる偶然とも言えるチャネルで
ある。これは因果応報により--予定通り、起こるべくして起こるものであ
る。しかし、その人が私たちの人生にどれだけ影響を与えるかは、彼の行
動、言葉やその存在感によって提案されることを、私たちがどこまで受け取
り、または拒否するかによって決められる。最終的な責任は私たちにある。5.6.1.2902 9 2019民族の運命で重大なことはその指導者の資質であり、その運命に指針を与え
る指導者たちの人格である…9.13.2.504, 巻3 9 2019… 仮の悟りは聖なる存在に定住する準備のない彼にとっては一瞬のものに過
ぎなかった… しかし、ひとたび、目標を発見し、その崇高さを感じ、真実を
見出し、その美を享受し、至福を知ったことにより、今後の登攀に必要な強
さを、その経験から引き出すべきである。14.22.8.107, 巻4 9 2019病の精神的原因は、最近になって現代科学の厳粛な方法により、はじめて研
究されるようになったが、これらの原因については一般的に数千年前から知
られていた。例えば、プラトンは「今日の大きな間違いは、医者が精神的な
存在物を身体から分離している事である」と言っている。7.10.1.235 9 2019「内なる神」は全ての個性を超えているが、個性が無くなるわけではない。
1.22.0.136 9 2019邪悪は一つの実体が分裂と物質主義の妄想に迷い込み、そこから他の実体と
の紛争を起こすことから始まる。邪悪に究極の、または永遠の原理はなく、
あるのは邪悪の力のようなもので、見えない実体が迷い込み、自身の力を持
ってしまったために、善や真理、そして正義に反発しようとしているのであ
る。しかし、それらの性格そのものから、最終的には破滅する宿命であり、
反発するその力も善のために、有効な働きとなり、進化するものをテストす
る抵抗となり、または人の知性を磨く、礎となり、または人の欠点を示す鏡
として働いたりするのである。7.11.1.127 9 2019私たちは一日中私たちの意識を私たちのために使用しており、「内なる神」
のためには僅かしか使用しない。意識の高い境涯を願うのであれば、この考
えは変えなければならない。神を思い出すことが価値があるということは、
その簡単な実践が提案することを超えている。1.23.0.308 9 2019賢い求道者は、素晴らしいことが起きてもそれに憧れを持つことはない。彼
は、最高の人生が生み出すことを求めており、自身が神だということを実現
する以外に素晴らしいことはないということを知っている。11.16.4.1029 9 2019… 自我が自身に対して抵抗するときは、単に自身に対して演技しているに過
ぎない。過去にも数多くの演技をしてきている。反抗するという姿も全体か
ら考えると一つの演技に過ぎない。15.23.1.57, 巻10 9 2019過去に残した数々の失敗--仕事であれ、人間関係であれ、またはこの修行に
関してであれ—それらは無駄な努力であったとは言えない。それぞれの失敗
の中から彼は新しい出発のため、教訓を拾うことが出来るのである、それに
よって賢くなり、自身についても知ることが出来るのである。1.13.0.2211 9 2019ローマのストア哲学者が「内なる神」ついて語った定義を聞くが良い: マル
クスアウレリウスは、「胸中にある聖なる存在」と言い、エピクテトスは、
「あなたの守護神」と言っている。14.22.3.19912 9 2019この修行が人の人生において、最も重要な活動となったとき、つまり、仕事
や世間的な事柄よりも遥かに重要となったとき、そのときは「恩寵」は人生
の理論ではなく、現実のものとなる可能性がある。1.18.0.5513 9 2019これらの仮の悟りの他の目的は、真実に対して彼がいかに無知かを知らせ、
そして知らせた後、このような無知から離れるためである。このような体験
によってこれまで真実と思っていた事柄の空想的または独断的な性格が浮き
上がるからである。14.22.7.22214 9 2019彼はその事態から個人的な側面を遮断して取り扱うことが出来るだろうか。
彼は個人的な思いにとらわれず、その時の感情から影響されないだろうか。
これが彼のテストである。15.24.3.11315 9 2019直観に裏打ちされた行動は、空間メタファで表現すると、彼の心の表面玄関
で、全ての行動が必要かつ時間的意味を理解し、心の裏口では、人の永遠の
注意力を「内なる神」が把握しているとき、可能となる。14.22.2.5716 9 2019この道を発見した人たちは、過去、当てもなく彷徨っていたことからは永遠
に去るであろう。2.1.2.3717 9 2019… 彼は、障害は全ての時にあるのではなく、またこの道での曲折は避けられ
るものではない、さらに自身の聖なる可能性こそ、最終的な成功への最大の
保証であることを信じで進むべきである。修行での試練は、人生の試練その
ものでもあるが、避けられるものではない。彼は、明るい未来が彼を待って
いることを確信して、苦難を乗り越えなければならない。希望と信仰が成功
へと誘導してくれるであろう。1.11.0.12, 巻18 9 2019これらの学習は人間の深い知的能力を掘り起こし、私たちを悟りそのものの
深みへと誘導してくれるのである。5.7.1.13619 9 2019人間の欲望は決して満足するものではなく、そして未来にも満足することは
なく、人は最終的な満足を求めて、生き続けていかなければならない。それ
が人間の性なのである。しかしながら、外的な事物によって満足できない事
は、方向を変え、やがて人の内部に休息を求めることが可能となる。5.6.4.16420 9 2019人の中では天国と地上が合一している。彼が、どちらを選んでそれを享受す
るかは自由である。天国を選べば、心の平安を手に入れることができ、地上
を選べば、自我の車輪に巻かれる。聖なる存在を求めるものは、それを発見
することは可能であるが、そのためには天国に働きかけなければならない。2.1.2.1721 9 2019「内なる神」への悟りを得るためには、精神的革命が必要であり、自我意識
を掘り下げ、「内なる神」が潜んでいる秘密の場所に到達しなければならな
い。15.23.1.5622 9 2019発達している神秘家は、ちょうど思想家が必要ではあるが、神秘家を軽視す
るように、優れていない思想家を必要ではあるが、軽視している。真理を知
るのに、神秘的感情からでは十分ではない、私たちは形而上学を通してから
も真理を知るべきである…11.16.2.142, 巻23 9 2019… 私たちが許されることを願うならば、私たちは他人の私たちに対する罪を許さなければならない…
1.13.0.28, 巻24 9 2019… 彼は、今後は未来に自身で責任を持って貰わなければならない、より高き
意志が少しずつ来るのを待つのである… それは例えば川を渡るのに踏み石に
よって渡るように、一つに届いたら安心し、次の石が来た時にのみ、渡るこ
とを考える、その前には考えないのと同じである…12.18.4.145, 巻25 9 2019「恩寵」の究極の効果、その最も価値ある利益は、その接触により、自我の
支配を取り除き、「内なる神」への個人的障害が取り除かれる時である。12.18.5.12026 9 2019… より高い自我は、人が低俗な性格を自身から完全に取り除かない限り、完
全に人に入り込むことはない…14.22.8.107, 巻27 9 2019私たちは、有能な霊的教師の指導を受け、目的に近づくことにより、「内な
る神」を支援することも可能であるが、自我に縋ることにより、その道を妨
害することもできる。しかしながら、不適切な教師がその妨害をすることも
ある、現実的には自我の真理を妨げる老獪な技術の媒介となることもある。2.1.6.528 9 2019「内なる神」を底知れぬ静けさと考えよ。修行の多くを実践し、支援の深さ
を発見した後であれば、自然に訪れるであろう。15.24.2.16029 9 2019人類が求めている愛は存在する、それは彼がそうであると想像するように完
全であり、美しく、永遠で、癒しがある。しかし、それは彼が発見したいと
思う場所には存在しない。彼が探求した最後の局面で、内なる王国だけがそ
れを有し、与えてくれる。いかなる人でも、この王国に入ることなくして、
それを発見することは出来ず、全ての制約と世間的意識の解釈を捨てた後で
それは可能となる。5.6.2.8430 9 2019
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