毎日
人が知るべき主要な仕事は人生における目的である。その他の仕事は二次的
である。1.1.0.171 9 2018あなたが最も深い瞑想に達した後、感覚からも知力からも得ることが出来な
かった知識について、強く意識することで、この問題について適切な解決策
が閃光のように閃くことがある。15.23.7.2762 9 2018救済を、またはマスターを求めてインドやその他の地域を訪問したい人に
は、次のような質問をしなければならない、「そこではここと同様にあなた
の自我と闘わなければならないことがわかりませんか。あなた自身の内部を
より深く見てみましょう、何故ならそこにはあなたが探しているその物があ
るからです」2.1.5.2913 9 2018人に何が起きたかは重要であるが、それよりそれについてどう考えるかがさ
らに重要である。1.13.0.294 9 2018幸せは私たちが人生をどう理解するかによって決まる…
2.1.6.12, 巻5 9 2018芸術の技術は重要である、しかし芸術の使命—美に対する直感的感情を伝
え、それを覚醒する—は更に重要である。9.14.1.1376 9 2018聖なる喜びは、訪れるかも知れないが、動物的意識と自我意識を強く持って
いると留まってはくれない。一瞬の啓示を永遠のものにしたいのであれば、
前者については浄化し、後者については自己を消滅せよ。16.25.2.757 9 2018通常の起きている状態では、人は寝ていないことを知っている、しかし夢を
見ている状態では、人は夢の状態ではないと誤って信じている。しかしなが
ら、小数の人は、夢を見ていると知る段階まで訓練されている、また更に小
数の人は思考に囚われない深い睡眠にあることを知っている。彼らは聖者で
ある。13.19.3.1488 9 2018無言でも声に出しても、泣くことがあったなら、それは不幸や喜びを表すも
のではない。何故なら深く、神秘的なレベルでは、それは重要だからであ
る。故に持続することを黙認しなさい。3.2.9.549 9 2018彼は遠くから来て、人々にそこには真実があり、真理が彼らを待っていると
告げる預言者である、彼はそれが発見される方向とその方法を教示してくれ
る。16.25.5.9010 9 2018天の力強い勢力が集まり始め、一定の目に見える規模で今世紀の適切な時期
に私たちの世界に入ってくるであろう。これらの勢力は、人類にとって宗教
的、神秘的、または哲学的な範疇において、新しい思想、新しい感情、新し
い洞察や新しい理想を生み出していくであろう。それは地球上において新し
い時代の幕開けとなる…9.13.4.352, 巻11 9 2018孤独の解決は仲間である、しかし仲間に共通な物がなければ、それはいかさ
まの解決策である。この論理は聖者も含め、誰に対しても正しい、何故なら
聖者は「内なる神」の存在によってその仲間を見出すからである。2.1.3.33612 9 2018目的は少しずつ、先ず思考の行動を遅くし、後にそれを鎮める仕事である。
4.4.3.3613 9 2018彼が十分に発達しているのであれば、意識を集中するために必要な口語的表
現とか、絵は必要でない。心に対して言語にはなっていない抽象的圧力を直
接かけることが出来る。15.23.7.22714 9 2018人類の無慈悲を示すことには、慣れ親しもうとする動物を食べ物のために不
必要に殺すばかりでなく、野生の動物を不必要に狩り、殺すことも含まれ
る。彼らが家としている山または森は彼らの物なのである。4.5.3.5115 9 2018彼は、例えばその霊的動機のために、社会的動機を捨てるようには要求され
ない、しかしそれらを適切にバランスを取るように要求されるのである…15.24.3.159, 巻16 9 2018真理が何かを発見するために私たちは孤独にはならない。時折、預言者たち
が出現し、高位の力についての存在と高位の人生の必要性についてそれぞれ
が教えを伝えてくれる。2.1.6.417 9 2018彼の身体における全ての細胞の変化は、内的な二度目の誕生の外的物理的結
果である。4.5.2.9918 9 2018人が時間をかけて段階的にゆっくりと目指している目標は三つの部分から構
成されている、それらは十分に発達した環境と、十分に発達した知性、そし
て覚知した魂である。覚知した魂が最善でその他の二つはその使用人であ
る、何故なら彼は理解することから始め、その後に自身について覚知するの
である。そうです、彼は偉大なる覚醒から完全なる自己意識への道に進んで
いるのである。16.26.4.25019 9 2018長期修行—これは自我を通じての修行である。修行者は自身のことを自我と
思い、集中力を高め、自己の成長に努め、純粋になろうと努力していく。彼
は「私がこの修行をしている…」と言う3.2.1.209, 巻20 9 2018… 短期修行 — これは異なる、何故なら「自我」という考えはそこにはな
く、「内なる神」のみで、何かになろうとする (それは長期修行に属す) ので
はなく、自己認識することを目指す…3.2.1.209, 巻21 9 2018支援し、癒し、案内し、または他人を指示する聖なる力は、私たちがその力
に対して謙虚にそして祈るように接した時、その力を示し始め、瞑想や学
習、または利他の実践や宗教的尊崇を通じて必要な接触をつくってくれる。3.2.8.7822 9 2018この段階では彼は競争する教団や分派の混乱する動きに悩まされることはな
い、彼は異なる教えについての主張には興味がないのである。彼はただ1つ
の関心があるだけである。それは、実感する恩寵の供給元としての「存在」
として神との直接の交流である。16.25.2.30923 9 2018過去の時代に目を向け、その中で同じような状況を探求し、その後、どうし
たのかと考えることは今日の私たちにとって役に立たない。何故ならそのよ
うな状況は存在しなかったからである。そのような先例は歴史になかったの
である。9.13.4.9124 9 2018もうすることは何もない、実践する技術もない、あなたが既に光の中に いる
時は。15.23.7.27125 9 2018聖なる名を、その救済の力を信じながら繰り返し呼びかけることは、その他
の思考を退け、心は瞑想を続けているように集中される。初期の段階では、
この繰り返しは修行者によって行われたが、上級の段階では、それを実行す
るのは「内なる神」の恩寵である----修行者が実行する部分は受動的で機械的
なものになる。4.4.6.926 9 2018無私を実行せよとのこれら度重なる命令の本当の意味は、道徳的なものでは
なく、哲学的かつ神秘的なものである。生活と思考の低位のレベルを放棄
し、上位のものに登れるようにするためのものである。12.18.4.10927 9 2018これらの簡潔な栄光の瞬間、私たちは聖なる生存であることを発見
する。私たちが表面上見かけは良くなくても、私たちの 全てが 神聖
との繋がりにより、彼らが考えている以上に立派なのである。14.22.6.35328 9 2018哲学的理解は、彼が形而上学的な知性と神秘的直感を磨いた後に、彼の中で
花を開く。13.20.4.5929 9 2018人が自身の「中心」に毎日戻り、瞑想により、それに接触しているとき、彼
は身体としての占有感と知的な一方的な偏りから遠ざかる。それは彼らしく
なることであり、自身の身体からは制約を受けなくなるのである。4.4.1.32830 9 2018
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