毎日
マスターがこのあなたの部屋にいていつもの姿勢で座っているのを想像し、
それを信じてください。そして、彼に見られていて、するような行動をし、
瞑想してください。4.4.5.171 9 2017… この内的作業は----彼がそのように望んだとき----修行者をして深く内面を
案内してくれる。その努力が成功したら、彼は何を発見することが出来るの
か。美しい静けさ、世間を離れ、異なる空間に行ったような感覚、精神性と
の深い交流だろうか…15.24.2.164, 巻2 9 2017誰でも彼の物質的環境は彼自身ではないという主張には同意できる、しか
し、彼の思考は彼自身ではないという同様の主張に同意するのには大変な洞
察を必要とする。6.8.1.713 9 2017それは二つの道を選ぶという問題ではない。初心者は「短期修行」を実践す
るどころか、その意味すら理解することが出来ない。そこで仕方なく、「長
期修行」の道を選ばなければならないのである。ところが、その困難さと失
敗に疲れ果てた中級者は、今までの学習と経験を通して、安堵して「短期修
行」の道を選ぶのである。15.23.4.1154 9 2017ここで述べられている概念について常に熟考すること自体、哲学的認識の実
践的ヨガの一部である。このように思考することは、精神的静けさの中で全
ての観念を止めるという活動と相俟って修行者をそのゴールに到達させる道
に自然と誘引するのである。何故ならこれらの観念は単なる思い付きではな
く内的経験をそのまま語ったものだからである…13.20.4.66, 巻5 9 2017… 彼の心に長い間の習慣によって植え付けられた思考のパターンを除去する
強さが求められている…13.20.3.15, 巻6 9 2017誰も「この道」の最終点に到達する人はいないということは正しいのかも知
れない。しかし、それは彼が到達しようという態度自体が最後の障害であ
り、それは除去しなければならないものであることをやがて知ることになる
からである。15.23.5.2397 9 2017生きている人たちの世界を旅行し、死んだ人たちの経験を学べば学ぶほど、
神秘的力や宗教的献身、知的能力または禁欲的修行には、高邁なる人格のよ
うな価値は見出されないことを、ますます確信した…11.16.2.90, 巻8 9 2017… 自我を完全に除去する第三の段階が必要になるが、これは恩寵の働きによ
り最終的に消滅させることによってのみ、可能であり、人が恩寵を懇願し、
恩寵に同意を与えなければならない…15.23.5.206, 巻9 9 2017私の「内なる神」へのイニシエーション (1) 何かの力が心臓で膨らみ、それ
が頭へ昇った、それから空間に飛んでいった。それが身体から離れると、私
は身体でないことを理解していた…8.12.3.60, 巻10 9 2017私の「内なる神」へのイニシエーション (5) 深い沈黙の中で自我は「内なる
神」に統合された。この作業は「恩寵」の力を通じてほぼ完全に成された。
それは圧倒する力で降下し、自我の暴君的支配を叩き壊してしまった。8.12.3.60, 巻11 9 2017
私の「内なる神」へのイニシエーション (7) 悟りの瞬間、そこには歓喜する
エクスタシーはなく、興奮状態もなく、また驚くような喜悦もなかった。そ
れは平和な至福であり、静かなる美しさであり、愛であり、智恵であった。8.12.3.60, 巻12 9 2017私の「内なる神」へのイニシエーション (9) その高い意識状態のまま、思考
を続けることも、中断することを続けることも、ともに出来る状態であっ
た。8.12.3.60, 巻13 9 2017私の「内なる神」へのイニシエーション (11) 「内なる神」が私を抱擁してい
る間、それは私に揺ぎ無い平和を与えてくれ、また個人的事柄あるいは外部
の出来事に不思議なほど無関心になっていた。8.12.3.60, 巻14 9 2017… 「内なる神」は私たちとともに永遠に存在し、そしてこの存在は人生にお
いて他の何よりも緊急かつ親密であることを理解しなければならない。13.21.5.125, 巻15 9 2017本当の孤独とは1つしかない、それは高位の力から見放されたと感じること
である。2.1.3.34016 9 2017彼は、不確かさ、確信の欠如、また知識不足のため、ある段階に達するまで
は書籍や教師など、ガイダンスを外部に求めなければならない。しかし、あ
る段階に達してからは、内部からのガイダンスを求めたほうが賢明で、また
安全でもある。彼が必要とする全ての知識は必要に応じて高位の存在が与え
てくれるのである。3.2.9.2217 9 2017悟りの実感を与えてくれる小さな恩寵はいくつかある、しかし大きな恩寵は
ただ1つである、それは永遠に続く変革と深く根源的治癒と永遠に続く悟り
である。12.18.5.1318 9 2017深い瞑想は、確かな兆しがある。その中でも顕著なのは思考の全くない空虚
さ、完璧な静けさ、そして個人としての利己心の欠落である。15.23.7.9219 9 2017もし、瞑想中、あたかも彼がいつもそこに座って瞑想していたように感じた
時、それは彼が無限性と時間を超えた永遠性に触れたと言える。13.19.4.11420 9 2017… 彼はいつもの振る舞いとは違うようには振舞うことが出来ない----即ち、
もし彼が修業道に入っていなかったら、彼自身を超えて成長しようと努力し
てはいないのである。彼自身の過去----そしてそれは彼が知っているよりさら
に過去に遡る----が現在の思考、行動と条件を創造したのである。6.9.2.39, 巻21 9 2017多くの年配の人を悩ませる記憶の喪失は、いつものように落胆する理由にす
る必要はない、むしろ精神的な安定をも与えてくれる、何故なら余計な、ま
たは過重な記憶が消えるからである。それは感謝するべき事柄とも言えるの
である。9.13.3.17222 9 2017人類に尽くすというこの命令に関連して喜ばしい秘密がある。このようなサ
ービスを与える人は、他人が彼をいつか助けるというブーメランのようなお
返しを必ず受取るようになる。それはカルマが、彼が与えたものは何でも彼
に返礼するという神の法則であるからである…13.20.4.307, 巻23 9 2017彼の血統や信仰心、彼の経歴や情熱、彼の経験や関係性、また今日の自我を
形成した彼の全ての世代や過去世の人生から、暗示が注がれる。11.16.15.9024 9 2017怠ったという罪は、犯したという罪と同様にカルマの法則から考えると同様
に重要である。しなければならないことをしなかったということは、カルマ
を作ったということを意味するからである。6.9.3.8925 9 2017霊的資質は人の中で眠っているようであるが、決して消滅することはない。
次の生で、または他の経験の後に必ず戻ってくる。12.17.1.3026 9 2017自我が失望し、または失敗により粉々に打ち砕かれたとき----遅かれ早かれ、
私たちのほとんどに起こり得る----自我は公然とまたは密かに他者の支援を必
要とすることを自白するに至る。だが、瞑想によって「内なる神」より直接
か、またはマスターを通じて間接的かはともかく、「恩寵」以外の支援を見
つけることが出来るであろうか。12.18.5.11727 9 2017「長期修行」は苦悩に満ちている。自分たちを変えようと思っている人た
ち、自分たちの性格を変革させ、自分たちの弱点を否定しようとする人たち
は、自分たちの失敗について不満の中で泣くとはどのようなことかを知って
いるのである。だからこそ、神を思い出す「短期修行」も必要なのである。
何故なら初めの「長期修行」を成就し、完成させる二番目の道、「短期修
行」により、「恩寵」が何れかの瞬間に闘いに参加し、長年に渡る苦闘を突
然勝利として終了し、今までの失敗を突然拭い去ってくれるからである。15.23.5.17028 9 2017マスターの初めの仕事は弟子に対して内的にも外的にも道を指摘することで
ある。このことが弟子の修行の時間を何世にも渡って短くする、それがなけ
れば迷い、追求し、悶え、捜し求めて、時間を費やさなければならないので
ある。2.1.6.44229 9 2017… 私たちは重要なことに集中する----自我を除くのである…
15.23.5.183, 巻30 9 2017
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