毎日
自然を逍遥する人が、その壮大な景観を見るとき美に対する崇敬の念と鋭敏
さを欠いているとしたらその麗しき景色を見ても意味はない。同様に哲学に
足を踏み入れる人には、調和がとれ、静かで尊敬の念が溢れた精神性が要求
される。12.18.1.121 9 2015... 通常の見方からすると物事の性格がその良し悪しを決定する、しかし哲
学的な見方からすると、その出来事に対してどのように考えるかが、彼にと
って良し悪しを決める。彼はいつも二つの観点から考えるべきで、それを
別々に考えてはならない、つまり短期的に見る場合と長期的に見る場合とバ
ランスを取らなければならないのである...13.19.2.8, 巻2 9 2015道徳的に優れた資質を築くことは神秘体験を追及するより遙かに良いことで
ある。その得たものは持続するものであり、より重要で、より価値のあるも
のである。5.6.1.523 9 2015一般大衆が文化的、霊的な時代とともに成長するということはあるだろうか。
ごく普通の人が真実の哲学の概念に十分な価値を見出すことが出来るだろう
か。出来る、指導者層がその真理を受け入れるならば。何故なら大衆化の過
程で希薄にはなるが、遅かれ早かれ、それらの概念は何らかの形で濾過され
彼らのところまで下りて来るからである。13.20.2.214 9 2015彼の「内なる神」との関係性はその存在を直接覚知することである--他の離
れた存在としてではなく、自身の要諦として覚知することである。16.25.2.3015 9 2015... 彼は聖なる「魂」の足元で子供のようになり、謙虚に、恩寵、助言、そ
して啓示を乞い願わなければならない。彼のエゴが強力なときは、祈りがそ
れを弱くしてくれるだろう。そのような祈りを毎日することだ、機械的にで
はなく、涙が出て来るまで 誠実に感情を込めて祈るのである。この修行は
総合的なものであり、その他の全ての方法とともに祈りも含まれているので
ある。12.18.2.11, 巻6 9 2015人間のエゴ自体が「内なる神」を放射体とならない限り、死と呼ばれる過程
でそれが肉体から分離するという感覚を得ることは困難であろう。6.8.1.1367 9 2015真実についての完全な知識は素早く得られることもあり、遅く得られること
でもある。前者は知識からであり、後者は信仰と瞑想からのものである。13.20.5.2538 9 2015私たちの眼が人についての本当の意味について見ることが出来たとき、私た
ちがそれは仮の人格ではなく、持続する真実そのものであることを知ったと
き、人生は今までにはあり得なかった性質を持つ。13.20.1.2659 9 2015... 現代の悲劇や恐怖にも拘わらず、真実を見る眼を持つ人は神聖なる手が
私たちを抱擁しているのを見ることが出来る。奇怪な物事の存在にも拘わら
ず、美しく、光り輝く、優しく、不滅の----「内なる神」もまたそこに存在
しているからである。2.1.5.421, 巻10 9 2015これらの言葉が人の魂を大きく揺さぶったとき、彼はそのことにより、直感
的要素は十分に機能しており、さらなる教えにより利益を受けられることを
示す。2.1.2.8611 9 2015... 哲学的目的とは、散発的に起こる直感と堅実なる知識との差、また突発
的なエクスタシーと統御された知覚との差を克服することであり、揺るぎな
く、「内なる神」に常住し、永遠の啓示を成就することである。13.20.4.22, 巻12 9 2015一体、何人の人が真理を垣間見たことが長く続かないと当惑して自問したこ
とだろうか、何人の人がその短さを嘆いたことだろうか! これについてはプ
ロチノスが、昔、回答している「人は人をやめて神になることは出来る、し
かし人のままで神になることは出来ない」と。14.22.4.12613 9 2015「内なる神」を絶えず思い出すことは修行者にとって価値のある資質となる。
思い出す毎にそれは二つの価値を持つ: 先ず一つは神秘的修行としての集中
力を養うことであり、二つ目は世間的思考から霊的思考への回帰である。15.23.6.17914 9 2015この悟りの境地に入った者は、人としての太陽となり、全ての人に啓示を発
散し、力を輝かせ、愛を放射していく。16.25.3.14615 9 2015彼が横たわり、死にかけたとき、彼の神、またはグルあるいは救世主が来て、
彼の魂を高次の世界に連れていってくれ、あるいは案内してくれるという証
明を感得することがある。6.9.1.12516 9 2015霊的求道者の内的成長を支配している心理的法則は時に極めて不可思議な方
法で作用する。彼がその存在を否定されていたと考えている力そのもの----恩
寵----は、彼の面倒を見てくれているが、彼はそうとは知らない。このような
とき、苦悩が多ければ多いほど、「高位の自我」はそれだけエゴを苦しめる。
彼が孤独さを感じれば感じるほど、見捨てられたと感じれば感じるほど、実
は「高位の自我」は、彼を「それ自身」に引き寄せているのである。12.18.5.26917 9 2015人はこの地、あの地の聖なる場所、都市、人または修道院に巡礼の旅をする。
しかし、最終的にはこれらの旅がすべて終わった後、彼ら自身の心に住む神
の代理人に会いに行く旅をしなければならなくなるだろう。12.17.3.7918 9 2015人の二つの種類のカルマに均衡をとるということは極めて論理的なこととし
て教えられている、つまり悪いカルマは中和され、または消滅すらしてしま
うが、同様に良いカルマは減殺され、あるいは相殺されてしまう。6.9.3.1919 9 2015「短期修行」は直感的意識を速やかに覚醒させてくれる。それは「長期修
行」のように時間の制限に縛られない。それは人が今すぐに高位の自我と同
一視することを求める。15.23.5.6720 9 2015直感的感情は、身体や熱情、感性、知性の外的活動によって容易に、そのた
め、しばしば消滅させられてしまう、故に、慎重にそれらを育てることによ
ってのみ、それらを保護し、強化することが出来る。14.22.1.6221 9 2015修行者にとって自分の潜在意識における変化を知り、それが後に表面意識に
表れるかということは知ることは出来ない。物質的な事に執着することによ
り、何かがうまくいっていないということを彼が感じるとしたら、それはこ
のような状況から少しは進歩しており、これらの執着に内的には満足してい
ない証拠でもある。勿論、彼が聖なる存在についての感情を持っていないと
したら、自分を解放しようとする闘いは最悪のものである。しかし、その感
情が出てきたときは、その闘いという観念そのものが自動的に消え始める。3.2.9.4422 9 2015静けさとバランス感覚は哲学的規範の中で最も称賛すべき規範である。静け
さは最高度の落ち着きとなり、バランス感覚は相反するものを統合する。13.20.1.10823 9 2015彼は啓示を得た。その後が重要である。何故なら元の通常の自分と周りの通
常の人たちとの関わり合いに戻ったとき、啓示によって得た光により新しい
出発が出来るよう調整する機会が与えられているからである。14.22.7.324 9 2015教師との出会いは必ずしも実際に会うことは必要としない。手紙のやり取り
でも良いし、否、ある程度は師が書いた著作を通しても可能である。何故な
ら師の心はこれらの著作に転生しているからである。従って環境的に師に会
うのが無理な人は霊的に師に会い、同様の結果を得ることが出来るのである。2.1.6.8625 9 2015私たちが未来を形成するとき、私たちが常に描いている思考、感情や希望が
混同し、矛盾したりすることによって混同した結果が生じてしまう。故に私
たちのまさに恐怖が、私たちが望んでいないことの一部を発生してしまう。
そこで私たちの未来に対する肯定的考え方と明確な姿勢が重要である。6.9.3.16526 9 2015意識は本当に存在しているが、それに反して事物は、それらが1つ以上の感
覚器官によって認識され、感じられ、聞こえ、または捉えられたときだけ、
存在する。この意識は、それ自体はいつも同じもので、不変であり、私たち
の内部で1つのもので、そこから思考と身体が生まれ、またそこから消滅す
るのである。13.21.1.7827 9 2015このレベルに到達している人の行動は「内なる神」によって直接指示され、
個人的な望みや目的、情熱または希望によって指示されたものではない。そ
の行動はエゴの意志によってなされるのではなく、より高い意志によってな
される...16.25.2.88, 巻28 9 2015人が、因果の法則は自国の法律よりも執行力があることを知ったとしたら、
間違いなく自己の行動にもっと注意を払うであろう。6.9.3.8429 9 2015真理は教会がその尖塔を空高く展開する前から存在しており、また最後の哲
学研究所が取り壊された後でも存在し続けるであろう。人類の主要なニーズ
を何物も静めることは出来ない。司祭職はこの国に跡形もなくなるまで絶滅
されるかも知れない、また神秘家の住み処も埃になるまで滅ぼすことも出来
るし、また哲学の書も文化を忌避する専制者により燃え尽くされることもあ
る。しかし、人類のその存在を理解し、要求する隠れた意識は、やがて喫緊
の課題として浮かび上がり、新しい表現形態を生成するであろう。13.20.5.26230 9 2015
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