毎日
霊魂が存在するという体験は知的分析や感情から得るものではなく、直感によって得るも
のである。14.22.1.301 9 2014今のところ隠され、その実現の時が待たれてはいるが、今日の人類の中に今まで悪の経路
によって既に現れて来たものと正反対のものがある。野蛮な残酷さに対する聖なる慈愛、
唯物論的無知に対する崇高な智慧、攻撃的利己主義に対する利他の行為、また冷淡な無神
論に対する厚き信仰心がそれらである。忘れてしまった神に対する回帰、贖罪に対する恩
寵がある。また最悪の罪人に対して慈悲をもって差し伸べる手、そして深い悩みに苦しむ
人に対しての慰めがある。神秘的に敏感な人なら間欠的ではあっても今でもその存在を感
じることが出来るはずである。7.11.3.652 9 2014真実は「内なる神」の力が前もって働き、その行動を促したのである。「内なる神」との
密接で意識的な関係を持ちたいという強い希望や修行を志すという決断―――これらの考
えは隠れた内部からの積極的な影響によるのである。12.18.5.3243 9 2014もし彼が完全な恩寵を得たいと希望するならば、完全なる降伏をしなければならない。彼
は「内なる神」に没入し、また包摂される以外の何物をも望んではならない。霊的治癒力
と呼ばれる種類のようなオカルトパワーを望むということですら、それ以下の何かを望ん
でいることになる。12.18.4.1004 9 2014... 聖なる魂の修行は彼の指導原理になった。当然のことながらエゴを克服してしまうと
いう考え方は初め反発されたが、現在はそれも望ましいことだと考え始めている。しかし
ながらこのことは現実の生活の中で全てエゴを放棄してしまうということを意味するもの
ではない。肉体を持っている限りエゴイズムと利他主義は適切にバランスされていなけれ
ばならない、何故ならそれはともに必要なものだからである...2.1.5.89, 巻5 9 2014... 真正の直感は直ちに直感と認識され、まやかしの直感はそれと認識できるようになる
までは、理性を使用することを止めてはならない、むしろ自己の最も価値ある味方として
尊重しなければならない。14.22.1.195, 巻6 9 2014彼の生来の傾向性のいくつも時には存在している—それらは彼のカルマを構成しているの
だ—しかし、恩寵がそれらをチェックしてくれている。12.18.5.3177 9 2014通常の目や思考からという方法の他に知るという方法がある。精神を鎮め、感情を静かに
することによって発見する方法である。14.22.1.138 9 2014全ての生命が単に種の増殖ではなく、遙かに高い目的があることを確信した瞬間、私たち
の人生は大きな意味を持ち、栄光ある意義を持つ。2.1.1.1789 9 2014「内なる神」の大いなる神秘のうち、私たちに対しての初めての交信はその存在を知らし
め、告げてくれる恩寵である。12.18.5.510 9 2014私たちの中にはそれを見た瞬間に真実と知る機能がある、この機能には知ったことについ
て確かめたり、証明したりする議論や再考あるいは熟考する必要はまったくない。14.22.1.1211 9 2014私たちが外界の事柄で忙しく、また私たちの心が外部のことを考えで忙しい時、直感は私
たちの意識に入り込むことは出来ない。それが私たちに語りかけたときも私たちは何が起
きているか理解できない。私たちがそれを無視し続けたとき、直感を聞く能力は全くなく
なってしまう。そのような時、私たちは聞く能力を取り戻すための再訓練をしなければな
らない。瞑想は感受性を訓練するそのような1つの方法である。14.22.1.12312 9 2014神秘家の目的は、自己の身体、低位の感情やエゴとは別な自身を知ることであり深奥の自
身を知ることである。この目的が成功したとき、彼は自身が聖なる太陽の光線であること
を確信を持って知ることが出来る。14.22.3.37413 9 2014直感的感情を表すためには内的感受性が必要である。瞑想がそれを促進させ、外向性はそ
れを妨げる。14.22.1.10414 9 2014「内なる神」は全ての人類にとって1人である。しかしながら接触点が特別なものであり、
独特なものであり、人の高位な個別性を構成しているのである。14.22.3.38115 9 2014悟りを開いた人は常に真理を想い起こしながら人生を送っている。彼は「内なる神」の存
在を悟り、不死で無限の大生命と共生していることも知っている。彼は実在について霊的
旅を終了した、そして今人類の中に戻り、彼らの言語を操り、自身の人生によって真理を
証明するのである。16.25.2.30016 9 2014見える物体、それを見る眼、それを見る行動、これらは全て精神が創造したシーンである、
つまり全て想いである。13.21.2.17217 9 2014恩寵はそれを受けるため、謙虚に受動的に自身を開放する人には魔法のように働く。彼の
感情は高位の客観的な音程へと変貌する。彼の弱点はいろいろな出来事を経験して、それ
と反対の長所に難なく変わってしまう。彼の利己的欲望は恩寵の錬金術により霊的願望に
変わってしまう。12.18.5.31118 9 2014全ての冒険が終わった後、低位の自己は出て行かなければならない。しかし不滅の高位の
自己も出て行くこともない。この意味では個人の完全な絶滅はなく、それが宇宙意識の大
海に完全に包摂され、吸収されることもない...14.22.3.389, 巻19 9 2014あの静かな高みから降りてくる全ての思考は、他の思考では存在することがない聖なる権
威と貫き通す力を伴ってやってくる。私たちは喜んでこの訪問者を迎え、確信を持ってそ
れに従う。14.22.1.24320 9 2014啓示が得られなかったらどうしたら良いのですかと聞かれる。この不毛で単調、退屈、無
益な砂漠のような私の精神性はどうしたら克服できるのでしょうか。私は答える。もしあ
なたが瞑想で成功できなければ自然に向かいなさい、自然は静かで美しいでしょう、芸術
を鑑賞しなさい、それは雄大で、自己を高揚することでしょう、プライベートか公開かを
問わず、偉人が話すのを聞きに行きなさい、あるいは文学の世界に行きなさい、そして啓
示を受けた人によって書かれた偉大なる書物を発見しなさいと。14.22.5.1321 9 2014彼の心を捉える得も言われぬ平和感と静かなる調和感は、恩寵が初めて現れたことを意味
する。12.18.5.32622 9 2014修行道の主な目的は、結局のところ、肉体的健康や神経、性格、自己抑制の点で改良され
るという二次的なものではなく (それらは歓迎されることではあるが)、真理の発見と聖
なるものが内奥に存在していることを発見することである。2.1.5.11023 9 2014我々が生まれて来た不思議さはいくら空想をかきたてても知性で論理的に思考しても解明
できない。しかし、辛抱強く直感に従っていったとき、「それが」そこに存在し、しかも
いつも存在していたことを発見する途方もない体験へと導かれる。14.22.1.224 9 2014神秘的啓示を得る必要不可欠な前提条件は自己降伏である。この代償を払うことなしには、
誰もそれを得ることは出来ない...12.18.4.70, 巻25 9 2014その存在を発見したとき、能動的ではないが受動的な意味での人と「内なる神」の交信の
形をつくることが可能となる。即ち、彼は人間としての機能を通じて直感的に指示され、
指導され、矯正される。その人はあたかも完全に一人で行動し、考え、話し、決定してい
るようだが、実は違う、今はエゴに邪魔されずに、「内なる神」の存在の恩恵を受け、そ
れに反応しながら行動しているのである。14.22.1.826 9 2014人間性が不完全に発達し、能力が調和のある発展をせず、思考、感情、意志に欠点が残さ
れたままであると、啓示を受ける直前になり、魂の増大する力によって、これらの欠点は
増幅され、 影響を受けやすくなり、好ましくない心霊的結果を生んでしまう。11.16.7.11227 9 2014宇宙をサポートしている高次の力と調和をしていることで、彼はその力が小宇宙でもある
彼自身を間違いなくサポートしてくれることを知っている。その結果、適切な方法により、
世話をされているとの気高い確信は身体中に広がっている。12.18.4.19028 9 2014心を鼓舞してくれる力、心を啓発してくれる力、また人の性格を神聖にしてくれる力があ
る。これは恩寵の力である。12.18.5.1829 9 2014... 真実はこうだ、心は自身の対象物をつくる—だがその心は個人の有限な心ではない、
その背景にある大きな心でそれは無限であり、すべての個人に共通である。これは理解す
ることが難しいので、夢のことを考えてみるしかない。夢では都市や男性、女性、子供た
ち、山々や花々、いろいろな声を聞き、傷みを感じるなどする。それはあたかも真実のよ
うで夢ではなく目覚めている状態と同じである。さて誰がこれらの光景や事物を作り出し
ているのか。この有限な心ではない、何故なら有限な心は作り出したとは意識していない
からだ。そうすると彼の心にはこれらの光景や事物、出来事を、真実と錯覚するほど鮮明
に作り出す大きな心があることになる。この真実は神話であり、マーヤとも言われている。13.21.3.88, 巻30 9 2014
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