毎日
自己の知力と力のみに依存する人は高位の力が与えてくれる保護を失うことになる。
2.1.3.1871 9 2013あるべき自己を思い描き、否定的な考えから脱却し、修行の理想でもある前向きな考えにあふ
れる人を思い描くことを実践するとそれは魔法のような結果を生む。15.23.6.1232 9 2013過去の行為による報いを変える力は私たちの誰に備わっているだろうか。私たちはそれらを繕
い、後悔し、自己を罰することは出来る。また良い行いをすることによって償いをしようとす
るかも知れぬ。しかし私たちがしたことに責任を持たせることはカルマの仕事でもあり、その
責任から逃れることは出来ない。だが、私たちのすべてに備わっている神の如き「高位の存在」
に属する自由と創造力がある一定の範囲で存在している。6.9.3.5503 9 2013…自己自身の努力が止まったとき、自己に代わる新たな努力が高位の力によって始められる。
自身では何の働きもしていないのに、自身の力では出来なかったことが恩寵によって始められ、
その慈悲深い働きによって、人は高位の意志力が強化され、倫理意識は向上し、霊的願望は高
まっていくことを発見する…3.2.9.67, 巻4 9 2013必要な準備と教えが実行され、心が思考から離れ、対象から離れ、エゴを解き放ったとき、そ
れは自身を知り、認識し、発見する、「内なる神」だと。15.23.7.315 9 2013…私たちの誰もが瞬間々々に遭遇する思考を情け容赦なく訓練する方法を進めていくとき、こ
の平和という至上の存在の中に生きることを学ぶことが出来る。自身だけがその思考に対して
責任があるのであって、自身の身の丈を、小さな、時間に囚われ、欲望に満ちたエゴにしてし
まう全ての思考を拒否する不屈の精神を持っていなければならない。13.19.4.182, 巻6 9 2013…このちっぽけな私たちを生んだこの宇宙の巨大な智慧は私たちから永遠に離れているのだろ
うか。いや、そんなことはない。私たちはこの世に生を受けた聖なる目的をまっとうするまで、
再び、生まれ、死に、そして戻っていくということである。6.9.2.221, 巻7 9 2013啓示は時として啓示として気付かずに過ぎてしまうことがある。しかし普通は数年後に再びま
たやって来る。14.22.7.2378 9 2013
…意識を生成する過程―思考―から離れる「超意識」に気づくこと、それが人の仕事である…13.21.5.16, 巻9 9 2013指導を求め、それを聞くことは良い。しかし人が指導を一人に頼り続けたとき、誤りと誇張が
忍び込む。2.1.3.26510 9 2013…求めていることについて成功裏に進んでいるのが見える、その光景は深き信仰と強烈な確信
によって支えられている。望まれる人格は既に所有されており、行動と生活の中で発現されて
いる。さらに、これらのことが生き生きと明瞭に描かれている、それらは何らの不確実さ、不
明瞭さ、またはためらいも持たずに理解されなければならないのだ。15.23.6.112, 巻11 9 2013私たちは秩序ある宇宙で生きている。そこに偶然はない。その動きは計算されたものであり、
様々な出来事は計画されている、そしてそこに住む生き物は確かな目標に沿って発展していく。
宇宙が不変の法により支配されていなければこれらのことは可能とならない。16.26.1.312 9 2013公式的にはいかなるグループ、宗派、組織、または教会とも関係を持っていないため、私は誰
をも、またどこででも支援することができる。2.1.3.16913 9 2013人類が過去の経験を反芻し、または預言者の教説に耳を傾けることにより、確かな価値観を得
るとき、一つの真実を認識する、それは「内なる神」を探求する以外に真に大切なことはない
ということである…2.1.1.98, 巻14 9 2013全ての思考が消滅し、修行自体についての考えすら消えたとき、あるいは思考を制御すること
を追い求める考えすら静まったとき、エゴとの最大の戦いが始まる。しかしながらこの見えな
いドラマの最後のシーンはいつも「内なる神」によって演じられる。何故なら「恩寵」が噴出
し、この最終の思考を倒さない限り、成功はないからである。15.23.8.15215 9 2013人はそれぞれ自分のことのみ取り組み、他人のことに関わるべきでない。他人のことを批判し、
責めるのは容易であるが、それでは自分のことに集中できない。自分のこととは何か。それは
自己の聖なる部分に目覚めるまで自己に取り組むことである。3.2.4.3416 9 2013人は二つの存在とも言える、一つは時間に囚われた意識の表とも言える部分である。全ての災
いや不幸が表の部分に入り込もうとも、裏の部分を永遠に支配している聖なる静けさはいささ
かの影響も受けない。13.19.2.4817 9 2013宇宙には数理的秩序があり、その生命の奥底には聖なる智慧が存在している、それは人、動物、
植物や鉱物が存在できる「知性」である。16.26.1.10418 9 2013…「長期修行」では多くの修行者は神秘的、オカルト的、霊的体験を望んでいる。エゴがそれ
らを欲求し、進歩への満足感を望んでいる。「短期修行」ではいかなる種類の内的体験を望む
ことはない。人が既に「真理」に住んでいるとき、そこには何の望みももう存在しないからだ…3.2.1.209, 巻19 9 2013考えにくいかも知れぬが、人はいつでもどこでも啓示を得ることができる。何故なら人には常
在の「真実」として「大いなる光」を持っているからである。起こりうること、そして考えら
れることは人生の何らかの瞬間に啓示が起こる、その啓示はその「光」が常在している証拠で
あり、それが真実であり、真理であることを告げているのである。14.22.3.1920 9 2013聖なる恩寵が人の人生に発現されることは特別なことではない。何故ならそれは人の努力の背
後にいつも「内なる神」からの不断の輝きとしていつでも存在していたからである。しかしな
がらこの努力は船の帆を上げるのと似ている。ひとたび上がると風を受け、前進が自動的に始
まる。12.18.5.13921 9 2013人々の多くが生計のために働き、家族を養い、幾ばくかの楽しみを見つけるのに懸命であり、
その小さなエゴが存在意義を与えているのは害悪ではない。しかし人がそれらのためにのみ生
き、「私は何のためにここにいるのか」という究極の質問について考えなかったとしたらどれ
だけ多くのものを失っているだろうか。6.8.4.14522 9 2013目標は目もくらむような光とともに心を横切って瞬く高位の意識を獲得することである。すべ
ての努力、すべての訓練はこのためにある。13.20.3.8723 9 2013移行期間が終わりを告げると、古い習慣についての態度に微妙な変化が起こり始める。古い習
慣についてのこだわりはなくなり、反対にそれを嫌悪するようになる。この感情は増幅し、し
っかりと根を下ろし始めるのである。3.2.9.924 9 2013人がエゴに恋慕するのを止め、「内なる神」に恋慕を始めるとき、成長は素早いものになる。
6.8.4.15725 9 2013…「長期修行」はエゴ自身によって計画され、管理され、監督された、自己改革と自己浄化の
修行である。だが、エゴは自身の滅亡のために働いてくれるだろうか。否である! どんなにそ
のように装ったとしても絶対にそうはしない…15.23.1.57, 巻26 9 2013あなたは自愛溢れる存在があなたを覆い、その好意はあなたを包み、ガイダンスはあなたを助
け、平和に満ち溢れる、このことを想像豊かに思い描くべきである。15.23.6.20927 9 2013…世間が人に不正を働き、中傷し、傷をつけ、あるいは欺いたとき、彼は心の底に目を向ける、
深くそしてさらに深く、やがて「内なる神」に出会う。そこで究極の静けさと究極の愛を発見
する…14.22.3.13128 9 2013人の初めの仕事は悟りを遅らせる障害を見つけることである。二つ目の仕事はそれを取り除く
ことだ。これが「長期修行」を構成する。3.2.1.129 9 2013…成長への準備段階は終わった。今までは依存できるのは自己の努力だけであった。しかしこ
れからは成長を促進してくれるのは「内なる神」である。今後、求められるのは静かにしてい
ることである、そうでないと自己の盲目的無知から発する自己意志により、聖なる業は妨げら
れてしまうのである…3.2.9.30, 巻30 9 2013
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