毎日
私は私の名義と著作により、何らかの組織を造ることは望まない。それは私
の全ての仕事の論理的結果ではない。8.12.4.971 8 2019「長期修行」は多くの利益を与え、多くの美徳を与えてくれるが、真理へ到
達する展望は与えてくれず、「内なる神」を悟ることも出来ず、恩寵を与え
られることもない。これらについては、私たちは「短期修行」に頼らなけれ
ばならないのである。15.23.2.1562 8 2019彼は「永遠の存在」に触れ、彼の真実の存在は永遠の真理の一部であり、彼
が自我と呼んでいる愚かな存在は喜んで捨てて良いものであると感じるよう
になる。14.22.6.1713 8 2019ある特定の経験から世間的、現実的なメッセージを受け取ることは容易であ
る、だが、それらに含まれる高位の霊的メッセージを受け取ることは容易で
はない。何故なら私たちは、そこに個人的な感情が強く含まれている時に
は、特にそれらを習慣的に自我の立場から見ているからである…4.4.4.131, 巻4 8 2019精神が静かな時は、全く何も見えないか、または明確な理解が見えるかどち
らかである。それは、それに対して人が準備したこと、彼の知識、性格や経
験に依存する。15.23.7.2895 8 2019カルマは自由を完全に否定するのではなく、それを限定する。過去の原因に
より、現在の結果により、彼を壁によって囲んでしまっているときや、より
良き性格や、向上した知性により、新しい原因が作成され、他の結果が得ら
れることもある。6.9.3.5316 8 2019彼の選択が異なっていたら、彼の人生は違っていたかも知れない。しかし、
彼は本当に自由に選べることが出来たであろうか。7.9.3.5417 8 2019自己の不徳の致すところに対する告白が祈りの最初の価値であり、その結果
としての自己変革に対する願いである。それは自我を最小化し、それを脱却
するための初めである。それはイエスキリストが言った逆説、「命を失おう
とする人はそれを発見するであろう」に従順する第一歩である。12.18.2.208 8 2019それはセナカが言う「私たちの体内にいる聖なる存在であり、私たちの罪悪
と善なる物の観察者であり、保護者である」。14.22.3.2879 8 2019私たちが最善のものを養う前に、私たちは私たちが持つ最悪の物を消滅させ
なければならない。「内なる神」が私たちの意識に蘇るためには、自我は漸
次に矮小され、その活動を止めなければならない。このことが、私たちの感
情を浄化し、私たちの思考を矯正するのが大切な理由である。欲望と否定的
思考は真理や美、善のためにその道を開けなければならない。6.8.4.22010 8 2019神秘的に悟ったものを享受するだけでは十分でない。それを使用し、思考や
生活の標準とし、その後の自身の全ての生活に応用しなければならない。そ
の素晴らしい記憶から、平和と善と優しさを周囲に撒き散らせなければなら
ない。14.22.7.21611 8 2019王陽明は、「私たちの資質は純粋な善である。この原形に何らかの形のもの
を付け加えることは出来ない。優れた人の知識は、単に疑念を打ち払い、輝
ける美徳を表す」。さらに、「人の心は天国なのだが、自我による汚れによ
り、その状態が表れていない。全ての汚れが打ち払われたとき、原形が回復
される」とも言っている。15.23.1.1812 8 2019… 人生は全ての人にとって闘いである、賢者のみ自我を抑制して闘うが、そ
れでも同様に闘いは続く。何故なら自然界では反対の要素が起こり、そのた
め創造した物は壊され、平和を与えようとしても紛争は起こり、精神に自由
を与えようとしてもそれに混乱を与えてしまうからである。12.18.4.34, 巻13 8 2019人が自信を失い、これ以上前進が出来ず、彼と彼自身の人生は変化しなけれ
ばならないと認めたとき—そのようなとき、「内なる神」の啓示と救いに近
付いている、しかし、そのことを認識し、それらを喜んで受けようとする条
件が必要である。12.18.4.714 8 2019聖パウロは菜食主義について語った「私が肉を食べることはない。私の兄弟
がそれを垣間見ることはない」 (1 コリント書 8:13)4.5.3.12315 8 2019自身のことにも拘わらず、自我はこれらの覚りにより、表現される霊的偉大
さに引き込まれていく。利己欲、動物性や物質主義は薄れていく。最後に
は、自身の光の中に立ち、やがて消滅していくのを見る。14.22.8.5516 8 2019彼が、自我の執着、欲望や感情より、完全なる独立を果たしたとき、完全な
る平和が彼を訪れる。15.24.3.10417 8 2019「究極の存在」が実現するのは動物ではなく、人間としての状態からなので
(何故なら動物には必要な機能が備わっていないので)、再生の過程では低い
境涯の動物と最も高い境涯の人間の間の隔たりを埋めなくてはならない。6.9.2.13618 8 2019ヨブは自身の質問に対して答えた「私は神がどこにおられるか知っている」
と。彼自身の中に神はいつもいたが、ジョブはそれを知らなかった。15.23.1.2919 8 2019屈辱と失望や失敗や過ちを通じて自我は道端に押し潰される。しかし、この
明らかに希望のない状態は「長期修行」の終りを意味し、「短期修行」へと
移管することにより、新しい希望や寛容、そして平和が訪れる。15.23.4.13020 8 2019私たちは、その間、適切で必要な休息時間を取りながら、一つの身体から次
の身体へと旅をして行く…1.9.0.26, 巻21 8 2019彼は高度な痛みを伴うような自己批判力を養っていかなければならない。過
去にしたように自我を守っている余裕はなく、または脆弱さや愚かさを言い
訳とすることはもう出来ない。4.4.4.12122 8 2019あなたの友人の幸せを願いますか。彼について幸せな思考のみ、思い描いて
ください。15.23.6.6323 8 2019… 初心者の自身の生命を全て神の手に任すという誓いは十分ではない、何故
ならこの誓いをする前と同様に愚かな判断や罪のある行為を続けるなら、彼
の人生は自身の自我の手に止まっているからである。彼の誓いが効果を持つ
ためには、自己の成長を義務としなければならないのである。高位の生命に
降伏したからと言ってこの義務が無くなるわけではない、反対に今後は以前
よりもそれを実行しなければならないのである…12.18.4.39, 巻24 8 2019初期のキリスト教の時代では、瞑想に供される場所は重要であり、明らかで
あった。4.4.1.9925 8 2019「内なる神」は人と共に存在しており、人生とは結局のところ、この存在を
追及することに他ならない。彼は幸福を追求していると信じて、無意識にこ
の活動に参加しているのである。15.24.1.9926 8 2019世界的規模の学習から考察される私の基本的教訓は、ヘラクレイトスが「人
の性格がその人の人生そのものである」と言ったことは完全に正しいという
ことである。6.9.3.40727 8 2019時間そのものと時間に束縛された意識は続いていく。「長期修行」はそれか
ら人を解放することは出来ず、向上させることと、せいぜいその準備をする
ことくらいである。では何がそれを出来るのか。「短期修行」のみがその自
由を与える。15.23.2.14128 8 2019彼は、自我が彼の本当の姿ではなく、自我が生み出す過ちや失敗が避けられ
ない不幸の原因であることを見抜く。6.9.3.15929 8 2019静謐の中で彼自身の心の中より、今後の進路について彼が必要とする霊的な
指針が齎されることがある。それは時に微妙な感情として来たり、時には強
い感情として来たり、時には明確な指針であったり、また時には環境や出来
事から来たりすることがある…15.24.4.146, 巻30 8 2019生命の輪廻は長く止まってはいない—それは巡り巡って死の瞬間から次の生
の瞬間へと輪廻して行く。6.9.2.131 8 2019
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