毎日
私たちは、この地球上に聖なる使命を追求するために生まれてきた。どの神
学者が魂と呼び、どの哲学者が「内なる神」と呼ぶかを発見しなければなら
ない…1.1.0.5, 巻1 8 2018真実は異なる観点から見ることができ、また異なる様相も所有するので、様々
な教説や見方があったほうが良い。一定の教えに凝固する試みは、いつでも、
宗派を生み、宗派的偏見を生んでしまう。12.17.4.872 8 2018ある重大な危機において、死を見るような生命が奇跡的に救われた時、それ
はある目的のためである。2.1.2.1803 8 2018瞑想で十分な境地を得た人は、夜間に眠るとき、眼を閉ざし、聖なる存在を
確認することによって、不眠症を治癒することが出来る。13.19.3.1714 8 2018… あなたは、いつも「その」中におり、「それと」一緒だということを思い
出しなさい。恩寵の源泉もあなたの中にあるのである。自我を黙らせ、静か
になり、そして、恩寵は、その静謐さに迫るほどの深い信仰と自我を脇に置
くに十分な誠意に反応するという事実を見詰めよ。支援はあなたの心臓より
も遠くにあるものではない。希望を持ち続けない!12.18.5.234, 巻5 8 2018前世において成し遂げた個人的成長や霊的発見は、新しい生においては同様
に繰り返す必要はない。しかしながら、何が起こるかと言うと、新しい生の
初めの半分の周期において、前世の全体験を繰り返すか、または似た体験を
することである。1.0.9.356 8 2018仮に新しい生が、霊的体験を得る新しい機会であるならば、それは過失を犯
し、悪徳を得てしまう新しい機会ともなる。6.9.2.1437 8 2018人の意識、見解や性格がこのように高揚したとき、利他の責務は嫌々実行す
る重荷ではなく、また義務として時間を割くものではなく、自己の向上の一
環として実行するものになる。14.22.2.778 8 2018永遠の現在、永遠の今こそ、人が真実に幸福に暮らせる瞬間である。何故な
ら、この今を意識する「何か」、儚い経験の根幹であるべき、それを思い出
すことにより、彼はその経験を完成させ、その高尚な目的を成就するのであ
る。1.19.0.79 8 2018自我は追従には直ちにうっとりとなり、批判には直ぐに傷つく、しかし、そ
の圧制から逃れている者は、公平にそれらを評価する。6.8.3.9610 8 2018ギリシャ戦争におけるソクラテスの、またインドの反乱における名も無きヨ
ガ行者のいくつかの話がある、どちらも深き瞑想に入っており、騒音、混乱、
戦いにおける暴力や紛争もそれらを打ち破ることは無かった。どちらの場合
も、数時間の間、身体的には平静で、精神的にも落ち着いていた。15.23.7.8011 8 2018全てのことについて、適切な時がある。自身の霊的興味を思考しなければい
けない年齢になった時、彼は活動を少なくして、自身のエネルギーを、初め
は自身のため、次には他人のために、蓄積するべきである。3.2.8.16112 8 2018死ぬ時に人生の経験を絵のように繰り返すことは、その絵が彼の前に展開さ
れるように、自己から …終ったばかりの人生で出会った人々に霊的に移され
るに過ぎないというのは間違いである。そこで何が起きているかと言うと、
間違った自我から真実の「自我」への移譲なのである。個人から非個人への
移譲であり、つまり、人生のそれぞれのエピソードを、高位の観点から考え
た真実の意味を理解することなのである。6.9.1.11413 8 2018この内的探求の最後に発見する存在は無名である。名前を尋ねてもわからな
い。得体の知れない「私はその私である」という答えに満足しなければなら
ない。14.22.3.22414 8 2018この「修行」に満足な進歩を修めた人たちにとって、死は恐るべき経験では
ない。身体から脱却したとき、その休息は喜ばしく、平和なものである。1.9.0.1915 8 2018その経験は、偶然に起こるように見えるかも知れない、その時間は瞬間を超
えないかも知れない、だが持続する印象は生涯に渡って続くだろう。14.22.7.15216 8 2018理性と感情、直感と自我意識、または想像と意志の間に衝突がなくなったと
き、人の内的人格は十分に成就されたと言える。13.20.3.33117 8 2018… 私たちの生命のエネルギーは感覚を通して絶えず外に向かっており、私た
ちの自我は絶えず身体を意識しており、また私たちの意識はそれ自体を思考
しようとはしないので、「内なる神」は私たちから完全に遠ざかってしまう
のである。1.1.0.5, 巻18 8 2018ある人が他人からの影響によって自分のレベルを落としてしまった場合、後
悔と恥ずかしさ、または苦しみや自己保存の論理によって、元の彼に戻され
るであろう。2.1.2.18219 8 2018遺伝は人の人相や身体つきや神経系統については答えを出すことが出来るが、
その天才ぶりについては答えることが出来ない。これについては、全く異な
る何かを持ち出す必要がある — 転生が続く地球上の人生を通しての才能の
発達はその1つである。1.9.0.2220 8 2018重要な動きの度に彼は、知性だけでなく自身の存在に備わる直感から教示を
求めるであろう。14.22.1.14421 8 2018私心のない公平な傍観的見方は彼を保護し、その動物性や自我意識を正すの
に役立ってくれる…15.23.6.103, 巻22 8 2018哲学はそれぞれの新しい時代に対して書き直される可能性があり—そうしな
ければならないのだが、その原理は不滅である。それらは変えることが出来
ない。それらを説明する方法、それらを主張する用語が変わるのである。13.20.2.9423 8 2018内的体験の最終段階、瞑想の最も深き状態は、体験する自身は消え、瞑想者
は消滅し、何かを知ろうとする意識はその対象— 「内なる神」すら、持た
ず、二面的に知る行為は崩壊している。何故ならこの段階は、「内なる神」
がその全貌をこの世の物とは思えない光により、眩い形や光線により視覚的
に表すからである、それは身体の眼が開いていても閉じていても見える物で
あり、聖なる暗闇と呼ばれている。1.28.0.3424 8 2018慈悲は最高の道徳的価値であり、高尚な人間の感情であり、また生ある物を
愛する純粋な愛である…1.6.0.45, 巻25 8 2018恩寵が現れるためには2つのことが必要である。1つはそれを受ける能力で
ある。もう1つはそれに協力することである。初めの目的には自我を弱めな
ければならず、2つ目のためには、それを浄化しなければならない。12.18.5.20626 8 2018彼が転生とカルマの理論を受け入れたとき、自身の人生とそれが目指す生涯
について責任ある意識の目覚めより、自己訓練の必然性を感じ始めるはずで
ある。1.9.0.5227 8 2018これらの2つ--肯定的と否定的潮流が--同時に来るとき、電灯は独自に照る。
これらの2つ—知性と感情—感情が正しく整えられ、性格が発展され、かつ
浄化されたとき、人に存在する「内なる神」は独自に輝き始める。13.20.3.41628 8 2018短期間の間でも、自我がその支配権を自ら放棄するとき、悟りを垣間見る境
地は開かれるであろう。14.22.5.6129 8 2018無限の生命から離れたものとして意識を自己のものとして限定する自我主義
は、無限の生命と統合する境地の最後の障壁である。1.8.0.1030 8 2018誰か他の人がこの道を素早く進んだからと言って落胆するべきではない、 …
事実は彼が求めている目標は既に把握しているからである。彼は、合一しよ
うとしている「内なる神」なのである…2.1.5.267, 巻31 8 2018
The notebooks are copyright © 1984-1989 The Paul Brunton Philosophic Foundation
This site is run by Paul Brunton-stiftelsen · info@paulbruntondailynote.se