毎日
平均的人間は自身の過去の犠牲者であり、その個人的歴史の奴隷である。彼
はそれらの考え方により条件付けられ、その教育によって型がつくられ、伝
統に支配されている。その影響は簡単に消えることはない。「長期的修行」
から「短期的修行」に移行するのが、劇的な変化や催眠術的接触の結果から
が多い理由である。15.23.4.1141 8 2016これらの啓示は一瞬で小さなものかも知れないが、それはやがて、エゴの支
配を永遠に鎮圧してしまう最終的で真実の啓示へと導かれていく。14.22.8.532 8 2016彼は、その人格が世界を舞台にして役割を演じているのを見る、彼との関連
性は認めるが、「他者」として、対象物として見ているのである。15.24.3.2163 8 2016大げさに喧伝されている人の自由意志とは幻想であるというのも真実である
が、人生で結果的に運命づけられているように見えるほとんどの出来事が、
彼の性格や精神的能力に不断に影響されながら、進んでいくというのも事実
である。それらは単に偶然でも、あるいは完全に任意でもない。選択と反応、
態度と決定は、究極的には人の心理的構造に依存し、ある一定の方向で出来
事の進路に影響する。「性格が運命である」----これは最大の真理を最も平易
な言葉で表現したものである。 遺伝、履歴、家庭の事情や家系が数多くの物
理的な要因を決定してしまうのに、どこに人間の自由があると言うのだろう
か。6.9.3.4264 8 2016「長期修行」の実践者は、悟りは全ての条件が整ってから達成される将来の
ものと見る、しかしながら「短期修行」の信奉者はそれを現在、ここで達成
されるものと見る。15.23.5.905 8 2016私たちが周囲の対象物を----それが顕微鏡で見る細胞であれ、望遠鏡で見る星
座であれ----客観的に冷静に見るとき、この素晴らしき宇宙は無限の叡智に
よって支配されていると理解せざるを得ない。大宇宙が一定の意図によって
組み立てられていることを考えたとき、それは物事を理解する「心」の働き
を物語っていると言えるのではなかろうか。16.26.1.12076 8 2016心が完全に統御され、ある一点で完全な静寂が訪れた時、その心自体につい
て教えてくれる明快で直感的な感情が湧いてくるのは事実である。15.23.7.1837 8 2016... 修行の全ての道を通し、特に重要な時には、事件や事態によって、修行者
の性格上の弱点が明るみに出されるようになる時がある。その経験は苦痛に
満ちたものであり、その結果は悲しいものではあるが、このようにして自己
の欠点を知り、それを乗り越えようとすることを学ぶことにより、それらの
欠点を哲学的訓練の構築のため、捧げるのである...3.2.3.74, 巻8 8 2016聖なるものは実際に私たちの中にあり、そこにいつも存在している...
15.23.1.33, 巻9 8 2016執着を離れるには二つの方法がある、禁欲主義者は世間から離れ、世の中の
動きとは無関係に生きようとする、もう一つは哲学者の生き方で世間の活動
を受け入れるが、通常はそれに伴う世間への依存は、これを拒否する方法で
ある。15.24.3.310 8 2016周囲で起きていることに影響されずにそれを見ること、あるいは自分に起こっ
ていることを何らの懸念もなく見ること----これは執着を絶つ実践の一つであ
る。15.24.3.20511 8 2016計算し、分析し、批判し、非難し、組立てたりする低位の状態での人の心は、
聖なる原理を理解していない、このためその計画は無駄となることが多い。
人は自己を低位の心に制限させてはいけないのであって、このことを理解し、
自身の未来を神の手に任せてしまった時、人の本当の希望が満足されるので
ある。6.8.1.11712 8 2016霊的に幼い時には精神的に大きな打撃になるものでも、霊的な成長を遂げる
とともに、軽く受けられるようになる。何故なら相反する二つの態度の中か
ら、否定的で矮小な感情を持つ小さなエゴを選んでしまい、崇高で、積極的
かつ広大な合理性を持つ高位の心を選ばないからこそ、不幸を感じてしまう
ことが次第に分かってくるからである。5.6.3.16413 8 2016「啓示」は古代の神秘的団体において行われたイニシエーションの役割も持
つ。それはさらに誠実に意識的に「内なる神」の道を目指す、新しい人生に
出発させる。それはこの目的のため、残りの人生を奉仕することを静かに指
示する。それは物理的な水による洗礼よりも内なる光により深く浸透する洗
礼である。14.22.7.20014 8 2016エゴは、自身に対する戦を仕掛けることを要求するが、それは見せかけの勝
利以外に本当の勝利が達成されることを許可することはないことを私たちは
確信することになるだろう...6.8.4.316, 巻15 8 2016... 哲学的理念を基にした全ての瞑想は他者の事を思い、彼らの霊的ニーズを
想起し、自らが受けた光と恩寵を送り、このような支援を必要としている人
たちを祝福することで終わるべきである...15.23.6.58, 巻16 8 2016人間の心は、その心と性格が同じであり、それと関連し、同様に霊的な物で
あるそ何らかのものと、関係を持つことが出来る、即ち認識することが出来
る。しかしながら、物質的な物が非物質的でない人の意識と直接関わること
は出来ない。13.21.2.16317 8 2016魂は私たちといつも一緒であるが、その存在についての知覚はそうではない。
14.22.3.1218 8 2016その「光」を見る人はいくつかの理由で感謝かることが出来る。先ず、それ
はリスクや危険を全く伴わない唯一のオカルト的経験と言えるからである。
二つ目は 全ての透視体験で最も崇高なものだからである。三つ目は、世間的
な意味ではなく、超常的な種類の完全なる至福の感情を与えてくれる。四つ
目は、神の初めてとも言える直接的啓示であり、従って稀有の祝福であり、
恩寵なのである。五つ目は、意識上で「力」として表れ、心の内外で全的に
鼓動するとてつもない力、あるいは一瞬で全てを知ってしまう閃光のような
ものを感得するからである...14.22.4.168, 巻19 8 2016仏陀は「真理を宣言せよ」と言い、「他を真理に変換せよ」とは言っていな
い。真理を広め、他者に道を開くのが哲学の仕事であり、利益を計算し、収
穫を計ることが仕事ではない。12.17.6.9820 8 2016彼は自身の成長を一つには直感力が鋭くなったことにより、もう一つは意志
の強くなったことにより、知ることが出来る。3.2.2.7721 8 2016彼は高所より、自身を見下ろし、そのエゴを矮小な物として見る。
15.23.6.9322 8 2016... その「意識」と「力」が宇宙の歴史を超えている「無限の存在者」は、そ
れ自体が歴史を持つことも不可能である、何故ならそれは時間や進化、変化、
発展の外に存在し、それ自身について利益のある目的は持たず、人間の意識
の対象として正しく認識されることもない、何故ならそのような思考の制約
を完全に超越しているからである...16.26.4.258, 巻23 8 2016ひとたびその幸せな平静さを感じた時、どのような理由であれ、そこから離
れるべきではない----何故なら思考が侵入し、他の感情に誘引してしまうから
である。彼はその平静さを混乱させるものを拒否すべきであり、自然だとか、
仕事や、またはその平静さの効果のことすら考えるべきではない!目標はひと
つに絞るべきである、それは全ての考え、概念、結論、また衝動がその中に
溶け込んでしまうまでその恍惚感に完全に浸ることである。それ以外の如何
なる目標も「啓示」を逃してしまうだけである。14.22.5.13524 8 2016外部からの庇護より私たちを独立させ、環境という荒波の征服者となれる武
器がある。持続する意志の力がそれである。3.2.6.4225 8 2016現世の人生を経験していくことは極めて真実に見え、永続し、また身近なこ
とに見える----しかし、宇宙の途方もなく巨大なサイクルから考えた時、それ
はほんの一瞬での出来事でしかない。6.9.1.2526 8 2016いろいろな思想は言葉に置き換えられ、話され、書かれるが、真理は言葉に
ならず、話されることも、書かれることもない。それについての全ての説明
は、知識人が理解するとしても、単に象徴としてしか把握できない----あくま
で手がかりであり、ヒントでしかないのである。偉大なる静寂の中でのみ、
それを知り、また理解する 事が出来るのである。15.24.4.21427 8 2016人生に対する幻滅、人の全ての営みの価値の無さを知ることは、世間から内
的に顔を背けるひとつの一般的前提である。これを感じる求道者は世間に対
しては死んでおり、またその世間で活発に行動する自我に対しても死んでい
ることになる。この後は、彼の奥底にある----「内なる神」に惹かれていくだ
けである。3.2.7.328 8 2016彼は新しいパワー、そして高位のパワー----恩寵を引き入れなければならな
い。その支援が必要なのである。何故ならエゴは、どんなに霊的な話題や霊
的成長にすら忙殺されるようになっても、その主権を進んで明け渡そうとは
しないからである。15.23.4.5929 8 2016イエスが「全ての重荷を私に投げよ」と人類に呼びかけ、クリシュナが同様
に彼らに「全ての仕事を私に放擲せよ」誘った時、二人は私たちに、私たち
が未だにそれを発見していないのであれば、私たちの全ての悩みは高位の存
在によって引き継がれ、全ての行動は高位の存在によって成されていること
を 想像 すべきであり、既に発見しているのであれば、エゴを実際の人生で
はそれと交代させるべき事を訴えているのである。15.23.6.4430 8 2016エゴが、他人の目には尊敬され、恐れられ、羨望され、または尊重されてい
ようとも、自身の目では、屈辱を受けて跪いている時、恩寵が訪れる道は用
意されている。安心するが良い、内的に目覚めた人のこのような徹底した謙
虚さは何回となく起こり、遂には全てのプライドが浄化されるのである。6.8.4.43031 8 2016
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