毎日
この哲学は、広大な思考、深遠なる精神、そして素晴らしい理想への道を開
き、真理の探求を内なる冒険と宗教的義務とし、究極的には、悟りが実現す
る聖なる空間として開示されなければならない道程を開放するものである。13.20.1.681 7 2022ソクラテスはこの哲理を自身で会得した。彼には師匠はいなかったのであ
る。16.25.1.452 7 2022ソクラテス:「私は、老いも若きも、全ての人に対して、あなたの内なる自
身の崇高なる至福こそ、最初のそして最大の関心事であることを説得するた
めに、すべての時間を費やしています。」2.1.1.95, 巻3 7 2022永遠に存在する精神は、それ自身では何らの変化も起こさず、そこに付加す
るものは何もない。そうでないとしたら、それはあるがままのものでなくな
る、究極のものであり、絶対のものであり、無条件であり、独特のものでは
なくなる。それがそれ自身で何らかの欲求があり、目的や動機があったとし
たら、完全ではなく、円満なものではなくなる。故に何らかの必要な利益や
欲得のために宇宙を考えることは出来ないのである。宇宙がどうしてあるか
ということについては、答えはない。16.28.1.654 7 2022彼にとって重要な全ての人たち、また感情や思考が起きる全ての関係性は意
味がある。9.13.2.4225 7 2022自我が彼らを支配している間、人は、友好的に一緒に暮らすことは不可能で
ある。 このすべての不調和の原因がそれ自体で静かになるまで彼らができる
ことは、その主な不安定さを減らすことによってそれから起きる摩擦を最小
限に抑えることである。6.8.4.256 7 2022戦争はその形を変え、残忍さを失い、言葉が武器に取って代わるような、よ
り高い次元に引き上げられる可能性があり、それは確実に起こるかも知れな
い。しかし、否定的な感情を持つ人間のエゴが支配者である限り、最悪の場
合は戦争、最高の場合でも紛争がなくなることはないだろう。5.6.7.39, 巻7 7 2022現代科学の研究では、すべての実験室での自然現象の分析または検査におい
て、厳密な非人格性を保つこと、また希望的観測、個人的な感情、並びに偏
見から解放される必要性に大きな重点が置かれている。 これは哲学の修行者
にとっても同様に必要なことである。13.20.3.308 7 2022彼は高位の意識に全ての瞬間を生きている。しかし、この生き方は同時に下
位の意識に干渉したり、反することはない。16.25.2.2089 7 2022「長期修行」の切迫感と緊張感が「短期修行」の甘美さと超然とする意識に
取って代わったとき、修行者はなんと安堵を感じるでしょう!15.23.4.7810 7 2022修行者が真実と洞察を必死に求めるのは、「長期修行」の時だけである。あ
の熱狂的な求道心はすべて「短期修行」では消え去り、そこでは彼は平和と
忍耐を維持することを学ぶ。15.23.5.9611 7 2022おぼろげな覚知は、そこに何か真理からの合図があるという感覚を高めない
ことがあっても、修行者自身のさらなるまたはより深い研究と歴史上の人物
の証言から思惟すると、彼が正しい軌道に乗っていることを示すだろう。14.22.7.19112 7 2022この驚くべき啓示の中で、彼は自分自身が探求者であり、師匠であ
り、求められている目標でもあることを発見する。16.28.2.15313 7 2022最も深い内省、または最も心に響く神秘的な経験、または預言者の圧倒する
啓示だけが、彼の個人的なエゴの存在が自身の真の中心ではないという大き
な発見に人を導くことができる。6.8.4.26514 7 2022私たちは毎日「内なる神」を訪問し、礼拝しなければならない…
4.4.2.391, 巻15 7 2022攻撃的な人間や野獣に脅かされたときに自分の命を守ることは適切である
が、食用の動物を殺すときのように、正当な理由なく命を奪うことは哲学的
倫理観に反しますし、スポーツのために無闇に動物を殺すことはなおさらで
ある。あらゆる高次の本能は、下等な動物との関わりにおいて、残酷さに代
わって思いやりを持つよう促しているのである。4.5.3.9016 7 2022「短期修行」は二元性を否定し、完全なる存在との同一性のみを認め、この
同一性を認識することによって目的を達成しようとする。「長期修行」は、
二元性を受け入れ、エゴを克服することによって同じ目的を達成しようとす
る。15.23.5.5017 7 2022エゴは、動物的および唯物論的な欲求だけで男性を支配するのではない。
それは彼らの精神的な願望も担当し、積極的にそれを管理する!1.8.0.6018 7 2022修行者は、周りの人とは違った考え方や感じ方をする意欲があり、そのよう
に決心している必要がある。 彼の目標も彼らのそれとは異なる場合、そうな
らないであろうか。2.1.3.2319 7 2022あらゆる形態の存在は、ある形態の意識に還元することができる。 これらす
べての意識の最終的本質は神である。16.27.3.1620 7 2022救済者として、あるいは母親として、あるいは父親として、あるいは教師と
して神に目を向ける人々は、今でも自我の中で神を考えている。彼らの最初
の関心は彼ら自身にあるので、彼らは彼ら自身との関係でのみ神について考
えている。 しかし、何らかの関係ではなく、またいかなるイメージや考えで
はなく、それを超えた無の中で神に目を向けようとする人々は、神を見つけ
ることに成功する。したがって、彼らは本当に「理解を超えた平穏」を発見
するのである。16.28.2.12521 7 2022肉体に縛られている意識的な自己と、肉体の感覚に捕らわれない超意識的な
自己とは、確かに区別されなければならないのだ。6.8.1.8222 7 2022活動から瞑想へ、仕事や散歩から静寂や礼拝へ、自在に移行する能力は、時
間と練習によって得られるものである。15.23.6.22523 7 2022この神聖な自己は、不死身であり、不滅の魂であり、どこから来たかを永遠
に証明し続ける。14.22.3.32124 7 2022解答を計算したり、解答を準備したりする時間がないとき、それは私たちが
どの程度の強さまで持っているかを明らかにすることが出来ない予期しない
状況と言えるだろう。私たちが持っている、または欠けている知恵がそれ自
体を示すのは、突然の危機(完全に極端な状況にすぎない)の時であり、完
全に逃げたり、部分的に回避したりする機会がないときである。9.13.1.9325 7 2022エゴはそれ自体に夢中になっているので、瞑想の時間が、徐々に空になるは
ずなのが、それ自体が活動しているため、単に別の分野のままになってい
る。4.4.2.33826 7 2022平和主義は、僧侶的で神秘的な人生観の自然で避けられない結果である。僧
侶は当然殉教に服従するかもしれないが、哲学者は悪の勢力に抵抗し、最後
まで彼らと戦わなければならない。5.6.7.4527 7 2022ここがすべての霊的探求の焦点であり、ここで人は神と出会う。
14.22.3.31628 7 2022エゴは、肉体と知性の必要性と維持のために適切な場所に留まることができ
るが、常に高次の自己に従属し、高次の意志に従順であることが必要であ
る。6.8.1.201, 巻29 7 2022これらの素晴らしい覚知のとき、通常の存在は中断されてしまっているよう
である。14.22.6.23430 7 2022私たちが教える探求は、完全な知識の探求と、この普遍的な自己の認識の探
求にほかならない。これは、すべての人がそれを認識しているかどうかにか
かわらず、追及する広大な取り組みである。2.1.1.1431 7 2022
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