毎日
それに向かう前にあなたが本当に望んでいるものは何かを確認しなさい。人
生における苦い経験は、長い間の努力の後、獲得したものは、あなたが望ん
でいるものではなかったことを発見したことでしょう。5.6.4.831 7 2020通常の日常生活において、現代の西洋人が実行する習慣や、取り決め、慣行
を見ると、如何に人生の本当の目的から離れ、世間的物事において、いかに
大切でないものに力を入れているかがわかる。3.3.2.152 7 2020それぞれの状況で必要な実践的知恵を使用し、人は物事を実行するが、それ
をやり終えたならば、その結果の善悪については、高位の力に任すべきであ
る。12.18.4.683 7 2020新しく、そして自己とは違う何かが、生まれているのを、彼は感じている。
15.23.4.664 7 2020十分なる準備をすることなく、「短期修行」にのみ依存する人々は、多くの
ことを当然と考え、過大な要求をしてしまう。これは傲慢である。ドアを開
ける代わりに、そのような姿勢はドアをぴったりと閉じてしまう。反対に
「長期修行」のみに依存している人々は、自分の肩に多くを保有し、一生か
かっても終わらないような倫理的訓練の重荷を背負っている。これは無駄な
ことである。これはその人の成長の速度を遅くすることになる…15.23.5.159, 巻5 7 2020大抵の人々にとっては、最後の日々、最後の数時間、または数分間に真理を
発見する、そこでは一つの種類の人生が彼らと彼らの肉体から離れるが、次
の人生が彼らを待ち受ける。6.9.1.1236 7 2020マントラの呪文が連続した実践により、十分に活発になったとき、呪文は完
全に自動的になり、頭脳または心の中で車輪のように回転を始める。この段
階では、修行者はマントラの翻訳された意味や口述的意味には関心がなく、
それが作り出す意識の内容にのみ関心を持つ。修行者にとっては、最早彼が
何をしているかは重要でなく、どのような意識が彼に伝わったかが重要であ
る。マントラが彼を無の状態に誘引し、それが彼の生命状態として躍動して
いる。4.4.6.437 7 2020真の不変の自己は如何なる歴史的時代にも影響されず、文化や様式の変化に
も囚われることはない。14.22.3.3738 7 2020… そこには自己成長や自己浄化、または精神的訓練もなく、さらに何らかの
渇望や願いも存在しない。自己の目的意識を全て超越して、「無言の宇宙意
識」にかかわる静かなる動きである。15.23.7.231, 巻9 7 2020精神的に人生を生きることを求めている修行者は、物質的享楽や慰安のた
め、または知的、社会的な仲間を求めることを超える目的で結婚するべきで
ある。彼は、伴侶の精神的構造が彼の理想と一致しなくてはならず、共戦の
友として、純真な求道者として人生の全ての苦難を共に生きる女性を探さな
ければならない。5.6.2.23410 7 2020「短期修行」は、修行者に対して「内なる神」の指示に従うことを求めるこ
とだけでなく、その状態を続けることも求めている。15.23.6.23511 7 2020自身に親しい人や肉親が苦しむのを見るのは修行者にとっては、辛いことだ
が、それが僅かであっても、そのような苦しみを見なければならないことに
より、信仰の堅実さと内的平和を乱すべきではない。地上での人生は喜びと
苦痛の連続したものであり、「内なる神」の中でのみ、永遠に続く平和があ
ることを認識しているならば、どのようなことがあっても、驚くことはない
だろう。15.24.1.10812 7 2020人の美徳が目的まで誘引してくれるとの考えは「長期修行」に属している。
15.23.2.15313 7 2020愛を与え、受ける能力は破壊されることはないし、またそのようにすること
も出来ない。自然は、愛を深く根付かせているので、それを破壊しようと試
みても成功しないし、そう望んでもその知恵は出てはこない。しかし、最高
の境涯を望む男女は愛を成長させずに、その成熟した果実を享受することは
出来ない。それを成長させ、純粋にし、高め、そして霊的にしなければなら
ない。自身の最高の自我である「内なる神」に同化するように望み、祈りな
がらその方向に向かわなければならない。そして、それが「恩寵」という至
福の形態で自身に戻って来てくれた時は、それを受ける準備が出来ているの
である。5.6.2.9414 7 2020身体を制御する方法として、精神を制御する方法で使用する方法より良い方
法はない--毎日決められた一定の時間を精神の訓練時間として設定し、連続
してその修行を続けることである。4.5.5.415 7 2020かかる瞑想を実践する場所は、聖なる存在を象徴する雰囲気に溢れているよ
うに見える。15.23.7.2616 7 2020彼は低位な感情が頭をもたげる度にそれを押さえつけなければならない。普
通の人は、憎しみ、妬み、怒り、情欲、嫌悪感、貪欲さが人生の瞬間に表れ
たとき、それを慎むことなく、行動に移してしまうが、修行者にはそれが許
されない。自己浄化は修行者に必要であり、義務でもある。3.2.1.10717 7 2020偉大なる真理は、それらを受け取る人に、多大なる謙虚さを求める。偏屈
で、偏見のある人にはそれは欠落している。12.18.3.5218 7 2020ある勢力や影響に彼が外的に、または内部で反応するときに、前世から、ま
たは今世での人生で所有し、さらに発達したり、弱くなったりする良心の指
針がある。宗教的感情と道徳的美徳により、善を選び、悪を避けるこの性質
が、人を動物より上位に上げている。5.6.1.33719 7 2020その瞬間、彼は自分自身に立ち戻る。それ以前は、彼の情熱、思考、感情や
欲望のように自身でないものに住んでいたのである。14.22.6.27620 7 2020「恩寵」は、神の好みや思い付きによって表現されるようなものではない。
それは神の気まぐれや移り気の結果でもない。それは太陽のように善人にも
悪人にも同様に降り注ぐ。全ての人々は、修行により、それを受ける障害を
取り除くことにより、それを受けることが出来る。12.18.5.2621 7 2020自身ではそれ以上、進むことが出来なくなったときは、自身の内部での恩寵
に依存するか、外部の指導者に更に指針を依頼する時が来たのである。自身
の利己心から離れられるような何か、または自身の無明を断ち切れるような
何らかの指針が必要なのである。2.1.3.25222 7 2020起こったことは既に終了しているので、それに対して私たちはどうすること
も出来ない… しかし、過去の出来事が変えられないのであれば、私たちはそ
の出来事に対して態度を変えることが出来る。私たちは過去から学ぶことは
出来るし、その中で知恵を磨き、私たちを成長させ、行動を是正し、新しい、
そして良好なカルマを創り出すことが出来る。最高の事は、それらの全てを
した後に、 過去より完全に離れ、過去の私ではなく、現在の私の意識そのも
の、「本当の私の存在」になることで、永遠の今に生きることが出来る事で
ある。6.9.3.551, 巻23 7 2020カルマが自動的に機械のように動くというのは完全に正しい理論ではない、
カルマが全てにおいて完全なるものではないというのがその理由である。恩
寵という要素が欠落しているのである。6.9.3.57024 7 2020修行方法やスケジュールも含めて瞑想がうまくいかず、利益を生まないとき
は、インド固有のマントラシステムに従ってみるのも有益である。4.4.6.8625 7 2020国家同士の間に平和を保つようにするだけでは十分ではない。動物たちを虐
殺するのを止めることにより、人類と動物の間にも平和を保つようにしなけ
ればならない。5.6.7.826 7 2020… 混乱の原因のいくつかは、自我が変化するからである、それは時間と経験
によって変化する、しかし、「無限の存在」、即ち「究極の存在」は変化す
ることはない…6.8.1.190, 巻27 7 2020瞑想での宝とも言うべきものが、少しずつ現実に表れる一つの方法がある。
それは、瞑想の最高の瞬間に齎された平和、至福、力強さ、または真理やメッ
セージ等を日頃の生活の中で時折、思い出すことである。これが多くなれば
なるほど、瞑想と日常の活動の間にあるギャップが取り除かれるであろう。15.23.6.19128 7 2020前世における複雑な生命の傾向性や潜在意識の奥深く隠されている性格は、
遅かれ早かれ、意識の表面に表れなければならない。6.9.2.3029 7 2020悟りへの覚知は簡潔な瞬間に経験するが、そこでは自我の専制は破壊してし
まう。14.22.6.27130 7 2020彼は、一度は悟ったのであるから、暗闇に完全に覆われることはも
うない。それを越える光がいつも前方に輝いているのを知るだろ
う。14.22.7.8831 7 2020
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