毎日
今日、異常だと思われていることが、文明が進化したとき、ごく自然なことと看做される
ようになるだろう。私がここで言っていることは超越的経験のことである。14.22.4.591 7 2014... 困難な場面において今までの習慣的視点を潔く捨て、高位からの視点をそれに取って
替えたとき、その瞬間に恩寵を受ける。受けると同時に奇跡が実現され、彼の人格からは
低位の視点での悪は永遠に除かれてしまう。環境そのものがそれを証明し、彼にはチャン
スが与えられる...3.2.9.67, 巻2 7 2014恍惚状態は神秘家の意志に関係なく行ったり来たりする、しかし哲学的啓示は私たちが勝
ち取り、それを維持することができる、何故ならそのために私たちは修行しそれを獲得し
たからである。11.16.2.153 7 2014「内なる神」を見出した人にはエゴにとっての重荷、不幸や恐れがなくなる。
2.1.5.3794 7 2014「真実の自己を知る過程はどのようにスタートしたら良いか」この答えは次の言葉から始
まる。先ず、適正な姿勢を持て。深部にある自己の神性さを信じよ。光を求めてあちこち
見るのを止めよ、力を求めてあちらこちらを彷徨うのを止めよ...心に高邁な次の語句を
刻め。「私には無限の力がある。私が現在持っているよりもよりさらに神聖な生命と真実
のビジョンを創出することが出来る」と。このことを実行した後に君の身体と心と精神を、
全てを支えている「無限の力」に放擲せよ。その「内なる」メッセージに従い、それがど
のような運命を与えようともそれを喜んで受けることを宣言せよ。これはあなたの神々に
対する挑戦であり、神々は必ず答えてくれるだろう。あなたの魂はゆっくりと、あるいは
急激に解放されるであろう、そしてあなたにはいろいろな条件を克服する自由な道が与え
られるであろう...2.1.5.1, 巻5 7 2014あなたが実践する何かでこの素晴らしい変革をもたらすことは出来ない、何故ならそれは
何らかの努力の結果ではないからである。それはあなたの意志の力や欲求の強さによるも
のではない。それは何かがあなたに行動するものであり、あなたが行動する何かではない。
それは他の「高位の力」より何かを吸収する結果によって起こる。それは「恩寵」によっ
て起こるのである。捉えどころのないものではあるが、人生でこれほど満足するものはな
い。12.18.5.1046 7 2014過去の神秘体験を再現したい求道者にとって希望はある。しかし、その体験は異なる形で
再現されるかも知れない。初期の段階で体験された感情的高まりは、当然だが、その起き
ている体験やそれを制御する方法を以前より正確に理解することによって、釣り合いが保
たれることが多い。11.16.2.1807 7 2014「内なる神」を束の間でも垣間見ることはこの修行の本当の意味での始まりとなる。それ
が不断に体験できることになれば最終目標の達成となる。2.1.5.3208 7 2014瞑想は修行の重要な部分となるので毎日のある一定の時間をそのために割かなくてはなら
ない。長時間である必要はなく、短時間で良い。それを実践するときの姿勢は必要だから
嫌々やると言うのではなく、心から進んでやることが大切である。一日のうちの異なる時
間帯で試してみて、私たちや周囲の状況に最も合う時間帯を見つけるべきである。しかし
ながらこのことは、初心者と中級者に言えることで、いつの日か、真実のクリスチャンに
とって毎日が日曜日となるように、瞑想する時間はいつでも適切な時間帯となる日が来る。4.4.2.359 7 2014瞑想を実践しているとき、エゴの働きが弱まれば弱まるほど、それは「内なる神」の前で
受動的になり、「内なる神」の発現は十全のものとなる。しかしこの条件は初めの段階で
は成就されることはなく、注意が散漫にならないように意識的な努力をし、それと戦わな
くてはならない。15.23.7.25310 7 2014個人の努力に替えられるものはない、マスターによる神聖なる意識についての無報酬の教
示はない、この修行を不断に実行する確固たる必要性から逃れる方法もない、忍耐の必要
性を免れる方法もない。11.16.7.4211 7 2014心理学者や精神分析家は、彼らが「至高の体験」と呼ぶこれらの神秘体験について大きな
価値を見出す少数派が彼らのグループの中にいることを発見し始めている。しかしながら、
学問的な条件を整え、専門的訓練を受け、また科学的見地を中心とするグループは、この
ような体験が人間について適切に知ることにおいて重要であると評価し、研究するには異
論を唱える。14.22.4.14212 7 2014神秘的体験を閉鎖された出来事としないためには、彼の心を、自身についてより「内なる
神」について、より傾注すべきであり、またそれについての感情的な反応よりも、純粋に
熟考することに力点を置くべきであろう。14.22.5.2613 7 2014すべてのトラブルに対して万能薬がある。それらを「内なる神」に任せてしまうことであ
る。これはしかし途方もないことである。それはあなたに完璧な信仰と完全なる理解を要
求するが、その結果は証明されている。しかしながら、それは怠惰な浮浪の者や暇を持て
余す空想家のためのものではなく、「内なる神」を欺こうとする不誠実な詐欺まがいの者
のためでもなく、また何もしないのに何かを期待する迷信深い信仰人のためのものでもな
い。12.18.4.914 7 2014「短期修行の道」は真実の道である! その他は全てそのための資質を準備するに過ぎない。
何故ならこの道によって彼は自己の短所や相克について瞑想しようとするのではなく、
「内なる神」に視点を向け、その存在や力強さを瞑想する。何故なら「真実」、「真理」、
「慈愛」や「平和」についての意識は恩寵によってのみ、またこの実践によってのみ現れ
るからである。15.23.1.10215 7 2014悟りへの閃きは尊いことではあるが、十分ではない。その体験をした者は新しい問題を抱
える。それをどうやって再び体験し、それを全ての環境と体験の中でいかなる時でも心の
状態としてそのように変革し、維持するかという問題である。そしていかにしたら彼の毎
日の生活をそれと調和することが出来るのであろうか。14.22.8.4116 7 2014全ての人は最終的に自身の神性さについて悟ることを強制される。そのとき初めて幸せへ
の探求が成就されるのである。2.1.5.9117 7 2014「魂」を発見し、それを悟る仕事は他の誰かが代わりにやることは出来ない。それはあな
たが1人でやらなければならないのである。何故ならこの仕事を通して霊的意識へと成長
することが出来るからである。11.16.7.6018 7 2014人が大勢の人が動機とする利己主義より、「内なる神」を渇望するこの「道」に移り始め
たとき、彼は神聖なる世界意識との協力意識に移行していく。2.1.1.2219 7 2014神が全ての人の生命に宿っているということは私たちの多くには信じられないかも知れな
い。しかしながらその体験を経験しつつある人にとってそれは真実であり、単なる理論で
はない...14.22.4.38, 巻20 7 2014これらの恍惚の瞬間、全て人生は夢まぼろしのような形を取り始める。
14.22.6.15121 7 2014エゴの宿命は「内なる神」に持ち上げられることである、そこでエゴは終結する、もう少
し正確に言うと、それ自身で超越してしまうのである。しかしながら、それ自身では自ら
の生命を終結させたがらないので、外側からの何らかの力が介入してそれを持ち上げなく
てはならない。その力が「恩寵」であり、従って「恩寵」の出現が必須となる...12.18.5.96, 巻22 7 2014「内なる神」を発見した人はあちこちに散らばっている...従って人類の全てがやがて
「内なる神」を発見するのは確実である。14.22.4.60, 巻23 7 2014彼は自分より離れ、自己の人生を哲学的に超然として観察しなければならない。観察する
ことによって後悔や恥ずかしいという感情、あるいはプライドと満足感で満たされるかも
知れない。しかしそれら全てがエゴから出来るだけ離れ、最大限の公平さによって検討さ
れなければならない。このようすることによって経験は智慧に転換され、欠点が性格より
なくなっていくのである。4.4.4.18924 7 2014「魂」の「エネルギー」を発見するのではなく、「魂」そのものが究極の目的である。そ
の力、効果、質、属性ではなく、純粋な現実としての存在そのものである。求道者はそれ
らが少しでも不足するところで止まるべきでなく、前進を続けなくてはならない。2.1.5.9425 7 2014あなたが全神経と全ての力と時間を集中するため、「長期修行」に背を向け、「短期修
行」に移らなければならないときが来るだろう。何故ならこのことによって、全ての関心
事がエゴではなく、その改良や向上でもなく、聖なる物だけとなる新しい時が来るからで
ある...15.23.1.76, 巻26 7 2014... この段階では「高位の自身」のみを求めよ、積極的思考にのみ生きよ、出来るだけ長
い時間、内に潜む聖なる静謐を体験せよ、意識の真髄に属する内的静寂のみ実感せよ。今
後はこうだ、あぁだではなく、また様々な好い事を寄せ集めるのではなく、単にその物に
なるのである...15.23.1.76, 巻27 7 2014ゴールを垣間見る瞬間があなたには与えられた。これからはそのゴールを達成することで
ある...14.22.7.215, 巻28 7 2014彼は必要に応じて重要な出来事、経験、または自身の態度について分析し、反省をしなけ
ればならない。取り分け考究する必要があることは、良いことではなく、悪い感情や行為、
その原因と結果であり、それらを思い浮かべ、高位の自身の視点より検討しなければなら
ない。しかし、これが公平、無関心かつ執着のない批判的自己分析で実行されない限り、
また感情を厳しく押し殺した自己強制により行われない限り、好ましい結果は生まれない。
自身の過ちを嘆くだけでは不十分なのである。それらによって、どのような教訓が伝えら
れようとしても彼はそれを注意深く学ばなければならない。4.4.4.10929 7 2014彼は遂に内的自身の完全な意識、つまり魂に到達した...
2.1.5.97, 巻30 7 2014グルの指導を受けている人であっても、忘れてはならないことは、彼が十分に成長したと
き、弟子はいずれかの段階で自身の師になり、内なるグル---つまり自身の魂を探し、発
見することを開始しなくてはならない。誠実で有能なグルはこのことを要求する。11.16.7.5331 7 2014
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