毎日
降りかかる困難、克服するのに不足している弱点は、彼の意志力を強固にさ
せ、忍耐力を強めていく。それは彼の性格の長所を強化し、弱い部分に鞭打
ち、次に来る困難に適切に対処できるように彼を成長させる。5.6.1.4361 6 2020その光を見ることができ、その暖かさを経験した人は、それが修行の結果の
悟りによるものであるとしたら、その自分の生き方を選ぶであろう。2.1.5.1722 6 2020全身を完全にリラックスする簡単な行動により、緊張感は和らげることが出
来る。最低でも一日に二回、修行者は身体を伸ばし、完全に横たわるべきで
ある。そして身体の全ての部分を意識的にリラックスするようにしなければ
ならない。呼吸はゆっくりと一定のリズムを保ち、吸い込みと吐く息は同量
にしなければならない。この活動は数分間か、----あるいは緊張感がなくなる
までする必要がある。3.3.3.33 6 2020… 彼が、自身の身体を生命と考えている限り、彼はその身体でまた転生を受
ける。1.9.0.27, 巻4 6 2020悟りを開いている者は他人に対して 自身の影響力を故意に、または目的を
持って行使することはなく、自然に努力することなく、それを行使する。彼
は努力する必要はなく、優しい力と光が、彼の周囲に来る人々に自動的に当
たるように、彼から発信される。彼らは信仰と崇敬によって彼がその人 と
知っていれば十分で、支援と癒しを受けられる。「内なる神」は彼を通じて
直接、働きかけ、それに依存する全ての人々に影響を与える。16.25.4.2575 6 2020普通の人間関係では、一人の人のエゴイズムは他の人のエゴイズムによって
答えられ、応答が行われている。5.6.2.626 6 2020彼は他の多くの人々がやっているような小さな自己を表現するためではな
く、自己から逃避するために創造しているのである。彼が目指しているのは
聖なるもので、それは自己を超えたものであり、彼が悟りを得ようとしてい
る実体である。9.14.2.417 6 2020全ての習慣や環境が反対しているような宣言された意図に沿って、毎日何か
をし続けることは、自己の意志に対して他に例を見ない強さを与えていく。3.2.6.558 6 2020この書籍の中で、私は、高位の意識より受け取る印象を注意深く、細かく記
録する繊細な媒体であると考えている。1.12.0.339 6 2020… この簡潔な悟りの目的は、さらに重大で、頻繁で、厳しい修行を呼び起こ
し、道徳的自己訓練への情熱を増強することを呼び掛けることである。それ
は実現しなければならない、自身の美徳の最高形態を示している…14.22.8.107, 巻10 6 2020… 嘘をつき、偽善者となることは、真理を受け取ることを歪めることにな
り、真理を追究する道には妨害となる。—罪のない嘘も全て、その範囲で—
その道を照らす光を遮り、虚妄は存在していないという世界に入ることを妨
げる…5.6.5.228, 巻11 6 2020結局のところ、私たちを救うのは外部の人ではなく、私たち内部の魂だけな
のである。導師は、その魂を発見する方法を教えてくれ、その他の点でも有
益であるが、私たちの聖なる存在が成す仕事をすることは出来ない。16.25.5.18812 6 2020看過しているのは自身の意識であり、忘れているのは自身の持つ知る力であ
る。これらは間断なく存在し、深い眠りや恍惚の状態を潜在意識が表すこと
でも明らかである。しかしながら、人は、自身の身体を意識の単なる対象物
と理解することは拒否し、意識が「真実の存在」の一部であることを理解し
ようとはしない。14.22.3.4013 6 2020「内なる神」への修行は不撓不屈のものでなくてはならない。世間をみる方
法や人生に対する態度においてもそうでなくてはならない。5.6.1.43414 6 2020遥かな昔、釈尊は、私たちに過ちを犯した人々に対して、私たちの思考が否
定的になり、不平、怒り、または憎悪の念で満たされたとき、私たちは自由
にならず、平和を見出すことは出来ないと言った。7.11.5.8815 6 2020老弱を問わず、束の間の喜びよりも気高いことに重きを置き、学習や瞑想に
時間を割き、それに対して注意や興味を持ち続ける人は、通常の人々の生き
方を拒否し、修行においては内的成長を遂げることにより、報われるであろ
う。2.1.3.6616 6 2020… 古代の人は神に捧げるということで動物を外的に 犠牲にしたが、現代人
は、彼の内部で心理的に 動物を犠牲にしなければならないと理解している…12.17.3.70, 巻17 6 2020インドには、修行における三段階について公式がある; 聴聞、思索、悟りで
ある。その意味は、グルか教本により教えを受けること、教えについてそれ
が完全に同化されるまで思索し続けること、そして神秘的実体について覚知
を経験することである。この三番目の最終段階では、修行の果実である智慧
と平和によって自身の全ての生活が満たされるまで、その覚知を繰り返し、
引き延ばす必要はなく、至上の哲学的教説を受け、またその実践をする必要
もない。この境涯により、自身の悟りは、「自然な」ものであり、努力する
必要はなく、中断されることもない。それは、彼が世間の仕事において多忙
であろうとも、あるいは瞑想に座していようとも、その行動と合一されてい
る。2.1.5.30018 6 2020エピクテスは言った、「神が私をこの世にお送りくださったのは、一つの目
的がある、それは全ての美徳と強さにおいて私の性格を完成させることであ
る、この目的のために、私が使用できない事など何もない」と。13.20.1.175, 巻19 6 2020この偉大なる世界は、天上においてあまりにも驚異的、またリズミカルに行
動している、しかしながら、この宇宙を形作る崇高なる叡智を、思考する精
神として残すべきである。16.26.1.1220 6 2020人が最終的忠誠を誓うのは「内なる神」である。
2.1.3.7121 6 2020人間の愛情を浄化し、その些少さを抜き取り、それを高位の幅広い境涯に押
し上げるのは哲学の副作用の一つである。その経験に従事する人々には、そ
の仕事により、それは何らかの苦痛になり、あるいは快楽を分かち合うこと
になりうる。5.6.2.5822 6 2020この叡智は善人だけでなく、悪人にも隠されている。どのような道徳的状態
であっても出発点となりうる。イエスは、罪人にも善人と同様に差別なく話
しかけている。イエスの言葉はその結果を見てわかる通り、効果を齎してい
る。クリシュナは大きな罪を犯した人々にも救済を約束している。2.1.2.47123 6 2020この境涯では、思考をする活動は停止し、知性はその存在の中心に吸収さ
れ、快い平和が人を包んでいる。15.23.7.11224 6 2020芸術家、思索家、または神秘家は、物理的ヨガを通じて得られる筋肉の強さ
や身体的健康を無視してはならない。このことには、深い呼吸法、ストレッ
チ運動、そして直観を会得するため、マイナスにならないような軽くて、消
化の良い食事も含まれる。4.5.5.7925 6 2020深い瞑想からどのように次の境涯を表していくかについて、また魂を覚醒す
ることについても、自身でその体験がなく、それを実現したことのない人に
は、他人にそれを語ることは出来ない。しかしながら、それは初めの条件に
過ぎない。二番目の条件とは、自身の神秘的生活の全てを通して、他人に対
して抱く慈悲の想いを養っていることである…16.25.5.10, 巻26 6 2020聖者は、救いを求めやってくるエリートではない大勢の人々を助けるため、
大衆が理解できる言語を使用した。そのため、仏陀は、サンスクリット語で
はなくプラークリット語を、イエス・キリストは、ヘブライ語ではなく、ア
ラム語で法を説いた。.13.20.2.31027 6 2020精神は、それを通じて何かを求める感情や欲望が止まった時だけではなく、
思考や想念、特に自己に関連する思いが起こらなくなった時、純粋になった
と言える。15.23.7.15228 6 2020完成した人格を養うために人は教育と文化が必要である。それにより、彼自
身とその生活は豊かなものになる。しかし、謙虚さを持ち続けないと、その
人格は誇大化してしまう。5.6.5.1129 6 2020私たちは多くの宇宙の中で地球という一つの宇宙に住んでいる、他の宇宙に
は私たちの宇宙で共生する生物と同様に、基本的生命体は共有しながら、他
の様々な異なる生命の様相を呈している。16.26.1.23130 6 2020
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