毎日
「内なる神への修行」は、人類が幸福を目指して進む最終の段階に他ならな
い。1.1.0.11 6 2019… 静かなる瞑想において休息のない思考を鎮める度に、彼は自我を放棄して
いる、いつも彼は欲望を止め、重大な決断の中で自我を放棄している、身
体、欲望やその活動を訓練する度に、彼は自我を放棄している…1.1.0.33, 巻2 6 2019…それは、そのような稀有の覚知からであり、そのような高揚した瞬間から
である、彼らが通常の状態より、高位で、より祝福された存在を意識するの
は、そして人々がそれらの瞬間やそれらの意識を再確認する努力の中で修行
を励もうとするのはこれらの意識の最中である…14.22.7.221, 巻3 6 2019「内なる神」を正確に言及する聖書の文言は2つある、1つは「ソロモンの
歌」であり、もう1つは聖パウロの言葉である。これは真に人類の魂であ
り、これを今この地球上で生きる間に発見することは、人生そのものが私た
ちに静かに課した義務である。14.22.3.2964 6 2019「短期修行」に変更しなければいけない時が来た兆候は、瞑想が満足する結果を齎さず、倦怠感があり、困難を伴ってきた時である。
15.23.4.1645 6 2019あなたが死んだ後にどこに行くかを知りたければ、私はあなたに告げよう、
何故なら私はそこに行ったからである。あなたが行くところはないし、どの
場所にも行かない。死後、この地球上の意識と身体が無くなった後、あなた
の人格が許可する意識の条件に単に入り込むだけである。1.9.0.116 6 2019… エゴイズムの哲学的意味は、私たちと同様の不完全なレベルの自我を他の
人から離す態度ではなく、それら個人の全てを超える深いレベルにおいて、
全ての個人の背後に存在する普遍的生命力から分離する態度を意味する。私
たちが個人的自我によって私たちを支配することを認めたとき、また個人的
自我が、その普遍的自我を私たちの意識の領域に入れようとしないとき、私
たちはその無限の心より分離している…1.5.0.38, 巻7 6 2019その覚知は霊的人生、従って犠牲を伴う人生へのイニシエーションである。
それは、低俗な傾向性と別れを告げ、劣悪な欲望を破棄し、さもしい性格を
鎮め、利己的見解を捨てる、長い道のりの最初のステップに過ぎない。14.22.8.268 6 2019究極の目的を達成した時、自我はどうなるかということに対して間違った理
解が多い… 本当の結合は壊れることのない高位の自己と結合することである
…14.22.3.108, 巻9 6 2019自我は本当には殺されることはない—身体や知力、感情や意志がないとき、
どうやって人はこの世で行動が出来るのか—そうではなく、存在の中心がそ
こから出て「内なる神」に溶け込んでしまうのである。1.8.0.2010 6 2019哲学と巡りあう幸運があった多くの人々も、それを誤解し、それを学習する
ことなく、またはその実践を怠った、何故ならその訓練は面倒に見えたから
である。13.20.2.23811 6 2019「長期修行」はエゴイズムと動物的行動から脱却するために必要である。し
かしながら、それは直接「内なる神」、そしてその真理と事実を発見するこ
とには繋がらない。それは短期修行の仕事である。15.23.4.2712 6 2019自己成長への努力がないときは、人格は劣化していく。自然は私たちにじっ
としていることを許さないのである。2.1.5.3113 6 2019感情的な悩みは、それが世間的なものであれ、個人的なものであれ、または
霊的修行についてのものであっても、「内なる神」に自己の人生を完全に任
せてしまうならば、それは消えてしまう。その方法が悩みからの完全な自由
を意味し、それが内的平和となる。12.18.4.15014 6 2019… 真実は、「短期修行」のない「長期修行」は不完全である。
15.23.5.156, 巻15 6 2019自我という生き物は人の行動や思考より生まれ、ゆっくりと変化し、成長し
ていく。「内なる神」は神の生き写しであり、完全で、完成されており、変
化するものではない。人は完成を目指して何をすれば良いかというと、「内
なる神」を他の媒介により輝かせることである。1.8.0.3516 6 2019私たちそれぞれは、知恵や、決定する力、また何かをする能力を与えられて
いる、これらを使用して霊的に成長し—また自分たちや他人を正しく扱うこ
とが出来るのである。9.13.2.64817 6 2019怒りを鎮めるにはその反対勢力—許しを涵養することである。
5.6.3.7518 6 2019この教えを受けいれる能力を持たない人がいるということは間違っている。
問題はそれを教える人たちの不手際にある--十分に分かりやすく、実際的
で、論理的に、理解しやすくしていないからである…13.20.2.267, 巻19 6 2019「内なる神」は如何なる瞬間でも人格が低いものになってもそれを無視した
り、軽視したりすることはないという事実に安心感が持てる。愚かな教団が
言うように、そうすることが出来ないのである、何故なら、人格という媒介
によって、時間と空間の中で「内なる神」を表現することが出来るからであ
る。14.22.3.39220 6 2019身体を不動にし、精神を鎮めて、太陽が沈むのを待ち、夜明けの瞬間を待つ
ことは、自然の妙なるリズムに合わせた有用な実践の1つである。3.3.7.1721 6 2019尊敬、好意、友情、同情、仲間意識や愛は、捨てるべき感情ではない、何故
なら、そうすることによって、哲学の修行を実践していることになるからで
ある。それどころか、それらを正しく扱い、正確に評価し、感情も浄化さ
せ、それらを道徳的にも高めたとすれば、彼の成長の貴重な踏み台になり得
るからである。1.6.0.4222 6 2019はい、私たちがこの地球上で生きていくのであれば自我は、そこに存在し、
また存在しなければならない。しかしながら、それは霊的な再生を果たすこ
とにより、私たちが生まれながらに持つ霊的権利と霊的意識を否定する暴君
ではなくなり、反対にそのような意識に仕えるチャネルになる。6.8.1.22223 6 2019… 静謐が下りて来たことを感じたとき、修行者は、何をしていてもそれを中
止し、出来る限り、そしてその状態が続いている限り、静謐の中にいるよう
に告げられる…15.23.6.200, 巻24 6 2019夢によって私たちの問題を解いてくれる知性は、起きている時間にそれらを
解いてくれる知性よりより高いものである。それは私たちが直感と呼んでい
る働きと同じものである。13.19.3.5425 6 2019何人かの人に知性を訴える活動とも言える執筆は、私には崇敬の活動とも言
える。古式ある大聖堂での祈りやまたは森林での瞑想の時間を終えて席を立
つのと同様の気持で私は机から離れる。8.12.5.30126 6 2019全ての弱気になる衝動を「内なる神」の強さを瞬間的に思い出すことによ
り、また全ての邪な考えを「内なる神」の無限の善を思い出すことにより、
私たちの気持から追い出さなくてはならない。このようにして、私たちの人
格は、陶冶され、気高くなっていくのである。5.6.1.14627 6 2019人々を哲学に誘おうとする人は誰でも、自身の毎日の生き方により、その教
えの魅力を示さなければならない。彼は、全ての人々に対して愛を実行し、
真理の力に依存した生き方を続けていかなければならない。純然たる利他の
精神により、他人に対して密かに祈りを捧げ、自身を神に捧げる祈りをしな
ければならない。13.20.4.26028 6 2019良い人格をつくるということはこの修行の始まり、中間そして終わりでもあ
る。1.6.0.3629 6 2019… 幸福を求めて事物や人々を見ようとすると、それを見つけるのが困難にな
る。幸福を求めて、「精神」を見ようとすると、それを見つけるのが容易に
なる。しかし、人は自身の生存を豊かにするため、事物や人々を必要とす
る。そこで重要な秘密は彼が「精神」に自身の幸福を見つけたとき、それを
実現するために、人々や事物が自身の方法により彼に近付いてくれることで
ある。12.18.4.143, 巻30 6 2019
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