毎日
これらの教えは世界において現在ではこれらの形態で現れた、何故ならそれ
らが一部の人類の需要に相応しているからである。13.20.2.11 6 20181日のうち、高位の自己について思考し、想念し、瞑想する時間を僅かしか
取ろうとしない人は、彼らが与えたものに対して釣り合う霊的見返りを正当
に期待することは出来ない。3.3.1.542 6 2018この段階が到達された時、「内なる神」を思考する注意に専念するのは、瞑
想を実践する特定の時間だけではなく、昼間の活動の間ですら続けるべきで
ある。注意は何度も何度も回帰されなければならない…15.23.6.204, 巻3 6 2018私たちは地球上の悲しい人生と平和な永遠の生活に橋をかけることが出来る
のだろうか。これらの2つの世界はいつも離れているものだろうか。全ての
預言者、賢者、そして聖者は、第一の質問については肯定し、2つ目の質問
については否定して答えている。2.1.2.314 6 2018
人が、神聖さを持っているのは彼自身であるのを発見した時、他の人々を探してあちらこちらに行くのを止める。14.22.7.785 6 2018
自己の欠点に一つ一つ対処していくことは長過ぎるだけでなく、時間がかか
り過ぎ、不十分で、否定的な面もある。それはそうではないものや、そうす
る必要のないものまで含めてしまう。それはそれで良いが、十分ではない。
小さな自我に関与してしまっているからである。それに自己の最高の存在を
想起する修行を付け加えなければならない。これが肯定的なことであり、そ
れは彼が既に進行してきた修行を終らせる恩寵を齎してくれるからである。
それは、彼を自我の過去から「内なる神」の「永遠なる今」に運んでくれる
のである。15.23.5.1736 6 2018全ての他の人々の身体だけではなく、彼自身の身体も含め、「超意識」の目
的物として考えていかなければならない…15.23.6.107, 巻7 6 2018この「修行」により、一瞬の間、または全ての時間を、全ての事柄を忘却す
るように求められたとしたら、それは私たちがその交換条件として、無限に
優れた何かを受取ることが出来るからである。「修行」が、地球上の欲望を
放棄するように私たちに求めるのは、私たちを不幸にするためではなく、私
たちを幸せにするためである。3.2.7.298 6 2018見えない聖なる存在が宇宙で活動していない瞬間はない。全てが聖なる
「力」と聖なる「智恵」により、運行されているのである。16.26.1.2189 6 2018啓示を垣間見る事には幾つかの結果が伴う、それは眠れる気持を覚醒し、修
行する心を暖め、真摯な気持を深め、成長する心を速める。14.22.7.11810 6 2018静けさを求める人は、それはいつもそこにあると告げられる。実際、それは
誰でも所有している。しかし、先ず初めにそれを入れ、その次にその入れる
方法を学ばなければならない。先ず初めに、思い出すことであり、二番目は
内部からの導入を認識することである。それ以降は静寂そのものが案内し、
それに導いてくれるであろう。15.24.4.5111 6 2018彼が、小さな自我から自身の人生を見るのを止め、自身の転生における発展
という広い立場から見直した時、高い意義を持った新しい意味に包まれるで
あろう。「世界意識」に自身の考えを結合することが彼の新しい義務と幸福
になるであろう。6.8.1.16912 6 2018全ての存在の本質は--世界のそしてあなたのそれは--何かがそうであるとすれ
ば、真実でなければならない。世間は幻像であり、あなたの自我は虚構かも
知れない、しかし、その究極の本質はそのどちらでもない。真実は他の場所
ではなく、ここに存在すべきである。16.28.1.1513 6 2018彼は、欲望の奴隷を放棄するだけでなく、知力の奴隷をも放棄すべきであ
る。15.24.4.7914 6 2018無知と制約によって閉じ込められた彼の「私」は、修行によって前向き、上
向きに彼を引っ張り、やがてそうなる彼に比較した場合、小さな問題であ
る。統御され、浄化され、その位置を正しく占めた彼の自我は、「内なる
神」を謙虚に崇拝し、今ですら、心に幸せを与え、精神に平和を齎すその日
の悟りと覚知を、有難く受取ることが出来る…14.22.5.104, 巻15 6 2018… 思考を放棄することは内部自身を明らかにする…
15.23.6.88, 巻16 6 2018この内的作業が十分に進んだ時、ある性格的特質が強力になるか、または初
めて現れる。忍耐力、善意、堅実さ、制御力、平和感、均一性等が挙げられ
る。2.1.5.38917 6 2018最も深刻な瞑想は、瞑想者を完全に異なるレベルの意識世界に連れて行く。
世間特に彼自身についての思考を完全に忘れさせてしまうのである。15.23.7.6818 6 2018自我は常に修行者の目的を失敗する方法や手段を発明する。そして、それは
修行について協力し、その経験について共有する段階になるとさらに精力的
かつ狡猾にそれを進めて行く。6.8.4.31719 6 2018… 全ての事物は最終的に滅びてしまう、しかし人だけが 意識的に 高位の
「意識」に滅入して行くのである。16.26.4.42, 巻20 6 2018太陽が沈み、夕暮れが始まり、色彩も暗くなり始めた時、私たちの心も「自
然」と共に大きな休息に入ることが出来る。気性が敏感で、美的、宗教的、
霊能力のある、または「自然」を愛している人は、日中から夜にかけての移
行の瞬間を契機として自身の魂に近づくことが出来る。3.3.7.10721 6 2018何が最善の慈善で、真実の人類愛であろうか。人が最大の幸せを齎すため、
必要な全てのリソースを自身の中に見つけられるように教育することがその
答えであろう。3.2.8.10022 6 2018彼は世界をまるで初めてのように見始める。しかし、彼が今見るのは、その
美しさであり、協調性、内的意義、そして高位の目的である。彼がさらに注
意を払うのは「自然」の魅力であり、新しい喜びにより、変化したその色合
いと形を観察するのである。14.22.7.8123 6 2018… 獣より人を分ける最高の可能性は、真理への洞察であり、聖なる源泉を体
験することである。16.26.4.40, 巻24 6 2018万一、聖なる動きが1つの宇宙で終ったら、それは他の宇宙で同時に続く。
万一、私たちの「世界意識」が最終的にその源泉に戻ったとしたら、他の
「世界意識」と他の世界がそれを続ける。創造には始めがなく、終りもない
のであるが、身体の中と外の個人の生涯に幕あいと休憩の期間があるのと同
様である。16.27.2.5125 6 2018人生の幸福と不幸が哲学者にとってほとんど重要でないという考えは正しく
ない。自己の利益を捨てて正しい判断をするということは、世間の価値を無
視することではない。15.24.3.2926 6 2018「人はその身体ではない」というこの教訓は、それが前の時代に信仰的感情
によって学んだと同様に、現代でも理性と知性により学ばれるであろう。6.9.1.17927 6 2018実際の生活でも、彼は明瞭な頭脳を持ちながら、利他の気持を持ち、強い意
志の力を持ちながら、微妙な直観力を持っている。13.20.5.3828 6 2018… 自身の瞑想技術にのみ関心を持っている瞑想者は、あたかも一撃にて煉瓦
を切ろうとしている空手の修行者が、煉瓦に自身の精神を集中させているよ
うなものである。これは誤りである。しかし、自身の精神を「内なる神」に
集中している瞑想者は、自身の思考を煉瓦の下の地面に集中させている空手
の修行者と同様で、この方法が成功に向かう。しかし、このような助言は、
集中力が要請される初期または初歩の段階の瞑想には向いていない。反対
に、思考を自由にし、自己を無にすることから成功が訪れる上級の段階に属
している。15.23.7.33, 巻29 6 2018自己の現在の状況から抜け出したいという力強い願望が、哲学の修行を可能
とする前提である。2.1.2.6330 6 2018
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