毎日
毎日20分から30分、「内なる神」とその厳粛さを思い出すため、世間と
その出来事を忘れることは良い事である。この忘却の時間は、それが私たち
をエゴからどれだけ離れた距離に運んでくれるかに比例して、高揚し、励み
になるものとなる。3.3.1.241 5 2017これは彼にとって「内なる神」について、初めての身震いする発見であり、
その力についてのまごうことなき、初めての確証である。その後のどんな体
験もその感情においてこの体験に比肩するものはない。それは人生における
実に重要な瞬間の1つである。14.22.6.1192 5 2017ヴェーダ は私たちに、私たち自身のことを純粋な霊魂と常に想い、思考する
ことにより、幻想を克服し、真理を獲得することが出来ると言っている。15.23.6.1623 5 2017
… 新しい生命が彼自身の中で誕生するが、それは初期の段階でしかない。こ
れらの啓示が自身の霊的存在について知らせてくれるが、その存在と合一す
ることはまだない。それらの啓示が彼を感覚に依存する眠りから目覚めさ
せ、また知識においても、その欺瞞から目覚めさせたとしたら、その主たる
目的を果たすことになる…14.22.8.107, 巻4 5 2017エゴは、過去世の何回もの生存を経て形作られた傾向性、親和性、反感を遺
伝として受け継ぐ。6.9.2.385 5 2017動物としての遺伝子とホルモンに従うか従わないかの選択は人間に属すが、
それらに従ってしまうという傾向性は初期の段階に属しているので、古代か
らの問題でもあり、人間が制御するようになるのは非常に時間がかかる。こ
の古代からの超越が完全になされた時、人は真の人間となる。16.26.4.476 5 2017魂について初めてそれを垣間見る瞬間からそこに同化する最終段階まで、彼
が彼自身以外の人に発見しようと望み、希望していた愛は、自身の中でしか
発見できないという真実を受け入れるよう導かれる。本当に愛すべき人は実
は人ではなく、存在なのである…2.1.5.406, 巻7 5 2017この件についてはコーランの言葉は文字通り解釈されなければならない:
「信者は急ぎアラーを思い起こし、全ての仕事を離れよ」と。15.23.6.2038 5 2017やがて人はあまり価値のない事柄を追求することは止めるようになる。思考
を鎮め、内的平静を望むことが深まるととともに、これら意味の無い世間の
出来事について今までのような自動的な反応は徐々に無くなっていく。3.2.2.919 5 2017彼が可能な限りの深い精神状態を経験するとき、全ての精神的行動は休止
し、終息する。これにはエゴと同化することも含まれる。悟りの到来を阻害
するものはもう何もない。15.23.8.7610 5 2017私たちはつまらない問題や暗い悩みを抱えてどうして神に向かおうとするの
であろうか。何故、物乞いとしてのみ、または不幸な時や、惨めな時、また
は病の時にしか向かおうとしないのだろうか。嬉々として、神のためにの
み、神を愛するためにのみ、向かうことは出来ないのだろうか。12.18.1.9511 5 2017芸術作品を心から鑑賞し、また自然をこよなく愛して調和することは、私た
ち自身の神聖に近づくことである、やがて深奥の存在は忘我の喜びと言いよ
うのない静謐に包まれる。9.14.1.612 5 2017内的意識の扉は開かれた、徳性の再開発は始まった。真理は彼の意識の深奥
に時には急激に、そして時にはゆっくりと訪れる。そしてこのように訪れる
が故に、彼自身の内部に存在する神より来訪するが故に、それはダイナミッ
クであり、創造的であり、強力である。彼がこの崇高な顕現に気付き始めた
とき、自身の性格がそれとともに変化していくのを気付き、また他の人も彼
の行為が崇高な基準に基づいているのを気付き始める。14.22.7.7713 5 2017エゴが彼の中に存在するにしても、それは徹底して浄化され、完全にチェッ
クされている。彼の思考と行動の原理と傾向性はエゴを超越したレベルに基
づいている。16.25.3.31614 5 2017自己の欠陥を超え、「内なる神」にある完全さを見よう、それが、神によっ
て造られた人間の本当の姿なのである。15.23.1.6215 5 2017もし彼が自己の直感に気を付けていれば、彼が何をしていようと直ちにそれ
を中止し、それに沈思するであろう。彼は「長期修行」の決められた修行に
依存するのではなく、反対にこのような突発的とも言える修行に益々依存す
るようになるであろう。14.22.1.13416 5 2017「長期修行」では「悟り」に直接導かれることはないが、障害を無くし、求
道者に準備をさせ、「短期修行」への道を開く、それがやがては悟りに繋が
っていくのである。15.23.4.4817 5 2017内的呼びかけが来た時は、1分であれ、30分であれ、現在していることを中
断し、リラックスして、それに集中しなさい。意識を世間より離れさせ、
「意識」に集中し、「注意力」を集中させなさい、そしてそれら全てを静か
に受動的に行いなさい。14.22.5.14218 5 2017もし、私たちが私たちの欲望についてと同様の注意を払ったとしたら、手品
が起こるだろう。「悟り」は、ほどなく訪れるはずである。14.22.1.12719 5 2017全ての動物は転生を続けなければならない。しかし、人は修行に入ることが
あり、時とともにその過程を中止することが出来る。16.26.4.4120 5 2017誰もが感じ、考え、行動し、話さなくてはならない。しかし、誰もがこれら
の行動の遠い将来、または近い将来の結果について、あるいは早く出る、ま
たは遅く出る結果について把握している人はいない。誤った目的や無価値な
欲望を選んだ者は誰でも、その選択の結果を受けなければならない。全ての
邪悪な行動には、辛い退却が隠されている。その過程は積み重なっていくも
のである。それぞれの行為は同じような下り坂で次の行為を生む。正義より
逸脱するそれぞれの行為は、正常に戻ることを益々困難にしていく。6.9.3.7621 5 2017時に訪れる「内的気付き」について、出来るときはいつでも世間の俗事から
数分間離れ、その感情が何処に導こうとしているのかについて、直ちに集中
することは重要である。14.22.1.284, 巻22 5 2017全ての人にとって希望はある、貧乏人にも金持ちにも、善人にも悪人にも祝
福はある、何故なら全ての人がこの偉大なる光明に照らされるからである。
しかしながら、その光明はある人にとっては、容易に素早く訪れるが、ある
人にとっては時間がかかるのである。2.1.2.47323 5 2017悟りを開いた人にとってベールが取れ、普遍的生命の内的意味が理解された
ということだけでは十分ではない。彼の努力はそのように急に終ることはな
い。何故なら彼は他の人が救われていないときは、自身の救済が完全だとは
考えないからである。従って、彼は他の人を救うことに専念する。しかし、
それを実行するためには、地球上に何べんも生まれて来なければならない。
何故なら人は他のどこでもない、この地球上でのみ、その目標を達成するこ
とが出来るからである…16.25.4.16, 巻24 5 2017私は仏陀の微笑みの謎についてよく聞かれることがあった。その意味は、仏
陀が、既に所有しているものを数年もかかって追求し続けた彼自身に対して
笑っているのであって、----それ以外にはない。15.23.8.18925 5 2017自然界の美を探しているとき、人は自身の魂を探している。この「聖なる
美」を発見したとき、それを讃えることにより、人は動物の身体を持つだけ
でなく、彼自身が高位の「力」に支えられていることを認めているのであ
る。3.3.6.7226 5 2017このように「短期修行」と「長期修行」合わせて実践することは、完全でバ
ランスのある進歩を齎すだけでなく、速やかな進歩をも可能にする。何故な
らこれらの相反する2つの修行が相互に修行者に影響を与えるからである。
この2つの修行法がひき臼のように彼の欠点を粉々にしてしまうのである。15.23.5.16327 5 2017それは彼自身の心の奥に存在し、彼の意識に隠されている。誰もが必ず必要
となるこれらの教えが正しいこと、それを誰もが証明するものを持ってい
る。14.22.3.42928 5 2017例外なく誰でも、人は進化の流れが齎した人生を送り、彼の生活は前世の無
数の転生の結果であることを忘れてはならない…3.2.8.48, 巻29 5 2017瞑想が深くなればなるほど、それを終えたときに見る世間の魅力は益々無く
なっていく、彼を駆り立てた古い動機は弱まっていくのである。15.23.7.32730 5 2017私たちの中にある生命は死をもって宇宙にある別の生命に移り行く。それは
生命が私たちの中にあったのと同様に確かな事である。それは失われること
はない。それ以降、他の姿で、他の身体の中に生まれてくる。6.9.1.18731 5 2017
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