毎日
身体と感情が訓練によって浄化され、知力が瞑想の習慣によって啓発された
とき、人は「短期修行」の準備段階は終わったと言える。15.23.1.1351 5 2016... 過去世においてつくられたカルマは銃からの弾丸のようである。私たちは
思い出すことは出来ず、その結果は耐え忍ばなければならない。しかしなが
ら、私たちが一度、霊的指導者に自己放棄したとき、私たちの手を取り、そ
れ以上の悪いカルマを招かないように支援してくれる。6.9.3.146, 巻2 5 2016過去の追憶、取り分け執着していることの追憶はエゴを増長させ、維持させ、
保護する。修行者は追憶については大まかに記憶することに留めるべきであ
る、何故ならこの世の人生も所詮は夢に過ぎない一コマなのである。13.19.4.1873 5 2016イエスは天国を辛子の種子になぞらえたが、ユダヤ人にとってはそれは小さ
いものの譬である。どうしてそのような譬にしたのだろうか。何故なら初め
は天国は経験するものではなく、直感なのである——その直感も極めてぼん
やりした小さなものから始まるからである。14.22.1.2814 5 2016遺伝からの影響と環境に左右されることは人の行動に対して決定的な影響を
与えるように見える。しかし、「魂」を呼び起こし、それに急いで支配権を
与えてみようではないか、そうすればそれらの影響は全て消えてしまう!14.22.2.995 5 2016人の人生はそれぞれ独特である。他の人によって決められた方法に合わせる
生き方や、他の人に適した生き方を強制することは彼の利益とはならない。
他の人のある発展段階での正しい方法が他の修行者にとっては間違っている
こともあり得るのである。2.1.5.2066 5 2016見せかけと真実の相違や虚偽の「私」と真実の「私」の相違を見抜く能力は、
五感による報告を知力の批判に委ねること、感情の起伏を理性によって観察
すること、またこれらを全て離れて直感により監視すること、さらには瞑想
により、深く自己の本質に迫ることにより、発達させることが出来る。13.20.3.817 5 2016どんなに悪かろうと私たちは全て人格に「内なる神」を反映させている、そ
れが通常は小さくて、壊れていて、変形しているのだが、それでも反映され
たものである。それを良きものにするかは全て人の能力にかかっており、そ
れを完璧なものにするのは一握りの人である。6.8.1.1298 5 2016貴方が「経験」について語るとき、先ずそれを経験する人のことを示唆し、
次に彼が経験した対象物のことを示唆する。つまり貴方は二面性の世界に言
及している。それは気高く、教訓に満ち、非凡であっても、始まりがあり、
終りがある出来事であり、どれほど時間に対する感覚が変わっても、時間に
制約されている。従って「真理」と認められることはない。16.28.2.143, 巻9 5 2016「短期修行」では彼は許しという事実を知っている。他の修行での自己批判、
自己卑下や骨の折れる自己完成などは除外しており、救済される事実を十分
に気づき始めている。15.23.5.2910 5 2016私たちは連続する出来事の中に住み続け、時間の犠牲となっている、あるい
はそのことに気づきながらも、意識を高く掲げてそのような環境から抜け出
し、それらの単なる傍観者となることも出来る。13.19.4.15411 5 2016智慧と利他の実践が彼の行動の原動力となったとき、人は哲学的に行動して
いると言える...13.20.5.25, 巻12 5 2016もし、彼が揺れ動く思考と闘うことに集中し続けるとしたら、彼は数えきれ
ない失敗の後にその闘いには勝てないと悟るであろう。何故か。その理由は
彼は同時に自己をエゴに限定しているからである。その反対の方向である「短
期修行」の方に向かい、「内なる神」、その「偉大なる静謐」、そしてその
「個を超えた穏やかさ」にその思考を固定したらどうだろうか...15.23.4.72, 巻13 5 2016... 不公平さや不正義は多くの人を悩ませるが、遅かれ早かれ因果の法 (カル
マ) により、調節される。それぞれの人は自らが与えた物と全く同様の物を
受け取る、そして現実はそのようには見えないが、この世に正義は 存在する
ことになる...6.9.1.181, 巻14 5 2016... 最高の覚醒を確立し、所願満足を目指す人は、エゴを昇華させることを何
事にも優先させなければならない、身体を治癒することさえも含めて。7.10.5.141, 巻15 5 2016力、それが世間的な物であれ、霊的な物であれ、必ず責任がそれに伴う。
13.21.5.4416 5 2016... 普通、私たちは思考が霊的とは言え、思考の中に住み、小さな自己の中に
住んでいる。従って私たちは全ての思考から離れなければならない。貴方が
「内なる神」について考えたいとしても、それは形がなく、それは無理なこ
とになる。考えることを試みても、所詮何らかの概念や形、姿では正しくな
い。貴方がそれを想像することは出来ないのだ。そうするのを停止して、黙
すしかない...3.2.1.209, 巻17 5 2016何にも増して、人々が今日必要なものは、人々のそして宇宙の背後にある「至
高の力」との何らかの接触点を発見することである。12.17.7.1618 5 2016大宇宙の無限とも言えるその豊富さは人間の感覚には到底届くことはない。
これは感覚が悪いのではない。それは制約された宇宙のほんの一握りの情報
しか受け取ることは出来ないのである。人間の感覚の領域を超え、またその
奥に潜む無数の波動が存在しているのである。にも関わらず私たちは、私た
ちの経験し、知っている世界だけが、真実の世界であり、その他は幻覚であ
ると傲慢にも主張しているのである!13.21.1.2919 5 2016瞬間的悟りは大抵の人が思うより、多くの人が体験する、しかし、持続し、
常在する悟りは稀である。16.25.2.2020 5 2016内的に、そして日毎に彼はこの概念に戻る、いつも見慣れている世界——そ
の生活空間と人々、活動に溢れた都市の生活、その自慢の文明と洗練された
文化——は、彼の意識の内部以外には存在しない、そしてその真理から推論
する...13.21.5.16, 巻21 5 2016誰人でもエゴが本当の存在ではないと十全に確信する前は、エゴが自分であ
るという虚偽の認識から離れることは期待されない。6.8.4.36622 5 2016他の何れかの著者よりも、老子は、瞑想の重要性、意義とその結果、また内
的存在が自ずと表現されるのを忍耐強く待つこと、直感が感じられ、それを
受け入れる柔軟性について最も簡明にして平易な方法で位置づけた。15.23.7.27023 5 2016大抵の人は夢が楽しい時は目覚めることを欲しないが、それが恐ろしい時は
直ぐに目覚める。同様に人生での夢は、悲劇的または大きく失望するものに
なるまでは真実の宗教を求めようとはしない。悲しみが人生の価値について
疑問を投げかけた時、世間を離れた衝動に本当の関心を持つ。2.1.2.17224 5 2016人の精神を永遠に捉え人をその高き使命より脇道にそらせてしまうのは意識
を集中する対象ではない。彼の興味を向け、深き集中力を保持すべきは意識
そのものである。15.23.8.12925 5 2016真理は既に人の内部に存在している。人はそれを中心部より自身の意識の周
辺部に取り出さなければならない。それがその視界から見えないのは深部ま
で十分に見ていないのであり、視界を遮る物を取り除いていないからである。
これらの妨害物は低位の自身の中にあり、哲学的な訓練を実践することによっ
て取り除くことが出来る。13.20.3.7626 5 2016私たちは地球上に一定のプロセスと長い時間の周期で生活し続ける。しかし、
生命の無始にして無終であることと比較して見よ。これらは一瞬の断片のそ
のまた断片に過ぎないではないだろうか。6.9.2.16527 5 2016瞬間的悟りが与えてくれる突然のオリュンポス的感動、全く異なる光り輝く
世界を窓から見るような不思議な体験、これが真理なのだ と言う内的確信--
これらが祝福となる。14.22.6.15328 5 2016個人としての人は死を乗り越えて存在し続けるが、それは不死ではない。肉
体を超えて存在し続ける「私」は、やがて深き「私」に吸収される。その
「私」を人類は発見しなければならないのである。6.9.1.18329 5 2016時間が止まったとき、彼は「高位の自己」を発見し、日常の自己は浅い自己
であることを発見したような気になる。もう一つの自己は決して変わること
はないが、低位の自己は一年中変わり、気分によって一日中変わる。13.19.4.11630 5 2016空という虚無的体験の中で、神秘家は記憶という感覚と思考が完全に閉ざさ
れていることを発見する、その空から離れた事物や特定の人を知ることはな
い... 地球上で生きることに伴う楽しい負担と不快な負担から完全に解き放た
れた意識があるだけなのだ。0.23.8.36, 巻31 5 2016
The notebooks are copyright © 1984-1989 The Paul Brunton Philosophic Foundation
This site is run by Paul Brunton-stiftelsen · info@paulbruntondailynote.se