毎日
進歩のための最良の測定棒は、初期の段階では、自我の支配の消失の程度で
あり、後の段階では、自我自体の消失の程度である。6.8.0.21 4 2022瞑想が深まると、修行者は自身の存在の中心に侵入し、そこで彼自身の最良
の存在である「内なる神」を見出す。4.4.1.2622 4 2022意志を操作し、結果をもたらそうとするのは個人的な自我である。 これは非
常に適切であり、「長期修行」の実践に適している。 しかし、関心がそれか
ら「短期修行」に向けられるとき、それはもはや意志が中心ではないので、
結果のためにより高い力に関心を持つべきである。15.23.5.1133 4 2022哲学者の祈り:「人の中に永遠に存在するもの:困ったときに依存出来るも
の、リラックスして瞑想するもの、死の向こう側の私の入り口に恵みを与え
てくれるものを祝福してください。」12.18.2.344 4 2022これらの現象はどこで発生するのだろうか。 それはいつも自分自身からでは
なく、多くの場合、宇宙の魂であり、すべての個々の心が根付いている神秘
的で未知の心からである。16.25.4.2705 4 2022それは知性ではアクセスすることができず、普通の利己的な人間には理解で
きない。 しかし、それが意識に入った修行者もいる。14.22.3.2916 4 2022私自身である小さな意識の中心は、神である無限の意識の海のそばにあり、
そこに住んでいる…16.25.1.31, 巻7 4 2022マントラの修行は、選択した単語を何度も繰り返し、それに身を浸すことか
ら構成されている。 次の3つの段階がある。(a)言葉を大きな声で唱え
る。 (b)それをささやく。 (c)それを精神的に繰り返す。 そして、繰り
返しが止まると、すべての考えが止まる。 この絶え間ない集中によって、マ
ントラは日常生活の背景になる。 他の事柄に注意しながら曲を口ずさむこと
ができるのと同じように、マントラは常に存在する伴奏になる。 人がそれに
完全に注意を向け、それに完全に集中してから停止すると、すべての考えが
停止する。これがマントラの目的である。この結果を得るには、数週間また
は数か月かかる場合がある。4.4.6.58 4 2022癒し、長寿、繁栄を求めないでください。 ただ自由になることを祈りなさ
い」と ヴィヴェカナンダは叫んだ。7.10.5.1399 4 2022私たちが過去世から知ったことは、今世における同様の経験から再び学ぶ必
要はない、それを忘れているか、またはそれを強く感じていない場合は別と
いう前提はある。6.9.2.11110 4 2022修行者が利己的な姿勢を停止したその日から、彼は欲得を望まず、自己の評
判にも耳を貸さない。老子が「道教において最も境涯を高めている人は、最
も目立たない人である。12.18.4.8911 4 2022「短期修行」においては、修行者は自我を後ろ向きに見たり、その虚妄のあ
る自我と自身を同一視することによって自分自身を卑下したりしてはならな
い。 彼は改宗した者のような熱意で新しい態度に固執しなければならない。15.23.1.6112 4 2022科学者よりも内面的な世界を知っている神秘主義者は、外面的な世界を知っ
ている科学者に劣らず、より敬意を持って話を聞く権利がある。5.7.6.7313 4 2022自己から湧き出る努力とその背景から湧き出る恵みは、この探求を成功させ
るために不可欠な2つのことである。 最初は私たち全員が提供できるが、2
番目は「内なる神」だけが提供できる。3.2.9.67, 巻14 4 2022イエス:「あなたがたはまず天国を求めなさい。そうすれば、これらすべて
のものがあなたがたに加えられるでしょう。」そして「[悟り]を持っている
者には[彼が個人的に必要とするもの]が与えられるでしょう。」2.1.1.130, 巻15 4 2022ブッダは6年を経ることなく悟りの境地に達し、しかも師を持たずに悟りを
開いた。これは、彼の集中力の深さが、誓いを守って涅槃に達するまで揺る
ぎないものであったことに注目すべきである。これは決意だけでなく、信仰
にも涅槃のような真理があるということを意味している。15.23.5.12516 4 2022現代の最大の弊害は、外見上の物質主義ではなく、内面的な無知にあり、実
用的な創意工夫ではなく、精神的なアンバランスにある。13.20.1.325, 巻17 4 2022人は人生のさまざまな時期に多くの重荷を負うが、その中で最も重いのは自
分のエゴの重荷である。6.8.3.15518 4 2022隠された期待や微かな希望、または根本的な啓示、突然の改革または迅速な
結果を得るために意識的に瞑想し、座ることは、自我を導入し、それにより
「内なる神」への無欲な道を閉鎖してしまうことになる。1.4.0.2819 4 2022あらゆる思考で、私たちは神の静けさを壊してしまうものである。 しかし、
すべての考えの背後には精神がある。 思考を生み出すすべてのものの背後に
は精神があるのだ。16.28.1.1020 4 2022彼が自己の意識に取り入れる思考は、彼が修行の「完全さ」を追求する上で
彼をさらに前進させるようなものでなければならない。3.2.4.10521 4 2022ヒンドゥー教は、最も強い形である太陽の光を崇拝している。 ヒンズー教の
聖人たちは、日光浴は体に良いと言う。 光線が穏やかなとき、つまり夜明け
と夕暮れに浴びると、多くの病気の体を治すことができる。 彼らはさらに、
この習慣が精液を血流に再吸収し、それによって肉体を強化すると主張して
いる。7.10.2.6822 4 2022ほとんどの人は、自我の限界の中でも十分快適に過ごすための膨大な能力を
持っており、そこからより高いレベルへ行こうとは思わないという事実を、
私たちは受け入れなければならない。6.8.4.13023 4 2022彼は、自分の精神的な成長のために常に何かをしようとする重荷、それがす
べて自分の肩にかかっていると信じる重荷を放棄する地点に到達するのであ
る。12.18.4.1224 4 2022エゴは欲望と好みを表現し、知性は考え、記憶し、体の感覚器官は外の世界
を経験し、知覚する。 しかし、これらの3つはどれも人間の本当の「私」ら
しさではない。6.8.1.6225 4 2022彼の研究と瞑想の効果はゆっくりとしかし確実に彼の人生に現れる。 彼の世
界観は活力に満ちて輝き、彼のスピーチは正確に形作られ、彼の行為は賢明
でより高潔になる。 哲学は形而上学とは異なり、書籍から学ぶ理論であるだ
けでなく、社会で実践される不可欠な生き方でもある。13.20.1.33526 4 2022私たちは別個の人間として誕生する。赤ちゃんでさえ、以前の存在ですでに
形成された性格との個人的な違いを示し始める。 これが、私たちが平和に一
緒に暮らすためには、ある程度の寛容さ、私たちのようにお互いを受け入れ
ることが必要な理由の1つである。6.9.2.6227 4 2022虚栄心の強い人、愚かな人、欲望の強い人は、天の御国に入ることができな
い。彼はまず、エゴを黙らせるだけの謙虚さと、その欺瞞を暴くだけの直観
力、そしてその欲望に打ち勝つだけの強さが必要である。3.2.4.1928 4 2022この絶え間なく続く心の動き、止まることのない思考の製造に終止符を打つ
こと、それがヨガの目的である。しかし、哲学の実践は、それにより心を完
全に鎮めることにより、思考はそれ自体を終了する。15.23.7.18629 4 2022人生は死のない、束縛されていないまま続いていきます。皆さんとはまたお
会いしましょう。自分が何であるかを知って、自由になろう。今日の最高の
カウンセルは、落ち着くことである、静かにしていてください。精神的環境
のプレッシャーを、あなたが本当に知っていること、そして真実であり、本
当に知っていることに侵入させないでください。これはあなたの魔法のお守
りです。 そこにしがみついてください。最後の言葉は-忍耐です!夜は夜明
け前が最も暗くなります。しかし、夜明けは必ず来ます。1.12.0.4430 4 2022
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