毎日
自我を絶え間なく攻めることによって、自我を弱めることはあり得るが、そ
れが消失してしまうことはない。何故なら闘う人は誰なのか。それは自我自
身なのである。それは明らかにより強固な側面を暫時弱める戦略に甘んじる
ことはあっても、自らを死に追い込む意志は持っていない。6.8.4.4371 4 2021… 人間は現在のレベルを超越するために、人間としての機能を使うことが出
来る…16.26.4.46, 巻2 4 2021迷信から人を解放してくれる同様の教育が、人間としての本当の深部を理解
する微妙な知識に気付かず、精神が、自身を身体の一部であると誤解してし
まう欠陥となることもある。5.7.6.823 4 2021悟りへの告知はある修行者には生涯で一度か二度訪れるのに対して、他の人
に対しては20回も続けられることがある。14.22.6.494 4 2021私たちを物理的身体に入れ、またはそこで終結させる法則は宇宙の法則であ
る。そこには些細な間違えも起こり得ない。6.9.2.1615 4 2021ある意味では、霊的問題について熟考する全ての試みは、直観を目覚めさせ
る試みである。何故なら、思考力が静まり、直観が起こり得る深い静謐の状
態に意識が入り込み始めたときのみ、成功が齎されるからである。4.4.4.386 4 2021個人の自我があるということが、意識を消失すると想像してはならない—む
しろその反対である。意識を消失よりも増加させている、何故なら修行者
は、宇宙生命の全体に触れ、その自由さを感じるからである。彼は、「私は
内なる神に従属しており、その一点でもある甲乙である」と考えるが、以前
は「私は甲乙である」としか考えなかったからである。14.22.3.3987 4 2021修行者は「内なる神」との意識の関係性を元に戻さなければならない、潜在
意識は失われるということは絶対にない。2.1.1.1108 4 2021修行者が不満となる、霊的にうまくいかないということは、神秘修行の通常
の現象である。それはいろいろな原因で起こり得るが、やがて消え去り、良
い結果が齎されることを疑ってはならない。3.2.9.419 4 2021目的を目指し、真理を求める姿勢が初期の段階では目覚ましくとも、それが
後期には障害となる。15.23.1.12310 4 2021修行者は、喫緊の義務は自己浄化であり、自己訓練であることをいつも思い
出さなくてはならない。修行において、性格を改善することは、信仰を磨
き、瞑想に励むことと同様に、時にはそれ以上に重要である、何故ならそう
することによって、自我を鎮めることになるからであり、その努力がないと
きには、それらの修行に効果が現れない。5.6.1.1111 4 2021それは文字通り自身の小さな自我から脱出し、「内なる神」へと解放される
道である。14.22.6.28112 4 2021自身は聖なる教えとして大切にしているが、他人はそれを間違いなく馬鹿に
している信仰について他人と会話をするのは愚かである。5.6.5.31013 4 2021精神は固有の欠点や限界から、また自身の感情や自己中心主義、そして所有
欲によって真理を知るのを制限している。哲学的訓練は、これらの弱点を除
去することを目的と設定している…3.2.1.3, 巻14 4 2021修行者が自身を浄化し、成長させる範囲に従い、秀逸なる直観を受ける資格
が出来る。5.6.1.2015 4 2021… 以前はたまに訪れる悟りであったが、それは今や永遠に続く境地になって
いる。天からの加護についても間欠的な確信であったが、それは既に常時の
経験となっている。また聖なる存在は即座の、そして身近なものとなってい
る。その真理と生命力は議論の対象ではなく、定着した体験となっている…16.25.2.296, 巻16 4 2021悩みがなく生きていける人は見つからないかも知れないが、それについて悩
まずに生きていける人は、哲学がある限り、見つけることは出来る。6.9.3.15617 4 2021精神がイメージを持たず、思考のない状態に入ると、聖なる意識との結合に
抵抗するものは無くなる。15.23.7.15518 4 2021自我からの幻想はその他の全ての幻想の背後にある。それが除去されると全
ての幻想も除去される。6.8.4.46619 4 2021仮に修行者が他の人に対して、善行を行ったとき、修行者に対して高位の力
が他の人を通して恩寵を与える可能性が増加する。5.6.5.3420 4 2021… 自我が繰り返し生身の私たちの肉体で生き続けるというこの理論は、理性
によって確認され、直観によって唱えられ、啓示によって証明されている。6.9.2.95, 巻21 4 2021切り刻まれた花が死を前にして、何れかの人に喜び、幸せ、高揚感や直観を
何故与えてくれるのだろうか。5.6.7.1622 4 2021個人の人格はいつも制限され、囚われているが、高位の人格は無限であり、
自由である。14.22.3.36523 4 2021… 私の研究成果が、ほら吹きと考えられる恐れから、魂についてのある発見
に至ったと言えないとしたら、少し不運な人に対して義務が欠けていること
になる…2.1.2.1, 巻24 4 2021社会に対して最高のサービスの形とは、他の人たちに対して真理を深く理解
する道に導くことである…3.2.8.122, 巻25 4 2021彼は驚くべき程の多くの信頼と、衝撃してしまう程の多くの懺悔を受ける…
何故なら彼の慈悲と洞察、彼の包容力と現実性は、人間の感情、または人間
の行為の全ての範囲を含んでいるからである。16.25.3.28926 4 2021修行者は長い年月をかけて自己観察と自己改革に大きな努力をしなければな
らない。これがその後の修行の基本となる。自己改革が完成すれば、指示を
受け、恩寵を受けるのに障害は無くなっている。4.4.4.21927 4 2021哲学は極めて宗教的であるが、宗教そのものではない。様々な宗教を信じる
人々はそれぞれの方法で学習し、実践するべきである。12.17.6.18528 4 2021「汝は塵なれば、塵に返るべし」という聖書の一文を、中世のユダヤ教神秘
思想家やイニシエーションを受けた古代のラビたちは、一般的に輪廻転生を
意味すると解釈していた。6.9.2.19329 4 2021自我からの大きな開放が達成されると、肉体の器官はそれを反映する。筋肉
の緊張感は消え去り、手、肩、首、顔の表情や下肢は修行者の精神がリラッ
クスされたのに応じて自然とリラックスされる。修行者は改革されるのであ
る。3.3.3.3530 4 2021
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