毎日
人生は、長い探索の後、自身の神聖が戻ったとき、今までと全く異なるもの
になる。14.22.7.1581 4 2020私は、釈尊の隠れた微笑みについて良く聞かれることがある。それは — も
しかして — 自分が既に所有している物を長年に渡って探したことに対し微
笑んでいたのかも知れない。1.23.0.632 4 2020エマーソンはこの実践を知っていた。「神を思い出すことにより、ネクタリ
ンの甘い香りのような至福に満たされる」と言っている。15.23.6.1573 4 2020… 瞑想の利益は通常の人生でも霊的求道でもともに応用できる。私たちの霊
的機関に全ての思考を思うように止め--身体、神経、呼吸、感情そして思考
等、その存在の全てに深い休息を与えられる意味を考えてみるが良い…1.3.0.15, 巻4 4 2020彼が失敗しても続けていくならば、ある日、自身の限界のある能力ではこれ
まで、勝利し、成就することが出来なかった力を所有していることに、突然
気づくであろう。この贈りものが—それ以外の何物でもない—恩寵なのであ
る。12.18.5.1495 4 2020消滅しなければならない自我の根底にある思考は他の生き物と分離されてい
るのではなく、一つの無限の力より分離されているのである。15.23.8.1566 4 2020恩寵にのみ結果を頼ろうとすることは、宇宙の法則である因果応報の法の存
在を否定することになる。努力の必要性は、因果応報が低位の動物から高位
の霊的存在まで含め、進化で重要な役割を占めていることを理解できない人
だけがそれを無視することが出来る。12.18.5.817 4 2020自身の現在の身体を超えて何かを感ずる瞬間があった場合、それは貴重な瞬
間である。それらは心から歓迎し、瞑想や想念でそれらに常に浸ることによっ
てその体験を強めるべきである。これらの美しい霊感の瞬間と深い観想はそ
れ自体が神秘的体験である貴重なものである。これらの体験は、修行者が外
的執着や、自身の感覚のみが真実を表していると思う傾向性より分離するの
に役立つものとなる。15.23.6.1888 4 2020人間の動物的立場しか見ない唯物主義者は野蛮で情欲に走りやすいが、人間
の知的立場も見る唯物主義者は格段にもっと進化している。しかし、双方と
も直観的立場を見ていない。5.7.6.1519 4 2020人が最高善の内的生命に触れ、その存在、その美と平和を知ることは可能で
ある。その可能性は実現できるだけでなく、慣性化することも出来る。自己
の通常の状態とすることも可能である。14.22.8.9010 4 2020… 完全な内的静謐さの瞬間は訪れることがある。通常の慣れ親しんだ自我は
稲妻のように突然、瞬間的に消滅する。これらの瞬間を固く記憶としておこ
う。これらの思い出が瞑想とそれを目標とするために、数年間使用されてい
くのである。15.23.6.186, 巻11 4 2020「内なる神」には否定的な感情は存在していないので、否定的なことで満た
されている自我と同じ胸中に住むことは出来ない。これが悟りへの兆候が瞬
間的な理由であり、全ての否定的考えを初めに洗い流すことが永遠の悟りへ
と広がる理由である。14.22.8.6712 4 2020宇宙の基本は均衡である。このため、宇宙は衝突することなく、進化するこ
とが出来る。自然や神と調和して生きようとする人類は、自身の性格の基本
として均衡に努めなければならない。13.20.3.27913 4 2020悟りへの覚知を目前に、自身が如何に「罪深かった」を思い、克明で強烈な
自責が起こるかも知れない。自身の存在そのものを疑うものであるかも知れ
ない。しかし、それは成人に成長していない子供が成人を裏切ったと言えな
のと同様に、自身が最高で高位の人格を裏切ったと言えない感情である。こ
のように理解し、自身を許そう。14.22.6.37314 4 2020遠方の風景を観察し、または洞察のこもった音楽を静かに聞くことにより、
思考に沈潜したときに起こる周囲の環境からの脱却は、「私」が、深い存在
に極めて近く接近した象徴である。この体験の深いレベルでは、自我という
思考は消え、「本当の自分である私」が宇宙の普遍的「意識」と交わってい
るのである。15.23.7.5715 4 2020この想念を都合の良いとき、また可能なとき、また都合が良く、可能なとき
は出来るだけ長い時間、実践することが必要である。15.23.6.18916 4 2020憎悪の壊滅と激情を鎮めることに意志を使用するより良いことがあるだろう
か。何故ならこれらの二つの原因だけで、数多くの悪業が生まれ、その結果、
多くの不幸を体験しているからである。5.6.4.14317 4 2020この気付きと共に彼は人生における自身の目的を普遍的な目的のために移行
していくのである。14.22.6.37118 4 2020マハリシも、オーロビンドや、聖フランシスも、あなたを救うことは出来な
い。聖なる魂がその恩寵により、人を救うのである。これら聖者の法話は
信仰を生み、精神を和らげ、正しい視点を与え、あなたの集中力を研ぎ澄ま
せてくれるかも知れない— だが、救済を保証することはない…12.18.5.69, 巻19 4 2020瞑想における恍惚のとき、または失望したときなど、人が様々な方法で求め
るあの「意識」は、既にそこに存在しているが、自身の小さな意識により、
変形しており、歪められている…6.8.4.193, 巻20 4 2020あなたが怒りと憎悪を持っているとしたら危険である。その感情を誰かに向
けるという邪悪な行動に結び付かなくとも、それらはあなた自身に取って邪
悪である。即刻、それらを撲滅せよ、あなたの全てのシステムからこれらの
心理的毒薬を絡めとれ。5.6.3.1121 4 2020… 人が聖なる魂を持っていることを知ること、そしてこの事実を不動の確信
で知ることは、正しい祈りと哲学的瞑想の最初の報酬である。人の真実の魂
は自身の感覚や思考からは隠されており、隠蔽されている。しかし、これら
の修行により、より高い能力である—直観—を覚醒することにより、この魂
に辿り着き、それを知り、愛情を持って迎えられるのである。1.3.0.15, 巻22 4 2020彼らは泣くような祈りで慈愛ある支援と寛大なる慈悲を神に懇願するが、一
瞬でも無知なる生き物が、彼らのために飼育され、殺戮されていることに思
いを致すことはない。1.5.0.2123 4 2020音楽ほど恩寵の至福の瞬間を再現する言葉はない。ヘンデルのメシアやバッ
ハのクリスマスオラトリオなどの曲を通じて人類が受けた祝福の贈り物を考
えてみよう。12.18.5.5724 4 2020意識または思考のような人の存在の一部を確保しておくことは必要である、
何故ならこの独特の記憶のみが、全ての他人との異なる価値を物語るからで
ある。15.23.6.16725 4 2020私たちは自己を分析することで自我を壊滅することを支援している。しかし、
このことはその分析が不偏であり、「短期修行」の姿勢により、公平さがあ
る時のみ、それが言える。そうでないときは、自己に対して過度に囚われ、
自我の欠点を助長してしまう。6.8.4.17826 4 2020形而上学の真理は学問の世界では定位置がない、何故なら学問の理屈はどち
らかと言うと唯物論にもとづいているからである。5.7.7.4527 4 2020真理を追究する人にとっては、それは暇をつぶす趣味ではなく、知的な興味
を追うものではなく、差し迫った道徳的挑戦である。2.1.1.11928 4 2020成長過程で彼は人生についての考え方を徐々に感情的なものから、知的なも
のに変えていく。この結果、低い生き方からより高い生き方を示していく。
しかしながら、行動において厳粛なもの、判断において公平なもの、慈愛に
おいて暖かいもの、そして品質において直観的なものにするものは知性であ
る…5.6.5.125, 巻29 4 2020私たちは今まで悟りを求める人の状態を考えてきた。しかし、それを得た人
の状態とはどのようなものであろうか。これも綿密な検討が必要である。何
故なら、その状態は私たちが将来のある日に到達しているからである。人生
そのものにより、その状態に形成されていく運命だからである。16.25.2.130 4 2020
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