毎日
私たちを修行に旅立たせた同じ「恩寵」は、私たちを最後まで引っ張って
行ってくれる。短期修行は、私たちが恩寵の源泉の存在に目覚めた時に始ま
る。15.23.4.801 4 2019彼は「内なる神」についての祝福された意識がなく、それへの超越した知識
もなく、それについて付け焼刃的な知識しか持っていなくとも、幸福であ
る。それで、何故幸福なのであろうか。何故なら彼は、その方法を意識と知
識の両面から発見しているからである。にも関わらず、それを待ちながら努
力し、待つことに満足しているからである。何故なら忠実に修行を続けたな
らば、その他の結果がどうして得ることが出来るだろうか。彼が五十年間、
または五十回の人生を送ろうとも、彼はそれを得ることになり、また得なけ
ればならないのである。15.24.1.932 4 2019誰かの教えを聞き、またはそれを読むことは、その場しのぎに過ぎない、や
がて彼は、自身の持つ、直感的自我と接触することが出来、そこから独自に
必要な教えを受取ることが出来る。その他のどこからも彼に取って適切な教
えを受取ることは出来ない。2.1.3.2773 4 2019「恩寵」によって沸き起こった感情は、世間のそれを分解させるような力よ
り、保護され、性急な挙動や不必要で無関係な会話によってそれを消滅させ
ようとする自己の傾向性に対しても、抵抗しなくてはならない。14.22.7.124 4 2019瞬間的啓示と共に全ての生物に対する慈愛の念が胸いっぱいに広がる--人間
だけではなく、全ての動物に対して、また動物だけではなく、植物も含め
て。ただ1つも意識して害することはないし、また出来ない。キリスト教徒
は、これを愛と呼び、仏教徒は慈悲と呼び、ヒンズー教徒は一者と呼ぶ。私
は善意と呼んでいるが、全て正しいであろう…14.22.6.94, 巻5 4 2019彼の修行は、「内なる神」の恩寵により、以前のように自我の強化ではなく、
それが静かに消滅することを、最終的に心から望む時、最終段階に到達す
る。6.8.4.3626 4 2019… 霊的崇敬の欠如、道徳観の低さ、カルマの法についての無知さ、欲望と憎
悪についての暴力的行為—これらが今日人類にとって極めて危険なものであ
る …13.20.2.48, 巻7 4 2019氷に覆われた南極での探検におけるスコットや、石と雪の凄まじい雪崩と闘
いながらエベレスト登頂を目指すスマイスは、1人でないような、不思議な
静けさを齎してくれた、見えざる神秘的存在があったことをその著作で報告
している… これらの人々が歩んでいた時にそばにいてくれた神秘的存在とは
何だったのだろうか。その力は「内なる神」以外の何物でもない。15.23.6.86, 巻8 4 2019人生が私たちとその他の人にとって地球上で劇を演ずる舞台としたら、カル
マは聴衆であり、全てを見ている証人でもある。6.9.3.189 4 2019彼の自我に存在する否定的な力は、彼が高尚な存在に集中しようとする姿勢
を、低い話題に集中させようと誘引し続ける。その都度、彼は何が起きてい
るか、自己の姿勢における変化を知り、即座にそれに対して抵抗しなければ
ならない。この 不断の努力に成功した時は、最終的に新鮮で内的強さが生ま
れるが、失敗した時はさらに精神的な弱さとなる。故に瞑想が有力な創造と
なる。15.23.8.11710 4 2019夢のような人生を渡って行かなければならない人から自己を切り離せ。演技
はしなければならない、だが切り離すことは内部で実行することが出来る。15.24.3.21311 4 2019それぞれの人は、崇高な魂を持っているという楽しく古い真理を発見するこ
とにより、新鮮な自分になれる。それを発見するのに死まで待つ必要はな
く、あるいは亡くなった聖者の言葉にのみ、依存する必要はない。2.1.2.15912 4 2019「最高位の真理」に到達することを望むなら、人生を管轄する「高位の法」
についての知識や性格についての純粋精神や謙虚さを求めなければならな
い。13.20.3.6413 4 2019今までのいくつかの再生を通じて形成してきた人格から今日のそれに至るま
で、またそこから始めなければならない性格に合わせ、彼に最も合う方法に
より、遅く、または早く歩みを進めよう。2.1.5.19414 4 2019老子は「自己の意思により何かをするのではなく、天国の意志に任せよ、そ
うすれば全てを君のためにしてくれるだろう」と言った。修行の全てが、こ
れらの賢い言葉を実践する試みとして簡潔にまとめられている…3.2.9.65, 巻15 4 2019私たちの思考は時間の経過とともに存在しているが、自我の思考はもう少し
複雑な事情で、時間と空間に存在している、何故なら身体が自我の一部だか
らである。私たちが何をしても、自我は存在を続けていく。しかし、私たち
は、自我が私たちそのものだと思う必要はなく、自我と私たちの間に距離を
置くことも出来る。そうすればするほど、私たちは公平になれるし、その反
対も事実である。6.8.2.4916 4 2019… 何が秘密なのか。それは「内なる神」、恩寵との接触である。
14.22.5.96, 巻17 4 2019それぞれは舞台に登場し、自分の役を演じ、そして去っていく…全ての人類
は役者チームの一員となり、異なる演技を次々と、異なる場所と異なる肉体
で演じていく。6.9.2.204, 巻18 4 2019そして人が限界に気付き、自己の努力による目的の達成に希望を失ってし
まった時、短期修行の恩寵による努力に準備が整えられる。15.23.4.16619 4 2019彼がこの修行に対して用意をしながらも今まで慣れ親しんできた思考と生活
に頑固に拘っているとき、「内なる神」はカルマを放ち、それから無理やり
にでも離そうとすることがある…2.1.2.175, 巻20 4 2019死ぬ時の過程が修行者の長年に渡る念願を叶えることになることがあり得
る…6.9.1.95, 巻21 4 2019彼が矛盾する多くの感情を休息させた時、思考が従順になるように訓練した
時、彼自身が自我と闘い、それを鎮めた時、彼は平和を手にする。2.1.5.36822 4 2019夢のない深い睡眠は心の不安を取り除く、何故ならそれらを悩ませる自我を
取り除くからである。またそれは身体から疲れを取り除く、何故ならエゴが
不在の結果、完全なる休息状態となり、宇宙の生命力が全ての細胞を活性化
するからである。13.19.3.9823 4 2019影が光を意味するように、自我は「内なる神」に存在するその源泉を意味す
る。6.8.1.13824 4 2019彼は自身の身体が地球上に現れる以前からいつも存在していた、原始からの
広大な何かに触れたような気がする。15.23.8.13425 4 2019強欲、欲情、大食いのように自分を解き放つ必要のある何らかの執着を認識
することは容易である。-- しかし、微妙な物を認識するのは容易でない。
自身の考えや信念から生じた執着から始めることは自我を執着することに終
る。6.8.4.38026 4 2019突然、そして歓喜の中で訪れるこれらの瞬間は特別の価値があることを知っ
ていなければならない。それらが訪れた瞬間は、全ての活動を停止し、彼が
何をしていても、それを脇に置き、話していることさえ止め、それらと共に
訪れる微妙な感情と深き理解力に静かに受身の姿勢で全ての注意を集中しな
ければならない。14.22.5.11127 4 2019もし哲学的立場によって、伝統ある特定の宗教や神秘的教団を弁護して話す
ことを止めることが出来るのであれば、それは全ての宗教や教団について公
平さと客観性により見ることを可能にする。2.1.3.14728 4 2019人類が平和に暮らしている多くの無知な動物を殺害しているときに、どうし
て自分たちが戦争で殺害される運命から逃れるというのであろうか。4.5.3.15729 4 2019… 私たちは古い邪悪の勢力が新しい善なる勢力の到来を感じればこそ、それ
らが活発に抵抗しようという時代に生きている。13.20.2.19, 巻30 4 2019
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