毎日
自我は虚構の存在であると宣言された時、その意味するところは、それは真
実の実体としては存在しないということである。しかしながら思考としては
存在する。6.8.2.321 4 2018彼の環境を変えたり、その性格を向上させたりする人の動的思考の表現が遅
れてしまうのは過去のカルマの重みの故である。しかし、それは遅れている
だけである、彼が目的に対しての集中力を持続していけば、その努力は必ず
結果を示すであろう。6.9.3.5442 4 2018宗教的献身、形而上学の学習、神秘的瞑想と洞察力のある行動の四つは哲学
修行のツールとなる。13.20.3.1743 4 2018真理への強い憧れが欠如している時は、千人の導師に会っても彼ら
の価値を認識することは出来ず、彼らの存在から何の感動も経験し
ないであろう。この憧れは餓死しそうな人の飢えのように強烈でな
ければならず、砂漠で迷った旅人のように切羽詰まったものでなけ
ればならない。2.1.6.1214 4 2018自我で凝り固まった通常の人の見解は最終のものではない。それはやがて宇
宙意識に発展するであろう。6.8.1.1205 4 2018問題は二つの面を持っている。一つ目は外的生活が時間に囚われた思考エネ
ルギーと感情を全て引寄せている時、疲弊した内的生活を消滅させないよう
に維持する方法であり、二つ目は内的生活を今まで知らなかった人々にとっ
て内的生活の始まりを生み出す方法である。8.12.4.1516 4 2018慣れ親しんだ自我ではなく、知らない自我が内部より現れ始める、ある力あ
る存在 — —気高く、力強く、そして聖なる存在 — —それが彼を統制し始め
る。14.22.2.767 4 2018菜食主義者が、苦しい立場に置かれた時、変わっているとか、奇妙な、また
は他の人と異なると思われないように、行き当たりばったりにその主義を捨
てるのは、「内なる神」よりも普通の人々を喜ばせることに熱心で、また修
行の成功よりも、人々が彼についてどう思うかにより多くの関心を持ってい
るからである…4.5.3.83, 巻8 4 2018それを見る人、聞く人または読む人に尊崇するような深い感情や精神的な
力、または霊的静謐を与える芸術作品はそれによって祝福を与えている。そ
れによって芸術家の霊感を共有することが出来るのである。9.14.1.399 4 2018「道」を理解しようとしたら、それを失うことだと、老子は宣言した。 何故
だろうか。それは心と身体が受動的になり、あたかも「道」の道具になった
ように「道」がそれらを使用するのではなく、彼らが意志の力、つまり個人
の意志の力を使用してしまっているという誤りからである。この自己の意思
を排除するということは、イエスが弟子たちに「命を発見するためには命を
捨てなさい」と勧請したときに意味したことである。15.24.3.19910 4 2018彼の自我を屈服させるということは、彼に与えられた恩寵であり、彼によっ
てなされる行為ではない。6.8.4.41311 4 2018人の努力が成熟してきたとき、悟りが自然と開けてくる。しかし、彼はそれ
がいつかは分からないし、この素晴らしい出来事を自身の意志で到来させる
ことは出来ない。何故ならこれは恩寵によるからである。12.18.5.12512 4 2018人の経験はあまりに限定されており、その知的能力はあまりにも小さいの
で、宇宙を理解しようとする試みは、知力や感覚に頼ったのでは失敗し、直
感によってのみ成功するという偉大なる預言者や教師の保証がなければ、そ
れは尊大であるように思える。16.26.4.8413 4 2018国家を指導し、民衆を支配する支配者が、人間の生存という、より深い意義
について全て、または一部の不十分な理解しか持っていない限り、これらの
国家と民衆は、1つの辛苦から次の辛苦を体験することになるだろう。7.11.3.31914 4 2018人にとって、より偉大なる智恵は、心の静謐を保っているほうが、それを活
動させるよりも、受取る可能性が高いことを信じることは容易ではないだろ
う。4.4.7.3815 4 2018… 結局、性格というものは肉体を中心として強く持続した思考の連続したも
のである。全ての思考から自由になる力を獲得した者は、自我の「私」とい
う思考から自由になる力を獲得する。このような人は、イエスの「自己の命
を失う」という訓戒に真に従ったと言える…6.8.4.483, 巻16 4 2018人の意識が啓示により逆さまになり、今まで最も大切だと思っていたことが
そうではなかったと判明し、自身の価値観が反対になり、善というものが新
しい定義になった時、彼はその日を霊的な誕生日と記す。14.22.4.8817 4 2018大抵の人は自分たちを低く見ているが、彼らはそれに気付かない。彼らのあ
る部分は聖なるものだか、それは無視され、気付かないのである。2.1.2.35718 4 2018自我が挫折し、失望し、傷つき、苦しみ抜いて、自身の性格は自分では変え
られないと悟った時、その無力さの故に、恩寵を希う準備が出来たと言え
る。自身でそれが出来ると信じている限りは、失敗する。恩寵に懇願する方
法は、静かに坐して、何もせず、静謐を保つことである、何故なら今まで全
てのやり方で失敗したからである。12.18.5.12119 4 2018自身の内的、個人的プレッシャを忘れることは、やがて「内なる神」の安ら
ぎを入れる前提条件である。15.24.4.10020 4 2018自身の内的、個人的プレッシャを忘れることは、やがて「内なる神」の安ら
ぎを入れる前提条件である。6.8.4.271, 巻21 4 2018内部からの声が、私たちが聞きたくない内容のことを告げると、私たちはそ
れを無視したくなる。14.22.1.15422 4 2018毎日、意識を魂に同化させている人の無限の力の素晴らしさは、世界のどこ
でも彼を尊崇し、献身している人に対して影響を与え、霊感を与えることで
ある。彼の物理的存在感や面談は重要ではない。その魂が彼の真実の姿とし
て、潜在意識のレベルで影響を与えるのである。この真理を認め、謙虚に、
調和の心で、霊的達人の教えを請う態度を維持した人々は、自己の力の限界
を超えて祝福ある支援を受けることが出来る。16.25.4.24923 4 2018自我が縮み、無になったとき、「内なる神」がそれにとって代わる。
6.8.4.44624 4 2018始まりも終わりもない唯一の「意識」は、変化することもなく、その奥にも
背後にも何も存在していない。16.28.1.12525 4 2018現代人は、自身でその原因をつくった身体的病気や精神的病に苦しんでい
る。その原因は、彼の思考が自我を中心にしているからであり、彼の感情が
自身の小さな自我を中心にいつも回転しているからである。それらの病から
逃れ、自身を癒すことを可能にするには、日頃から、またその目的意識を持
って、この砂漠にオアシスとも言えるものをつくり、高位の存在が齎す無私
の雰囲気に身を入れることである。7.10.2.3226 4 2018「内なる神」は彼のアイデンティティを抹殺して、それにとって代わるので
はなく、それが降伏したとき、それを包摂しながらとって代わる。14.22.6.3027 4 2018… 祈りと瞑想は直感と信仰の涵養を促してくれる----これらは同時に意志の
強化とさらに学習と反省がプラスされなければならない。哲学的理想である
バランスの取れた精神状態になるには、これら全ての努力が謂わば平行して
実践されなければならない。13.20.3.180, 巻28 4 2018彼がこの修行に全てをかけ、この修行の明るさとその訓練の全ての面に取り
組んだとしたら、全面的洞察、完全なる変容を予期することを確信するであ
ろう…2.1.5.353, 巻29 4 2018… 私たちは時代の終結の瞬間にいる。古い世界は私たちの目の前で死滅しつ
つある。しかし、死は変遷に過ぎない —生命力溢れる春の復活は古くなった
凍結した冬に続く。新しい時代がもうそこまで来ている。新しい思考によ
り、私たちは導かれ、新しい理想により守られるのである。精神的に盲目の
人は今のところそれを予期することは出来ない…9.13.4.133, 巻30 4 2018
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