毎日
夜明けより新しい物はあるだろうか。人生を変えるために何と大きな好機を
与えてくれていることだろうか。そしてそのためには「私は無限の平和であ
る」というような積極的宣言を朝一番にして、一日の基調となるようそれを
何回か繰り返すことよりも、良い方法はあるだろうか。そうすれば、どのよ
うな件に対処しても、あるいは切迫した仕事を成し遂げるにしても、平和感
を持って対処できるのではないだろうか。4.4.6.1131 4 2015... 直感の囁きにはエゴを抑え聞いてみよう、そうすればエゴに干渉されず
、攻撃的な欲求ではなく、直感による行動が取れる、それによってカルマか
らは自由になる...15.24.3.290, 巻2 4 2015科学、哲学ばかりでなく、経験や直感でも証明できることだが、一人の人の
気持ちが他の人の気持ちに移り、また一人の人の感情が、書面や話し言葉で
伝えていなくても、他の人に伝わってしまう。全ての人に共通する意識がな
かったら、このようなことは起きず、その可能性は無くなる。どんなに秘密
であり、隠されていようとも、宇宙意識に全ての人の意識が根差していなけ
れば、個人の意識の間でこのような静かなる遷移は絶対に起こるはずはない。11.16.14.573 4 2015... 外的条件に依存している人は、人生を相手にギャンブルをしているよう
なものである。自身の「内なる神」に依存している人は崩れない平静を保つ
ことが出来る。15.24.3.279, 巻4 4 2015悟りは全ての人にとって可能である。何故ならそれは動物ではなく、人間の
姿で具体化するのである。しかしながら、全ての人は精神を統御し、感情を
抑えることに犠牲を払おうとはしない。2.1.5.1315 4 2015... 誰もそれほどまで落ち込み、罪深く、弱く、あるいは打ちのめされ、そ
のため、新しいスタートが切れないと言う人はいない。子供のような態度を
取り、高位なる存在に身を任せ、指示や恩寵を待ってみよう。彼はこの祈り
を一日に最低一回、出来ればそれ以上、実践すべきである。そして忍耐強く
その後、数週間か数ヵ月、直感的回答が来るのを注意深く待ってみようでは
ないか...3.2.9.67, 巻6 4 2015... 運命は避けることの出来ない困難をもたらすときがある。だが避けられ
ないことに耐えられる二つの方法がある。一つはその経験から得た教訓を学
びそれに考え方を合わせることである。もう一つは、それを忘れてしまうこ
とだ、何故ならその苦労を背負う必要はないからである、汽車に乗っている
人が荷物を下に降ろさずに肩に背負っている人の話を思い出せば良い。「困
難」という荷物を降ろしてしまい、「内なる神」に持って貰えば良いではな
いか。15.24.3.264, 巻7 4 2015私たちは自分たちのことを少しずつ理解するために地球上に生まれて来た。
6.8.1.1628 4 2015今まで行ったことのない所を夢で訪問することは可能である。これは何も心
のトリックではない、むしろそれは遠方を見たり、行ったり出来るという能
力の1つである。13.19.3.839 4 2015... 彼は先ず五感、欲望や思考でがんじがらめの束縛から解放されることを
祈らなければならない。次に「内なる神」の存在することが実感できるよう
に祈ることである... このような解放を願うこと、またその存在の実感への
願いは疑問の余地がないほど誠実で強力なものでなければならない...「内
なる神」は単なる概念ではなく、生きた存在なのである...3.2.9.67, 巻10 4 2015人間の魂、即ち「内なる神」は、宇宙の魂、即ち「宇宙意識」とリンクされ、
またそこに根差している。16.25.1.1111 4 2015人が過ぎ去った過去の行動や感情に対して、後悔し、罪を感じ、その時の感
情に当惑したとしても、過去を大きな視点で見るならば、大きな心で見直す
ことが出来るだろう。何故なら他を許すのであれば、自己も許されるはずだ
からである。そして過去を脱却したとすれば、過去の自分はあたかも他人の
ことのように見えるはずだからである。13.19.2.5612 4 2015思考と感情、意志は人間にとって、この修行において互いに関連する三つの
機能である。思考は誤りから真実を、現象より真理を峻別するために使用さ
れる。感情は「内なる神」に対する愛に昇華されるべきである。意志は賢明
な行為と利他の実践に向けられるべきだ。これら三つは効果的な総合力とな
り、それぞれがバランスの取れた関係にすべきである。13.20.3.11113 4 2015エピクテトスは、私たちに「内なる神」を理解させ、私たちの知性がそれを
定義するのを助けようとしている。彼は言う「あなたの内部に一人のあなた
の神がいるのを知らないのですか....あなたは「神」の真髄の明らかな一部
であり、あなた自身の中には「神」の一部が存在しているのです」と。14.22.3.33514 4 2015もろい骨、縮んだ肉体、しわくちゃな顔に白髪を乗せた高齢の人は、それを
見ることは落胆する経験かも知れない。しかし、人生の他の面でもそうだが、
他の見方もあり、それは私たちが失望する見返りかも知れない。人生の教訓
を総決算し、来世に備え、それが本当に来たときに必要なことが実践できる
ようになることである。6.9.1.4415 4 2015まばゆいばかりの白光が心にあり、全身に流れているのを想像せよ。
4.4.5.1916 4 2015このようなゴールは様々な欲望に取りつかれた多くの人にとっては魅力のな
いものかも知れない、しかしながら、俗世間での多くの経験をし、価値観を
変え、一時は刺激に溢れた希望が幻想に終わった少数の「老成の人」に取っ
ては心を奪われる興味となる。彷徨える人が故郷に帰るように感じるのであ
る。2.1.5.13817 4 2015私たちが生を受け、死に至るのは身体のみであり、本当の意味では初めも終
わりもなく、「生命」そのものしかないと観察できたとき、私たちは正しく
判断していると言える。14.22.3.34518 4 2015... 思考はその対象となる事物が必要であるということが、それが「内なる
神」に入り込めない理由である。何故ならそこには「唯一のもの」しかない
からである。「絶対なる物」に入ろうとするなら、思考や事物は捨てなけれ
ばならない...5.7.8.2, 巻19 4 2015... 「聖なる恩寵」のみが修行道を成功に導くと言うのが真実だとしたら、
人間としての努力を先行させて後、恩寵の降臨に期待しなければならないこ
とも真実である。恩寵に降臨して貰うには、第一に完全、完璧で、深く真摯
にして、心からなる誠実な謙虚さがあること、第二に煩悩の存在である私た
ちを、霊的根源である「内なる神」に捧げること、第三に献身的信仰を深め
る日々の実践があること...3.2.9.67, 巻20 4 2015それは完全なる静謐の中から聞こえる囁きであり、すべての暗黒の夜を照ら
す光である。それは「内なる神」の神秘的予兆である。12.18.5.1221 4 2015陽明の弟子はよく次のように言っていた「街中、悟った人だらけである」と。
このことによって彼らは、「全ての人はエゴに隠されているが、聖なる存在
を有しているので悟りを開くことが出来る」という師匠の教えを繰り返して
いたのである。16.25.1.2722 4 2015「長期修行」を続けていてある時期にそれに疲れ、落胆し、あるいは飽きて
しまったとき、しばらく休止することを認められるべきである。それは休息
し、新しい観点のために「短期修行」に入る転換期かも知れぬ。15.23.4.16223 4 2015精神が高揚しきったとき、まるで山頂から人間の演じる人生ゲームを眺める
ような錯覚に何べんも陥る。そこでは何百万人という演技者がちっぽけな目
的のために夢中になって努力し、無益な目的のため苦闘している。人生を総
決算したとき、各自の成果がいかに取るに足らないものであり、精神的な偉
大さと道徳的崇高さが欠如した人生になっていることか。それを見ることに
より、彼自身はこの修行への不断の努力を目指そうと強く希求しなおすので
ある。15.24.3.21724 4 2015この教えはそれに頼って生きようとする人にのみ理解できる、その他の人は
それを理解していると思っているだけである。彼らの生活に長年に渡って取
り入れた人だけが、いかに哲学が実際的であるかを知ることが出来るのであ
る。13.20.1.32725 4 2015普通は瞑想の時だが、時たま啓示とともに異常な神秘的体験が経験されるこ
とがある。「内なる神」に触れ、その光が体内に入るのを彼は見る。彼は以
前の環境がまるで窓もなく厚い壁に包まれ、厚い屋根に押し付けられた限界
と陳腐さの牢獄にいたようなものであったのを知る。しかし今やその壁はガ
ラスに変わり、彼らの運命は奇跡的にも消えてしまい、彼はその陽光を浴び
るだけでなく、自己に取り入れ、さらにそれを周りの世界に放射しているの
である。14.22.6.16626 4 2015よく犯す誤りは通常のレベルの意識がただ一つの認識できる意識だというこ
とである。瞑想に成功することはその誤りから自由になることの1つの方法
である。13.19.3.927 4 2015会う人々、遭遇する出来事、訪れる場所も非常に大事かも知れない、しかし、
結局のところ、それらについてどう思うかということと比較するとそれほど
大事でもない。6.9.3.38828 4 2015子供が書くことをゆっくりと覚えていくように、修行者は誤った考えから彼
の心を開放し、彼の習慣的な思考を訓練し、本当で真実のものを少しずつ思
い出す。しかし、電気のスイッチを入れただけで部屋にある全ての物が一瞬
で見えるように、成熟した洞察力は突然一瞬の間に真理の全てを明かしてし
まう。15.23.5.20529 4 2015聖なる存在を発見するために人間らしさを捨てる必要はない、捨てるのはそ
の矮小さとつまらない目的に満足している姿勢である。2.1.5.2830 4 2015
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