毎日
瞑想は、謙虚にガイダンスと「恩寵」を請う短い静かな祈りをした後に、始
めるべきである…4.4.4.219, 巻1 3 2019主なる敵は決断のなさである。世間ではこの欠点のために苦しむ人が大勢い
る。そこで世紀の劇作家はこれを素晴らしい戯曲 ハムレットのテーマにし
た。デンマークの王子がもう少し決断が出来ていたなら劇を閉じてしまう一
連の悲劇は避けることが出来たのである。だが、その場合は、戯曲は、シェー
クスピアが描きたかったこと—ハムレットがその決断力のなさにいかに悩ん
でいたかという教訓を伝えることは出来なかった…1.1.0.26, 巻2 3 2019霊的に高度な人生の目的を喜んで受け入れようとし、自身の考え方を変化さ
せ、改善する勇気を持ち、否定的思考を肯定的思考に変えていく人は、現在、
享受している環境や幸せより、より良い環境や幸せを得ることが出来るであ
ろう。2.1.5.4153 3 2019人が--無限と有限—の二つの世界に接触できるその点はどこかと言うと「内
なる神」である。14.22.3.3074 3 2019過ぎ去ってしまった自己の履歴は--過去のものとしてそこから離れるべきで
ある、警戒心の弱い人にとっては霊的な束縛となってしまうからである。時
間のない現在に生きるべきで、生きるための仕事だったとして考え、それは
経歴の範囲に止め、そこに執着してはならない。15.24.3.2275 3 2019… 人間の精神が生まれた宇宙的経験に個人的経験をどのように関係付けるか
について、今日、深刻なそして緊急な必要性がある。宗教的用語にすれば、
それは神を発見する必要性である。12.17.7.60, 巻6 3 2019世間的人生も自我に管理させるな。あなたが真理を追究するときも、それに
依存してはならない! それは欠点だらけで、信用できない。高位の自己にそ
の重荷をまかせなさい、あなたが何処に行くかがわからなくても、未来がど
のようなものになるかわからなくても、信仰で前進しなさい。12.18.4.917 3 2019動物が死後次の生を受けるまでの休息の期間が、人間が生を受けるまでに必
要とされる休息期間と比較すると何と短いことだろうか! 動物の場合は、たっ
たの数ヶ月で、人間の場合は、地球上に住んでいた期間よりも長い期間とな
る。6.9.1.798 3 2019誰でもこの美しい体験を経験し、その栄光ある自由を感得し、その驚くべき
平静さを知った人は、いつも思い出す何かを持ったことになる… 真実や善と
美がどこかで、いつか可能となる知識が彼を覆い続ける。14.22.7.66, 巻9 3 2019多くの人々が—そのうち何人かはこの道の修行者であるが--素朴な祈りの重
要性を思い出していない。「高位の力」に対して自己の知的自尊心を十分に
卑下していない、また彼らの態度や日常の生活の中で宗教的崇敬が明らかに
欠けているのである。12.18.2.2710 3 2019私たちの生来の慣性により、私たちは習慣的な見方をし、私たち自身が過去
の経験の犠牲者になり続けている。私たちは毎日以前にしたこと、考えたこ
と、また感じたことをコピーする。私たちは時間が蓄積した意識的、無意識
的記憶、希望、恐れに生きており、自我が私たちをそれに束縛してしまう…13.19.4.171, 巻11 3 2019人が真理を求める、または神を発見しようとする契機は、彼らの自我を超え
た何かによるのである。6.8.4.36112 3 2019結果を恩寵にのみ頼ることは、因果応報という普遍的法則の存在と力を否定
することになる。また、反対に努力しない人は、因果応報の法則が、低位の
生物から高度な霊的な存在まで、全ての進化において重要な役割を演じてい
ることを知らないだけである。3.2.6.4413 3 2019恩寵が私たちに訪れるのは、恩寵がその時期を選んでいるように見える。そ
れは事実である、しかしそれだけが真理ではない。何故なら、学習、修行の
実践、訓練、自己規律、祈り、情熱や瞑想が、やがてはこれらの報奨として、
恩寵を引寄せる大きな努力として構成されることもあるからである。1.18.0.4514 3 2019これらの悟りへの気付きは断続的に来る。たまにある人には「光」が日毎に、
年毎に来て、それが続くことがある。大抵の人にとっては、この重要な瞬間
的体験が、「内なる神」を感じ続けられる感情になるように、彼ら自身でそ
の努力を続けなければならない。14.22.8.10015 3 2019全ての人々は真理を意識的、意図的に、または無意識的、盲目的に探究しよ
うとしている、しかし、彼らは、彼らの可能性、能力、環境やその準備に応
じてのみ、その探求ができる。2.1.2.44316 3 2019M. de モリノス: 「魂は純粋なる霊であり、自身で感じることはない。その行
動は見ることも出来ない」14.22.3.25217 3 2019修行を実行しなくても良い時が来る、何故なら祈りの言葉が自然と出てくる
からである。それが彼の心で自然と静かに繰り返されていく…4.4.6.64, 巻18 3 2019性交における有頂天の瞬間には、霊的に最も貧困なる人は、高位の自我に備
わる愛が薄れた、束の間と状態ではあるが、それについて感動を得る。しか
し、その瞬きは、その短さ故に彼を失望させ、その限定的で欠陥のある性格
にじらされるが、高位の愛は永遠であり、無限であり、究極の満足が得られ
る、それは完璧な愛なのである。4.5.7.10919 3 2019… 純粋な霊的インスピレーションのない国家は骨格のない社会のようなもの
である。大きな試練が来た時に崩壊するであろう。12.17.7.63, 巻20 3 2019生存への生残り競争は終了した。今後は彼の人生は高位の力に委託される。
12.18.4.18921 3 2019死に掛かっていた人や、死んだ人の顔から、死の瞬間だけではなく、死後に
ついての内的安心感を、傍観者に感じられるのを見てきた。6.9.1.10222 3 2019「短期修行」が定期的に全ての場所において、神への想いと自己反省を連続
して実践されるのに対し、「長期修行」は、決められた時間と場所において、
決められた修行により、実践される。15.23.5.10923 3 2019霊的直感を自らの内部に沸き起こすことを拒んでも、それらの感情の源泉を
消去することは出来ない。彼はその存在を持ち続け、やがては意図的、意識
的、または喜んですらそれと和解するであろう。14.22.3.2624 3 2019… 調和は、他人との関係性により発見されるのではなく、直感が、自我の隠
れ家まで追跡し、その本質を明らかにし、「内なる神」の平和な世界に住ま
せるようになった時、はじめて自身の内部に発見される…3.3.4.150, 巻25 3 2019神の性格は理解することは出来ないし、また神の法は厳粛であることは事実
である。しかしながら、神に似通った人の霊魂は入手可能であり、その直感
も利用することが出来ることも事実である。14.22.3.32026 3 2019修行とは、統御された感情であり、規律の取れた生活であり、抑制された感
情であり、育成された直感である。2.1.1.4727 3 2019人生の経験には喜ばしい体験もあり、不快なものもあるが、しかし、いつも
平静な気持を保ちたいのであれば、これらの感情が噴出する時に、第三者の
立場に立ち、これらを観察することにより、これらに対して抑制することを
学ばなければならない。15.24.3.14628 3 2019行動主義に対する過激な傾向については、静寂主義のような何かにより、ま
た過剰な行動に対しては深い平静により、バランスを取ることが必要である。1.3.0.1329 3 2019私たちは与える準備が出来ていない人に期待すべきでない。高い目的を持ち、
それをし遂げようとする尺度がある場合にのみ、その目的の妨害になる自我
は棄却されるのである。12.18.4.7730 3 2019… 神から離れる、それだけが本当の唯1つの罪である。
4.4.6.21, 巻31 3 2019
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