毎日
人間が自分自身の最も重要な部分と、自分の所有物の最も優れた部分を知ら
ない限り、人間はいつまでも自分自身を不幸にする盲目の創造者であり、自
分自身のつまらないものに騙された玩具であり続けるだろう。2.1.1.1401 2 2022バガヴァッド・ギーターには、新約聖書の「まず天の御国を求めよ、そうす
れば、これらすべてのものは、あなたがたに加えられるだろう」という命令
を裏付ける、驚くべき並行した考え方がある。インドの聖典では、インドの
キリストであるクリシュナが、弟子のアルジュナに対して、こう言い聞かせ
ている。「私を崇拝することだけを考えて、私と私だけを崇拝する者は、そ
の者の幸福を私が引き受けよう」。12.18.4.1562 2 2022数えきれないほど体験した経験と境遇のエッセンスは、自身の所有する性格
や知性または力のレベルとして今日の自身に備わっている。6.9.2.643 2 2022この思考を基本的に変更する困難さについて嘆くことはない。「内なる神」
はいつも一緒である。そこに信仰を持ちなさい。15.23.5.2124 2 2022涅槃への最後の合体を控えるのは、より不幸な衆生の悟りのために利用した
いというだけでなく、自分が本当は最初から涅槃の中にいて、そこから出た
ことがないと知っているからである。16.25.4.35 2 2022自分の財産にとらわれず、自分の家族に振り回されず、自分の欲望に屈せ
ず、常に探求に忠実であり続ける人は、まさに自由人である。2.1.2.5086 2 2022もし「内なる神」が彼を最後の暗夜で導いてくれなかったら、彼は幼児のよ
うに無力になり、貧乏人のように身の回りのものを失い、最終的には自分の
力や能力だけでは、永続的な悟りを得ることは出来ないことを、他にどうや
って学ぶことができるだろう。15.23.3.547 2 2022身体の浄化と強化は、霊的な覚醒と発展のための前提条件であり、準備であ
る ...4.5.5.74, 巻8 2 2022私たちは、超越的な存在である神を知ることはできないが、それが存在する
ことを認めることはできる。しかし、私たちは自身に内在する神を知り、認
識し、知覚し、その存在を感じることができる。16.25.1.1209 2 2022罪が赦されることは事実である。これを否定する人は、自分自身の経験を否
定している。彼らは月からその光を切り離すことができるだろうか。では、
どうして赦しを愛から切り離すことができるのだろうか。3.2.9.67, 巻10 2 2022「あたかも~ようだ」の演習: ちょうど催眠術で低次元の本性から自身を引
き出すかのようだ。15.23.6.12411 2 2022自分が執着しているエゴは、調べると自分の心の中にある「宇宙の心」の存
在にほかならないことがわかる。その後、エゴから他方へと一定の練習によ
って識別を変えられた場合、彼は人生の目的を達成してしまう。6.8.1.12712 2 2022...道の最終段階に向かって、彼らは自分自身から分離していない無限の現実
として、自分自身の中に完全に自身を発見し、二元性の感覚は消え始める。
その後、この二つは一つに融合し、「私と私の父は一つである」と心から口
にすることができる。16.25.5.275, 巻13 2 2022自己宣言は大きく分けて、「長期修行」に属するものと「短期修行」に属す
るものとに分けるのが自然である。最初の種類には、フランスの薬剤師クー
エの有名な提案がある。「毎日、あらゆる方法で、私はますます良くなって
いる」。第二の種類には、イエスの比喩的な言葉がある: “わたしとわたしの
父は一つである”4.4.6.10114 2 2022自己覚知は、未来の悟りを、高次の生命体として示す働きである......。
14.22.6.56, 巻15 2 2022西洋人は、この果てしない落ち着きのなさ、何かをしなければならないとい
う日々の焦りを終わらせ、忠実に、定期的に「主を待つこと」、すなわち瞑
想を実践することを学ばなければならない。こうして、彼は自分の小さな資
源に頼ることが少なくなり、主の、つまり、自身の「内なる神」--その智
慧、力そして恩寵にますます頼るようになるのである。4.4.1.5516 2 2022この修行の重要性は、ほとんどの人に無視され、多くの人に知られていな
い...しかし、もし彼らが、この修行が人間の生活の基盤に浸透し、人間の問
題の解決に影響を与えることを理解できれば、それに対する彼らの態度はそ
れほど傲慢でなくなるかもしれない...2.1.1.184, 巻17 2 2022彼らは、劇的に、一瞬で変わることを望んでいる。「風は吹くべきところに
吹く」とイエスは言い、恵みは予測不可能な時間に突然やってくる。15.23.4.9218 2 2022宇宙は無視すべき幻影でもなければ、退けるべき幻影でもない。それは、時
間を超越し、空間を超越し、無限であるものの時間と空間と個性を離れたと
ころで表現したものである。それは、究極の意味での「現実」ではないとし
ても、「現実」を表したものである。それゆえ、それは何らかの形でその源
の生命を共有している。その共有点を見出すことが、宇宙のすべての被造物
にとっての課題となる。16.26.1.17919 2 2022彼は自分の弱さを、それをもたらす本能と情熱を与えてくれた自然に対して
文句を言うことで弁解している。しかし、彼が自然と呼ぶものは、実際には
彼自身の前世からの傾向を受け継いだものである。6.9.2.1920 2 2022深い眠りの間に通常知られていることは、真実を覆う無知のベールである...
しかし、聖者は、彼が起きている時に持っていた意識を睡眠に運ぶ。彼はそ
れをかすかな光にまで薄めるかもしれないが、それは常にそこにある。16.25.2.180, 巻21 2 2022多くの教えでは公理ではないかもしれないが、哲学では公理である。芸術や
自然の助けを借りて、感情を浄化し、気持ちを磨き、態度を制御し、気分を
高揚させることは、精神を磨く実践となる。3.2.5.4622 2 2022外に向かっているすべての執着から離れると、自分自身の内なる自己を意識
するようになる。自分自身の本当の自己を意識することで、外に向けての執
着が自分から脱落していく。このように、2つの道のどちらを使っても、最
終的にはもう1つの道と合流する。15.23.5.21523 2 2022すべての人間の意識の原理は、確かに彼の精神的な意識と同じものであり、
第二のものではないが、彼は非常に多くの思考、感覚、感情、情熱の雲がそ
れに介入しているため、めったにこの知識に目覚めることはない...。13.19.3.11, 巻24 2 2022流れるような思考の流れにようやく終止符が打たれたとき、何とも言えない
満足感が得られる。15.23.7.11825 2 2022たとえそれが一生に一度か二度であったとしても、その覚知をきっかけに人
は変わっていく。14.22.7.12326 2 2022そのようなときに、無感覚で肉体を超えた思考、つまり本当の意味での形而
上学を実践すればするほど、「内なる神」からの直感的な流入を受け取る準
備ができる。4.4.4.5827 2 2022そのようになった という実践。修行者は、自分が想像そのものになるま
で、強烈な感情をもって、想像した人物像の中に身を沈めなければならな
い。15.23.6.11728 2 2022
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