毎日
人が変化する外的所有物に対する関心を低くし始め、それらを変化させる内
的存在に多くの興味を持ち始めた瞬間から、本当の幸福へのチャンスを増や
すことが出来る…15.24.3.279, 巻1 2 2021思考と行動の習慣は時間の経過と共に身にこびり付いているので、それが望
ましく見えても、新しい人生のスタイルを取り入れるのは長く時間をかける
苦労が伴う。6.8.4.762 2 2021それは人を準備させるものであり、多くの場合は精神と心を準備させるため
に、数年間という多くの時間を費やして準備してきた、しかし悟り自体は一
瞬の時間に過ぎない、しかし、その効果は永遠に続く。16.25.2.563 2 2021霊的修行者にとって真の師匠は究極的には一人であり、自身の「内なる神」
そのものである。人間の形をとった教師は、仮に情緒的に向上させ、または
知的理解の面で仮に支援することはあっても、他の人に永遠に続く高位の意
識を与えることは出来ない…2.1.3.102, 巻4 2 2021修行法や教え等、他の方法に限界を感じた時、また他の修行では時間がかか
り過ぎ、あるいは短い時間では理論的過ぎて、その解明には時間がかかる、
または真理は何処でも発見することは出来ないと判断した時に哲学にやって
くる。13.20.2.1625 2 2021彼は身体から発想する思考ではなく、内部に直接尋ね求めて解答を得ようと
する。15.23.7.2136 2 2021… 「内なる神」は形として見ることは出来ない、その存在は極秘である。そ
れは世間的な活動では見ることは出来ない。従って、このことに関しては注
意が深くなればなるほど、あなたはそれについて黙秘するようになる。そし
てあなたが、それと完全に一体になったとき、あなたの口は完全に閉ざされ
るであろう –何故なら自我が謙虚さを深めるだけではなく、「内なる神」が
そのように望むからである…3.2.8.43, 巻7 2 2021一生の運命は、統御されていなかった感情や欲望が単純な過ちを犯し、それ
によって決定されてしまうことがある。6.9.4.908 2 2021ときたま、知らぬ間に私たちは最善の行為または最も幸運な行為を強制的に
してしまうことがある。これは誰がそうしてくれたのであろうか。これらの
場合、カルマか、または恩寵である。12.18.5.2679 2 2021霊的進路について確固たる方針を定め、それによって満足する結果を得よう
とすることは、高年になってからも含め、遅過ぎるということはない。2.1.1.13410 2 2021それらは無限の存在から有限の人間に対して齎された祝福であり、指示であ
る。しかし、彼はそれらの価値と、その出発点を認識しなければならない。14.22.1.11611 2 2021神が存在することを以前に信じることが出来なかった人々にとっては、神が
存在するだけではなく、彼ら自身の中に存在することを発見するのは茫然と
することであろう。12.17.3.7812 2 2021性格を改善することは瞑想を何れかの方法で実践する序幕であり、大切な準
備でもある。それをしないで実践すると、破戒した場合や消極的なやり方に
対して自責の念が、瞑想における静かな時間における静謐に影響を与え、そ
れを妨害してしまう。4.4.1.48813 2 2021自分たちの幻想に囚われている大抵の人々は眠っていて歩いているようなも
のである。彼らが起きていると思っていることは、最大の幻想である。2.1.2.36214 2 2021私たちが、神が宇宙の支配者であり、管理者であり、「宇宙精神」が「宇宙
想念」の背後にあり、それを支配しているという真理を理解したときに、初
めて全ての事物と生き物が十分に配慮されるということと、全ての出来事が
神の意志によって起こっているという二つの真理を理解することが出来る。
このことは時間が経過すると、自我が物事を実践し、働き、行為を成してい
ると考えるのは幻想であり、自我はその当事者ではないことが理解できる。
このような形而上学的理解は、私たちの個々の生活の重圧を肩から下ろし、
それを神に任せてしまうという応用面に適用される。これが自我を消滅し、
それを神に引き渡すという意味である。12.18.4.215 2 2021最終的に—時には早過ぎることもあるが—カルマがその報いを齎すが、それ
が少しの苦痛でもない時は、何らの兆しも彼に与えないという条件だからで
ある。何故なら彼が思考したり、行為をした善行が、善い結果として好影響
となって戻って来たからである。6.9.3.20016 2 2021悟りへの覚知は突然またはゆっくりと来たり、去っていったりするが、この
行ったり来たりすることは彼の意志には全く関係なく行われる。しかし、彼
がこれに対して全く無力であることを意味しない。教義または経験が、ある
いは、その両方がどのような条件により、それが来るか、またはそれを妨害
するかについて彼に教示してくれる。14.22.5.5217 2 2021この修行の静かなる誘いに対して応えようとしている人は、後悔により始
め、自己訓練により、続け、自己棄却により終えなければならない。3.2.7.12318 2 2021最終的にはこの地球上で何回も生を受けた後、彼が他の人々に求めていたも
のが自身の中に求めなくてはならないということに気付くであろう。しか
し、表面的に求めるのでは発見することは出来ない。それは純粋な実体だけ
が存在することが出来る内的生命の奥深くに存在しているからである。14.22.3.23619 2 2021彼が、この教えを本当に信じているならば、彼は自身の人生の全ての場面に
それを応用することを求めるであろう。それが応用できない場面はなく、彼
が飲食する食物でさえ、疎外されないのである。4.5.3.8420 2 2021それは霊的自尊心から生まれた排他性ではなく、霊的謙虚さである。何故な
ら哲学者は、他の人々の見方はその人たちの個人的人生の経験から生まれた
ものなのでそれは尊重するべきであると強く感じているからである。13.20.5.15521 2 2021法則は仮借ないが融通性もある、罰則はその人の進化の程度に応じて調整さ
れる。法則を良く理解し、自身のしていることを十分に理解して罪を犯した
罪人はさらに多くの苦しみを受けなければならない。6.9.3.25122 2 2021この静謐が文言を使用せずに意味を伝えることが出来るとは何と素晴らしい
ことか。何故なら伝達は理性ではなく、感情を通じて実行されるからであ
る。しかし、やがてその静謐が終了すると、精神が働き始め、理性が経験に
よって判断し、文言に翻訳し始めるのである。15.24.4.21723 2 2021それを成就することは大変難しいと考えられるが、不可能ではない。何故な
ら聖なる魂が自身の内部にいつも存在しており、可能性を保証してくれるか
らである。2.1.5.14524 2 2021私たちがそう望むのなら進化と呼ぶことも出来るが、事実は同じではない。
宇宙が「宇宙想念」に従い、指示されている—これが事柄の起きている根幹
である。16.26.4.17525 2 2021この悟りへの確信が確固たるものになり、起きていても寝ていても維持でき
るようになったとき、修行者はこの道の終局にいる。16.25.2.17426 2 2021哲学の成就という問題は人が自身の力だけで、解決することは出来ない。小
さなヨットが船を推進させるため、櫂や帆が必要なように、修行者は成功す
るためには、自己努力と恩寵の両方が必要である。どちらか片方にだけ依存
するのは誤りである…3.2.9.18, 巻27 2 2021新しい次の生命を齎せてくれる同じ力が、私たちから前世の記憶を取り除い
てくれるのである。6.9.2.12128 2 2021
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