毎日
自身のエゴが粉々になって地面にたたきつけられるのを見ても、自己の父が神であること
を忘れず、そのため精神的に全く動揺しない、この人は「内なる神」の栄光ある高みにま
で上り詰め、しかも人間としての謙虚さを失わない、このような人は稀である。12.18.3.71 2 2015「均衡」を理想として修行に励んだ場合、その努力はその人の判断や意見に反映されるの
は当然である。彼は問題を全ての側面より見ようとする、特に自己の欠陥のある見方や相
手の見方における健全さも全て見ようとする。13.20.3.3132 2 2015... 人は「内なる神」を受け入れる適切な媒体になるため、何回も転生を繰り返さなけれ
ばならない。しかし、このことはそれまでは高位の力の媒体になれないのかというとそう
ではない。エゴを取り除く修行が済んでいない者は小さな部分で稀にしか、その媒体とは
なれないが、必要な修行を済ませ、全てを「内なる神」に委譲してしまった者は続けてそ
の光栄に浴すことができる。3.2.8.134, 巻3 2 2015知識が多ければ大きな力を齎すのであれば、それは大きな責任をも生むことを意味する。
「内なる神」からの恩寵を受ければ受けるほど、人は人類に応えなければならない。7.11.3.4984 2 2015私たちが間違いなく言えることは世界という観念は私たちの意識の中にあるということで
ある。観念に対応する本当の世界は外にあり私たちとは別に独立した存在であると言った
途端、架空のことを言っていることになる。13.21.2.195 2 2015私たちが他の人を助けたとき、どこでいつかはわからないが、それは必ず何らかの方法で
私たちに返ってくる。しかし、支援する本人は見返りとか報酬とかで動機づけられること
はない。同情が心の底から起こったからであり、役に立つから人を支援するのである。3.2.8.1246 2 2015それぞれの「啓発」には三つの段階がある。初めのは優しく近づいてくるようなソフトな
感情である。二つ目は 高揚感、啓示、そして平和感がこれ以上ないところまで広がる。
三つ目はその輝きは失われ始め、いつもの精神状態に戻ってしまう、そして記憶としての
み、その「啓発」は残る。14.22.6.827 2 2015エゴとして永遠に生き続けようとする欲求が遂に無くなったとき、この修行において小さ
な努力でも大きな結果を生む境涯に近くなる。だが輪廻転生の輪に飽き足りなくなるとき
は簡単には来ない。6.9.2.1398 2 2015... 神は大宇宙の全ての原子に存在する、故に大宇宙の全ての動きにも...
12.18.2.95, 巻9 2 2015何人かの人にとっては簡単だが、その他の人にとっては難しい「短期修行」の特別な実践
方法があるーーーこの方法の効果は素晴らしい。その方法は周囲の場所や人々、あるいは
何らかの体験しつつあることを心に刻みつけるのを拒否することから成り立つ。反対に
「これも夢のようなものだ」と言い聞かせながら拒否し、その後、直ちに忘れてしまう。
この実践は一回につき15分から20分かけるのが良いだろう。この方法で得られる現実的な
収穫は自己を抑制出来るようになること、哲学的な利益は幻想に迷わされないようになる
こと、神秘的な体験としては第三者としての立場を取れるようになること、個人的な利益
は自由で、幸福な人となることである。15.23.6.9510 2 2015睡眠と目覚めの間、あるいは目覚めから寝付くまでの間は極めて微妙であり、また極めて
重要である。それらの瞬間は私たちが知る限りの最高に理想的なことに考えを向けるべき
である。13.19.3.14911 2 2015... 私たちは二つの周期、二つの時代、二つの文化の間に立っている。次に来るものは単
に新しいというだけではなく、全ての点で明るく、良いものであろう。9.13.4.101, 巻12 2 2015初めて会った人に感じる親近さや、良くはわからないが、以前に会ったような印象がある
ことは、いくつかの意義があるのだろう。しかし、その一つは過去世において会ったとい
う思いから来るのではないか。6.9.2.12913 2 2015どうして多くの人は自己の神性に気づかないのだろうか。その答えは意識する機能がそも
そも霊的な存在だということである。彼らが何を知ろうとも、人はそれを彼らの内部の意
識から知る。その中では何であれ、それは神聖な要素なのである...13.21.2.136, 巻14 2 2015何らかの覚醒は人々が真剣な修行に入る通常前触れとなる。啓示とも言えるものがそれを
与えているのだろう。14.22.4.11615 2 2015自身のエゴに対して我慢が出来なくなればなるほど、それはこの道で前進している良い徴
候と捉えることができる。6.8.4.22916 2 2015... エゴが聖なる根源に惹かれたとき、「内なる神」も同様にエゴに惹かれるのである。
「神聖なるもの」は人間からの愛に対して必ず応えることを疑ってはならない。その人間
の過去とか、現在の性格とかはその希望溢れる事実に影響を与えることはない...3.2.9.67, 巻17 2 2015人類には異なる心があるというのではない、そうではなく1つの同じ心がそれぞれの個人
により異なる特質になってしまっているのである。13.21.2.13418 2 2015「宇宙意識」は遍在している。全ての人がそれに触れる接触点がある。この接触点を意識
することが出来たとき、人は遂に本当の「聖なる対話」に参加していると言える。16.25.1.3019 2 2015... 私たちの起きているときの生活は寝ている時と同様で目覚める必要がある、夢を見る
者が夢にうんざりし、あるいは誰かが起こしてくれた時と同様に、私たちも何回も異なる
転生からの数多くの経験にうんざりし、あるいは教師が現れ、真理を明かしてくれたとき、
その時のみ人生の幻想から目覚める...13.19.3.40, 巻20 2 2015彼をここまで引っ張って来た力は次の人生も乗り越えさせてくれる。彼はそれを信じ、汽
車に乗っている乗客が自分の荷物を床に置いてそれを汽車に運ばせるように、心配事を放
棄しなければならない。荷物は物事を計画したり、準備したり、未来を形成しようとして
いる欲求や執着を意味している。つまりその重い荷物を自分で運ぼうとしていることを意
味している。汽車は「高位の自己」を意味しており、彼は未来をそこに託さなければなら
ないのである。彼は内的「静謐」に生き、様々な予測や欲求、心配事や悩みから解放され
なければならない。12.18.4.17421 2 2015... 昼間の活動的な間では瞑想は想起する形を取る、いつも「内なる神」を思い起こすの
である、「あるがままのもの」(それで十分である)...3.2.1.209, 巻22 2 2015作家、ジョージ・ムーアは特に哲学に関心があったわけではない、通常はそんな主題には
目もくれなかった。しかしながら、氏が書いた文章の半分は最も重大で意義深い哲学上の
原理が含まれている。その文章とは「私の心のみ私に知られている」である。13.21.2.14223 2 2015私たちがエゴを分析したとき、経験に保持された過去の記憶と未来の経験を予測する希望
や恐れの集合した物であることがわかる。それを捉えようとしても、それを分断しようと
しても現在の瞬間にはそれは存在せず、消滅しているか、これから来るだけの物である。
実際にはそれは「現在」には存在しない、存在しているように見えるだけである。つまり
それは幻影であり、虚偽の概念ということになる。6.8.2.1424 2 2015... 私たちは文明の周期が終わろうとしている大変な時に生きている。新しい文明が苦し
みながら生まれようとしている。そこで進化を確実にスピードアップすることは現代の時
宜にかなっており、その成功は可能性は高い。何故ならそれを促進しようとするカルマの
力もあり、進化しなければならない時代でもあるからだ。そのような出来事の絡み合いと
影響性はかつてないほど人類を霊的に支援する機会となるし、また支援することは義務で
もある...9.13.4.273, 巻25 2 2015それぞれの試練の度に成功を通じて強さを獲得し、イニシエーションにおける高位のレベ
ルに到達する機会と、反対に失敗を通じて弱さを露呈し、行為を低位のそれに貶めてしま
う機会がともに存在している。3.2.3.8826 2 2015全ての人間並びに全ての動物に共通する自然な能力――これは自我の究極とも言える――
がある。それは意識である。そして意識の全ての状態で最も大切な物は知識である。13.21.2.129, 巻27 2 2015私は花が好きだ、だが庭で咲いているときと、花瓶に入っているときだけである。何故な
らそのときは生きているが、切ってしまっては枯れており、死にかかっているからである。8.12.6.17728 2 2015
The notebooks are copyright © 1984-1989 The Paul Brunton Philosophic Foundation
This site is run by Paul Brunton-stiftelsen · info@paulbruntondailynote.se