毎日
多くの修行者は、この修行は一つの霊的経験から他の霊的経験へと移行する
もの、あるいは一つの神秘的恍惚状態から他の神秘的恍惚状態へと移行する
ものだと間違って信じている。しかしながら、実はそれは 動物的な性格か
ら純粋なものへの移行であり、エゴイズムより人間を超えるものを目指す動
きである。2.1.1.311 2 2014...単なる弾みと本当の直感との違いは二つの方法により、発見できる。一
つは数日間、待つことにより潜在意識が事柄を決めるのにヒントを与えてく
れることであり、二つ目はそのメッセージに伴う感情の種類に注意すること
によってである。その感情が、怒りや憤慨、欲望、または欲情など、低次の
ものの場合、それは恐らく弾みだろう。それが寛大さや許しのような高次の
ものの場合、直感の場合が多い。14.22.1.198, 巻2 2 2014死にかかっている人にとって世の成功などどうでも良いことに過ぎない!こ
のような精神的な状況が内的に執着から離れることを意味し、修行者が身に
つけなければならないものである。15.24.3.53 2 2014もしかしていつの日か賢い人が 啓発されたエゴイズムという書物を著わし、エ
ゴも物事の成り立ち上、存在する場所があることを理解させてくれるかも知
れない。「内なる神」の大きな輪の中の小さな輪ではあるが、「内なる神」
との関係性を意識し、そこにとどまることができ、自己の機能を果たしてい
くのである。6.8.1.1984 2 2014人が自身のことだけを意識しているとき、「内なる神」からの流れは閉ざさ
れている。通常のときだけでなく、瞑想のときでもこのことは当てはまる。
人は世俗の興味や、個人的な関心事、そしてついにはこれらのエゴから発す
る霊的願望にいたるまでの関心事を、エゴを超えたところに引き渡さなけれ
ばならない。そして「内なる神」のことのみ、そしてその性格と属性、その
存在の予兆や証拠、そしてその真実や永遠性のみ、考慮しなければならない
のだ。15.23.1.535 2 2014経験ではそのようには思えないかも知れぬが、人の中には人が想像する以上
の善がある。しかし、それは深い層にあるので、それを掘り起こすには時間
がかかるのである。14.22.3.2686 2 2014人が「内なる神」であるならば、何故それを探究する必要があるのかと反論
される。確かに、この理由のため、「内なる神」を懸命に探し続けることを
中止するときが来るだろう。皮肉なことに、人は啓示を得るたびに何回もそ
の探究を休止している、そのとき人は過去も現在も、将来もそのものであり、
新しく何かを得たり、探究したりする必要はないということがわかるのであ
る。15.23.6.110, 巻7 2 2014もし 彼が、目覚め、新たな自分になることを決意し、、否定的な気持ちを
肯定的な気持ちに切り変え、「短期修行」の道に多くをかけることを決意し
たとき、そのときこそ、希望はある。15.23.1.448 2 2014目が覚めた後、前日の考えを拾い出し、また寝る前の古い人格と関連してい
る人格があるということは、就寝中も起きた後も、自己が連続していること
の証拠である。14.22.3.3959 2 2014「内なる神」の力が彼を支援してくれるという無限の信仰は、「短期修行」
の信奉者にとって持つべき信仰である....それは「内なる神」の存在と恩寵
の有効性を信じることでもある。15.23.1.12110 2 2014率直に、そして恥じらいもなく、彼は自己の内にある動物性を認める。それ
が何回もの地球上での転生を経て、時間をかけて成長したものであることも
知っている。だが、その目的は果たした。今度は高らかな目的が示され、そ
れを成就しなければならないのである。半分だけ人間という状態を超え、完
全な人間にならなければならない。このためには、困難かも知れないが、 自己を
統御することを学ばねばならないのである。3.2.4.7111 2 2014もし私たちが、真理は存在すると言わなかったとしたら、誰がそれを知るこ
とが出来るだろうか。12.17.6.125, 巻12 2 2014結婚で良き伴侶を持った人は、この伴侶を失ったとき、運命を呪ってはいけ
ない。この二人を一緒にした同じカルマが、二人の関係を切断したのである。
だがこれは一時的なことに過ぎない。実際は失われているものはない、何故
なら静寂の中に魂は魂に語りかけるからである。高いレベルの愛と連帯はい
つか、またどこかで、彼らを結びつける強固な力となるのである。多くの人
が心の底でこのことを理解している。6.9.1.14113 2 2014この最後の段階の瞑想は、深い内省的思考でもなく、また自己陶酔のトラン
スでもない。それは小さなエゴや周囲の世界の侵入を伴わない深い内的覚醒
である。15.23.7.4614 2 2014この訓練の方法は不断に「心」との親近感や「心」という現実、そして
「心」が超越していることを思い続けることである。この究極の目的は
「心」により完全に占有されることである。15.23.6.21315 2 2014内的平和が進むにつれ、外的問題は収まっていく....
15.24.2.131, 巻16 2 2014どこに行こうと何をしていようと断固たる決意で「内なる神」を思い続ける
ことだ。これがすべてのヨガの道の中で目標に効果的に到達する最も容易に
して簡単な方法であり、また最も安全な方法である。15.23.6.216, 巻17 2 2014一たび、波長があったなら、「内なる神」と長く滞在すればするほど、深さ
は大きくなる、またそれは大きな総合的利益をもたらし、アイディア、芸術、
そして直感を通じて大きな創造が可能となる。14.22.2.2018 2 2014「神秘の世界」に導かれるということは「メンタリズム」へと啓発されると
いうことであり、それが何を意味し、その結果、驚くべき結果が待っている
ということでもある。それは、人生はそれがどれほどスリルに満ちていよう
と、所詮、一夜を過ぎる夢のようなものだということを発見することでもあ
る。しかしながら、啓発されない者も永遠に無知でいることは出来ない。何
故なら死に際してこの身体から去るという出来事を通じてこの教訓を学び続
けなければならないからである。13.21.4.2419 2 2014難攻不落の力ですべての否定的考えを拒否せよ、これが「短期修行」の最も
肝要な実践である。15.23.1.11320 2 2014「心」に迫りたいという欲求が占有し、切実であるとき、彼の中には連続し
た緊張感が生まれる。3.2.9.2421 2 2014貴方の考え方の全体的傾向性と行動のすべての傾向性がたった一つのこの目
的のために強く指向されるようになったとき、また個人的な感情や性格的好
みを真理という問題を解決することに断固として従属させたとき、成功への
希望を確固として持つことができる。3.2.2.6322 2 2014「心」または「内なる神」を認めるのは初めは意識であるが、その意識を可
能にするのも「内なる神」である...14.22.3.186, 巻23 2 2014彼が経験することはその意識の中でもあまりにも小さな断片に過ぎないため、
この自己の意識は、「神の偉大なる意識」の一部であり、条件付けられたも
のであると知り、そして理解することがどうしたら出来るであろうか。14.22.3.37524 2 2014...瞑想の実践は直感を実際に深め、広げ、強めることである。神秘体験と
は直感を単に長く続けたものに過ぎない。14.22.1.282, 巻25 2 2014それは意識をその投影物である思考より切り離すことであり、それはこれか
ら哲学者になろうとしている人にとって初めにして最後の仕事である。意識
はそれで初めて純粋で無条件のものになる。15.23.7.18126 2 2014...世界は目覚めているが夢を見ていると言える人に迫ってくる、ちょうど
寝ていて夢を見ている人に迫ってくるのと同様である。ただし、目覚めてい
るときのほうが、寝ているときより意味があり、統一性があり、論理的でも
ある...13.21.3.29, 巻27 2 2014自己の「内部」に到達して、「心」を自分で発見することによってのみ、人
は自身を知ることができる。15.23.6.2328 2 2014
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