毎日
私たちが生命と知性を引き出す存在は唯一であり、不滅であり、初めもな
く、しかも無限である。14.22.3.1931 12 2021それは彼自身より偉大であり、気高く、賢く、そして強力である、そして神
秘的に、彼自身にリンクされており、それから離れる事は出来ない。それは
まさに自身を超える存在である。14.22.3.3572 12 2021創造力は私たちの全てが所有し、人間の生命の全ての分野で使用可能であ
る。彼がその力を使用し、決意に向かい続ければ、人生を築くために多くの
ことができる。6.9.4.1213 12 2021日中において余暇の時間や拘束されていない瞬間があるだろうが、それらは
「内なる神を思い起こす」実践に使用すれば利益があるだろう。15.23.6.1804 12 2021人は、自分が強く望むものを手に入れるために、自分の意志を奮い立たせ、
それを強く実現しようとする。人生の十分な経験が彼らを十分に成熟させて
初めて、この同じ意志を「修行」そのものに喚起し、それに適用することが
できるようになる。2.1.2.655 12 2021この精神的な目覚めを、時たま切望するだけでは十分ではない。修行者は継
続的に切望しなければならない。12.18.1.596 12 2021瞑想の創造的力に従い人格を発展させていく修行者は、最終的には自身の本
能が自発的に自身の低俗な欲望を拒否し、高位の自己の直観を即座に受ける
ようになるであろう。4.4.4.2107 12 2021私たちは、送られてきたものの背後にある教訓を探し出し、それに知的に協
力することができるようにすべきではないだろうか。そうすれば、「内なる
神」の意志が真に私たち自身の意志となるのである。12.18.4.74, 巻8 12 2021もし彼に同行してくれる個人的なガイドがいなくても、「高位の自己」はそ
こにまだ存在していて、それを認識する方法を学びさえすれば、誘引し、描
かせ、指導し、指し示したりする。2.1.3.78, 巻9 12 2021どんなに広大な宇宙であっても、それぞれの宇宙は有限である。しかし、考
えられる数の全ての宇宙はそうではない。無限の存在は、(人間の立場から
すると底知れぬ謎と考えられる)奇妙な必然性をもって、古い宇宙が衰退し
て消滅すると同時に、新しい宇宙を永遠に支えている。このようにして、
(人間の立場からは)無限の数の宇宙を表現することで、自らの無限の性質
を表現しているように見える。16.26.1.24010 12 2021「内なる神」への覚知に近づくと、浮世を離れた内なる静けさへと近づいて
いく。14.22.6.21311 12 2021祈るときには、自分が知ることのできる唯一の神、つまり自分の中の「神の
原理」、自身の「神聖な魂」に祈りを向けるべきである。12.18.2.20212 12 2021心が清らかになり、感情が制御されるようになると、思考が明確になり、本
能が真実味を帯びてくる。高次の自己との調和がとれた生き方をするように
なると、身体の自然な直観が活発になる。その結果、誤った欲望や不自然な
本能は......どんどん弱くなり、やがて完全に消え去ってしまう......。4.5.3.143, 巻13 12 2021個人的な自我の独りよがりで攻撃的な意志は、支配された自我の受動的な降
伏の意志に置き換えられる。6.8.4.25114 12 2021…この修行で重要な役割を果たす感性や直感を養うためには、瞑想が重要で
ある。4.4.1.3515 12 2021修行者の個人的な意識の中に、しかしその背後に、いつの日か生まれ変わら
なければならない自身の存在のもう一つの領域がある。14.22.3.377, 巻16 12 2021すべての身体的技法は間接的に役立っているが、その価値を過大評価しては
いけない。それらを肯定する人々や教師は、それらに重点を置き過ぎてい
る。彼らは身体とそれが可能とする技法にとらわれている。しかし、ただ一
つ、人間の器官で、より強調するに値するものがある。それは直感である。4.5.5.6117 12 2021自分の弱さのために自分を軽蔑するようになったとき、また自分の低次の性
質を憎むほどに批判するようになったとき、それは恩寵の到来を示す一つの
兆候でもある。12.18.5.28718 12 2021教えることに未来があるとすれば、それは現在に属する。守りに入る必要は
ないし、声高に宣伝する人を使う必要もない。その存在は、自分とは何か、
世界とは何か、そして自分の人生をどうするべきかを知りたいという、人類
の本質的な必要性によって正当化されるのである。13.20.2.146, 巻19 12 2021世界の危機は、これまで無関心だった人々の心にこれらの考えを浸透させる
ことを可能にしただけでなく、実践的かつ個人的に適用された場合には、そ
の巨大な価値を示すことができた。9.13.4.28820 12 2021仮に「悟りを開いた」という態度は、そのように想念した後にそれを厳格に
維持するならば、十分に利益をもたらす。15.23.6.14821 12 2021「悟りへの覚知」と言っても、その詳細が完全に統一されているわけではな
い。それぞれの覚知に、美しさ、力強さ、公平さ、または空観など、特定の
側面が強調される。14.22.6.16022 12 2021「内なる神」の人智を超えた直感よりも、自身の自我の意見を優先する人
は、その自我の闇の中に留まる。2.1.1.14223 12 2021すべての哲学的修行者は、瞑想や学習の前に、少しの時間を割いて、崇拝、
献身、敬虔な祈りを高位の自己に捧げ、悟りを開く努力をすべきである。12.18.2.18424 12 2021キリストの恩寵を人間界にもたらしたのは、彼の死ではなく、その生だっ
た。12.18.5.5525 12 2021これらの高貴な感情、高尚な思考、壮大な直感は、起きている変化の歓迎す
べき証である。3.3.4.135, 巻26 12 2021修行者の個人的な義務は、可能な限り早く精神的に成長することである。自
分自身のことに集中しなければならないが、いつの日か他の人のために何か
をすることができるようになるという考えを、常に心の奥底に置いておかな
ければならない。精神的な成長には、できるだけ定期的な瞑想の実践、形而
上学的な研究、直観の育成、そして真の「私」である神の魂への絶え間ない
愛情の喚起が必要である。この魂こそが、彼の中に映し出された神の光線な
のである。3.2.5.61, 巻27 12 2021修行者は、自分の欠点や弱点を発見して修正することで十分なのであって、
他人の批判にまで口を出す必要はない。2.1.5.5028 12 2021私は『人間の霊的危機』の中で、啓示からより多くのことを得るためにはど
うすればよいかを述べようとし、修行の一環としてその記憶を取り戻すこと
を述べた。このような練習をするには、夜寝る前と朝起きた時が最適である
ことも付け加えておく。その方が記憶を呼び起こしやすいからだ。14.22.5.53, 巻29 12 2021何故なら意識がその根源に引き込まれたとき、すべての思考は無くなり、心
そのもの以外の第二のものを私たちは知ることが無くなってしまうからであ
る。15.23.8.13930 12 2021修行者は、測定可能な時間に位置し、質量のある形をしているが、時間を超
越した形のないものを理解し、到達し、識別しようとしている。求めている
自己が変容しない限り、どうやってそれを実現することができるだろうか...3.2.4.38, 巻31 12 2021
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