毎日
「内なる神」に向かって精神を統一することによって、忘却することが始ま
る、一つがそうなれば他も同様になる。15.23.6.1661 12 2019哲学の修行者の生活には霊的惰性は存在せず、また個人的怠惰もあり得な
い。第一に彼は自身の改革のために不断に努力し、それが成就された時は、
他人を改革するために不断に努力を惜しまない。3.2.6.512 12 2019精神が静かな時にはそれが混乱している時より、新しい真理を発見する。思
考が静まった時、直観が始まる。このような内的静止は無用な怠惰ではな
く、創造的経験である。14.22.1.1023 12 2019彼の霊的成長は、瞑想の進化からと言うよりも、道徳律の覚醒から測れるも
のである。5.6.1.284 12 2019瞑想の糸は一度切れると、同じような時間で速やかに元に戻すことはほとん
ど不可能である。このことが身体上の姿勢も含めて、瞑想を妨害する何らか
の変化を起こしてはならないという理由である。15.23.7.1695 12 2019彼が「光」の中に堅実にそして変化なく居続けることが出来るなら、彼の意
識は高位の位置に引き上げられるだろう。14.22.4.1616 12 2019再生の概念を強く信じていたギリシャ人は、単に「オルフィック神話」の初
期の信者というだけではなく、特にプラトンに代表されるように最も優れた
思想家でもある。6.9.2.1947 12 2019カルマの法則は人々の自身の人生に責任を持たせる。カルマを否定し、全て
の非難と負担を環境と遺伝に依存する唯物論者は自己の責任を否定する。し
かし、それは幻想に始まり、それに終わることになる。1.9.0.478 12 2019もし私たちが高位の力に頼り、私たちの個人的霊的未来をそれに託すとした
ら、未来の個人的生活も全ての問題と共に同時にそれに頼らなければならな
い。12.18.4.1359 12 2019どのような人生における方法が最も効率的かと言うことが問題だけではな
く、どのような方法が最も倫理的かということが問題である。これらの二つ
の要因は免責なく無視してはならず、バランスある関係が取られていなけれ
ばならない。5.6.1.34810 12 2019どのような機能、品質、才能または性質が欠けていようとも、彼はそれを向
上するように努めなければならない。所有している何かが過剰である場合
は、それを減少し、改定するように努めなければならない。協調性、バラン
スと完全性が思考を性格づける。3.2.5.14311 12 2019彼が人生を高位の力に委任するのであれば、自己の計画を作成するのに汗を
かく必要はなくなる。内部からの欲求が行動を促すか、または、新しい環境
が行動に指針を与えてくれるか、それを待っていれば良い。12.18.4.17312 12 2019… このことはある興味深い質問を提起する、それは「無」とは何かである。
通常、この言葉は、個人的、物質的、また精神的な体験が停止し、しかしな
がら、薄い意識が残っている状態を表している。認識出来ることは何もな
く、それを知る誰人もいない、勿論、個人的記憶もない…15.23.8.183, 巻13 12 2019修行におけるこの壮大な部分は人生における正しい行為を扱っている。自身
の利益のために、個人としての性格を道徳的に再教育し、また社会の利益の
ために、利他の精神を養うことを求められる。5.6.1.614 12 2019… この稀有の体験の間、人は現世の執着や世間的欲望から自由になったこと
を感じ、そのとき、体験する深い平和感こそ、真実の幸福であり、そして神
の存在こそ、正真正銘の圧倒的事実であることを感ずる…14.22.4.203, 巻15 12 2019動物がとさつ場で殺戮に会うとき、過去、現在そして迫り来たる殺人の恐怖
の叫びや驚愕の現場の光景を思い出す。その恐れは有害な影響を秘めて精神
的に身体を駆け巡り、自身の殺戮される恐怖は尿を身体に漏らしてしまう。
この尿酸は血液で広がり、その後、有害な成分とともに物理的に身体に浸透
する。1.5.0.1816 12 2019瞑想は全ての思考が停止し、「神聖」の存在がその無の中に感じられたと
き、成功裏に成就されたと言える。1.4.0.917 12 2019この修行は全面的努力を必要とする。それらには感情の訓練や性格を利己主
義から浄化すること、瞑想を実践すること、宗教的献身と祈り、人生の経験
を通してその背後にある教訓を学ぶこと、そして世間的価値と霊的事物の相
違を絶えず比較することが含まれている。この自己進化は利他の実践により
頂点に達し、やがて「内なる神」の恩寵を引き寄せ、自身の努力を顕彰する
悟りともなる…1.1.0.70, 巻18 12 2019この道は単に遂行するだけでなく、ユーモアと優しさと共に遂行するべきで
ある。1.1.0.3119 12 2019… 私たちは自我は消滅せよと言われている、また自我は存在しないとも言わ
れている。事実、その活動があるということはそれが存在していなければな
らない。では霊的修行者にとってはどうすれば良いのだろうか。それは最終
的に高位の力に従属させれば良いのである。それは存在はするが正しい場所
に存在することになる…6.8.1.190, 巻20 12 2019静かさは怠惰な、怠けるような休息とは同じではない、それは動的で、創造
的であり、癒しがある。それを獲得出来る人の存在は、その他の大勢の人々
にとって贈り物であり、幸福でもある、他の人々はそのことは知らない。15.24.4.13021 12 2019自我としての意識は、私たちをその源泉から切り離してしまう。しかし、意
識は永遠にそうしなければならないわけではない。修行を通して、私たちは
その「源泉」に屈服した自我の状態にどんどん近くなっていく。そしてそれ
は私たちを通して行動するようになっていく。6.8.4.1722 12 2019哲学のこの問題に対するメッセージは次のようになる、君の些少な意識の円
周より目を離し、しばらくの間、その小さな「私」を忘却し、君が生まれた
偉大で崇高な「存在」を思い起こせ。12.18.1.2823 12 2019… 彼は、悟りが深くなり、全ての気掛りや重荷が消え去り、圧倒的な安心感
を感ずるであろう。14.22.6.143, 巻24 12 2019… これは悲劇である、その力や技能、意識がしばしば憎悪や戦争ために使用
されるのは。それらが「世界意識」のために協調して作業が出来るのに、自
らの不見識が自身の苦悩を招き、他人を不幸にすることは。しかしながら、
それぞれは発展し、それぞれの自我も最後には服従してしまうのである…6.8.1.191, 巻25 12 2019この修行において彼は先ず、自身の背後に非物質的で無限の「精神」が存在
することを理解しようとする、次にはそれと同一することを目指す。一例と
しては自身を内に秘めることでそれは成功し、他の例では人格を忘れること
で成功する。15.23.8.13226 12 2019理想的傾向性を伸ばすこと、現実的な傾向性を避けること、高度な知的レベ
ルを成就すること、低い道徳的レベルに甘んずること、他人を過度に批判的
に考えること、自身を卑下し過ぎること—これらの不均衡さは至急是正しな
ければならない種類である。3.2.5.12827 12 2019もし真実の光が人の内部より訪れると言うのであれば、外部からそれを達成
するという全ての方法は現実的には彼を迷わせる方法となってしまうに違い
ない。15.23.1.7828 12 2019自然の偉大さと崇高さに、その様々な表情に、森や山々、川や湖、海、空、
花々の美、これらに対して感情豊かに対応する人々は、彼らがそう呼んでい
ても、その人たちは物質主義者ではない。彼らは他の名義で呼んだとして
も、無意識的に「神聖なる真理」を尊敬しているのである。1.3.0.4329 12 2019… 転生は、自身の身体よりも、心とのほうが一致しやすい…
1.3.0.43, 巻30 12 2019人生のどの瞬間においても、老齢に達していたときも含め、霊的道に足を入
れ、満足すべき結果を得るのは、決して遅過ぎることはない。2.1.1.213431 12 2019
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