毎日
彼は、自分の部屋にいても海外で公共の場にいても、より偉大なる真理を絶
えず思い起こすべきである。「静かにしなさい、そうすれば自分は無限の力
であることが分かるだろう」はそのような真理の1つである。「静かにしな
さい、そうすれば自分は無限の喜びであることが分かるだろう」はそのよう
な真理の他の1つである。4.4.6.1501 12 2017聖者は人に会う時はその人のレベルまで自己を落とす。その上でその人を少
し引き上げるのである…12.17.6.128, 巻2 12 2017これらの教えを学ぶ人は、死は身体には終結を齎すが、彼には 終結を齎す
とは信じていない。彼にとって、内的人格は存続し、彼の精神は生存を続け
るということは、論理的かつ生物学的真理である。6.9.1.1853 12 2017…人のストーリーは連続していく。それは身体に次ぐ身体、誕生に次ぐ誕生
で進行していく。しかし、事実はこの修行の精神を理解した途端に、彼がそ
う望んだとしても小休止以外には、彼は その道を放棄することは出来なくな
るであろう。彼は自身の魂に潜む霊的力により、容赦なくその道に引き戻さ
れるであろう…3.2.3.25, 巻4 12 2017私たちの源は「内なる神」にある、私たちの成長とは、以前とは異なり、意
識を完全にすることにより、そこに戻ることに他ならない。16.26.4.2655 12 2017自我を放擲するとは、自我についての考えを放擲することである。そしてそ
れは、いつでも日常で自己を意識したとき、精神を鎮めることにより実行す
ることが出来る。沈黙すると、自我は消えてしまう… 精神を鎮めることによ
り、思考の渦巻く洪水を急激に止めることにより、自我を鎮める技術は、決
められた時間による瞑想の修行の中で過去に高い頻度で実行されていなかっ
たら、自由自在には実行することはできない…6.8.4.151, 巻6 12 2017内的な美しさや感情的平静さが人にとって魅力となった時、彼は哲学への準
備が出来ていると言える。13.20.2.1307 12 2017全ての事物、全ての生き物、宇宙の全てに存在している世界意識と協力する
こと、世界意識と、同胞である生き物と調和して生きることを望む人は、速
かれ遅かれ、この道に誘引されていくであろう。2.1.2.1188 12 2017哲学的アプローチの広大さと美しさはそのアプローチを極めて満足するもの
にしてくれる。何故ならこのアプローチだけが理性を高く評価し、美を鑑賞
し、直感を養い、神秘体験を尊重し、崇敬の念を高め、真の祈りを教え、行
動を命じ、道徳観念を促進するからである。それは霊的生活を十分に成長さ
せたものとなる。13.20.1.229 12 2017… この地球は人を低いレベルから高いレベルへと引き上げるために存在す
る…9.13.4.92, 巻10 12 2017人がこの段階に入ると、人生に対して大きく疲労感を感じ始める。彼はそれ
まで関心を持っていた多くのことから関心を失う… この全ての存在に対する
疲労感が彼を襲い始めたとき、彼は自我を失い、宇宙の存在の大海に没入す
る用意が出来始めていると言える。3.3.5.31, 巻11 12 2017… 神秘的体験を持つだけでは十分ではない。放蕩息子はまだ父の家に帰って
いない、霧の中から瞬間的に、しかも遠くからその家を見ただけである。8.12.3.33, 巻12 12 2017軽さと自由さ、歌のような幸福感と完全な調和の感情が、身体からの分離と
ともにやってくる。14.22.6.11313 12 2017少しずつ、その動きは気付かれないほど、遅いペースだが、思考以外の何ら
かの所から忍び寄るいくつもの思考に彼の精神は気付き始める、何故ならそ
れらは彼の理性には無関係であり、彼の確信とは一致していないからである。
実はそれらは直感なのである。もし彼がその導きに従い、彼の信念をそれら
に委ねてしまったとき、もし彼が自身の盲目的抵抗を止めたとき、全てがう
まくいく。彼は暗闇より光の世界に、物質の世界から精神の世界に、深い絶
望から輝ける希望へと誘われるであろう。3.2.9.5214 12 2017神秘的洞察についての強調、霊的覚知への崇敬、神の存在を体験すること----
これらは現在の宗教的深化の兆候である。12.17.7.1015 12 2017神は全ての人に隠れているので、全ての人はいつも神を探している。このた
め、その無知もあって、彼らは通常その探求の対象を間違え、それが何かで
あると信じてしまう。この修行の道に入って初めて、この探求を意識し始め
るのである。2.1.2.46216 12 2017注意することはいつも何らかの思考または何らかの事物、あるいは何らかの
感情、何らかの体験により発動する。普通の人の場合、意識はその注意の中
で失われてしまうが、哲人の場合は、その注意を評価し、それを制御する背
景とも言えるものがある。13.20.5.8117 12 2017自我が、何らかの展開または決断により、自身の存在が続くことに危機を見
たとき、それは恐怖を醸成し、偽りの希望を発明し、困難を過大視させたり
して、それを防ごうとする。6.8.3.10818 12 2017老子、仏陀、イエスによって説かれた真理は、今日の時代でも当てはまる----
時代はあまりにも違いがあるが----そうでなければそれらの真理は正しいとは
言えない。但し、真理を述べる方法は異なることになるかも知れない。13.20.2.9919 12 2017地球上の生命として定期的に回帰することは、詩人、ゲーテやシェリー、ブ
ラウニング、そして思想家、プラトン、ショーペンハウエル、スウェーデン
ボルグによって共通して持たれていた信仰であった。6.9.2.20520 12 2017… 眼に見える太陽が人間の身体と生存に欠かせないのと同様に、見えない意
識という太陽が、人間の精神的、情的、霊的生活に欠かせない。それは私た
ちの「内なる神」であり、「神」でもある。敬意を捧げよう。3.3.7.78, 巻21 12 2017最後の戦いが人類の転換点と名付けられた。その痛みと恐怖から物質的にも
霊的にも良い何かが生まれるであろう、この新時代に対して開拓者として支
援することは私たちの仕事である…8.12.5.193, 巻22 12 2017小さな自我がそれを十分に賢いと思い、全ての決定をなし、全ての問題を解
決しようとする限り、自我と「高位の力」の間には障壁が存在するであろう。6.8.4.2823 12 2017その通り、人類は動物の肉体を持ち、動き、行動することは認めよう、しか
し彼は人間の頭脳により思考し、慈善に対する義務に応えられる心による感
情を持つことも忘れるべきではない。さらに、人類には高い精神性を渇望す
る何かが存在している。16.26.4.3624 12 2017彼が自己を「世界意識」にリンクしているその物を意識すればするほど、世
界の生命の背後にある高位の力を、そして世界の運命の背後にある崇高な知
性を意識する。そしてそれは彼の背後にもあり、この地球上での彼の生存の
真の目的を成就するために、必要なものを齎してくれる。この確信により、
全てを神の意志に任せることに満足し、未来に対する全ての不安や過去に対
する全ての思案、また現在に対する全ての動揺を切り捨てることが出来る。12.18.4.9525 12 2017世間の混乱の中で、「内なる神」について愛し、憧憬する回想やその記憶を
絶えず呼び起こすこと、他の全ての思考の永遠の背景として聖なる思考を繰
り返すことは、それ自体ヨガの道である。実際、それは聖パウロが「絶え間
なく祈れ」そして「全ての思考をイエスキリストに収束せよ」と説示した教
えと同様のものである。15.23.6.23726 12 2017自我の全面的降伏が「内なる神」の聖なる恩寵によって報われたとき、過去
がどれだけ暗黒のものであってもそれは許され、彼の罪も完全に許される。12.18.5.7927 12 2017彼が知り、体験する全ては五感の世界での事物である。「内なる神」はそれ
らの世界には存在していない。従って同様の方法ではそれを知ることも経験
することも出来ない…14.22.3.221, 巻28 12 2017恩寵は、太陽から光が流れ出るように、聖者のような人から流れ出る…
16.25.4.267, 巻29 12 2017自身の神聖さが遂に発見されたとき、彼はその後、その光が、遭遇する全て
の他の人に反映されているのを発見するであろう。14.22.3.4330 12 2017全ての世間の出来事から超然とする感覚がしばらくの間、この経験の余韻と
して彼を覆う。優美な感情は再び消えるが、彼を孤独にすることもなく、孤
独にならないことを誓う。彼は二度と再び、孤独になることはない。何が起
こったかを思い起こすだけで、生涯に渡り、孤独ではないのである。14.22.7.6331 12 2017
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