毎日
「ひらめき」の始まりを瞬時に感じ、暖かい愛で受けよ。そうすれば、その
体験に没入できるはずである。14.22.5.1301 12 2016悟りに先立って必要な「バランス」は、知力、感情、思考や意志の間にとい
うよりも、主に低次と高次の意志の間、あるいはエゴの欲求と「内なる神」
との満足感の間でのそれである。13.20.3.4312 12 2016どんなに脆弱であろうが、感情あるいは意識のある全ての物は、高次の存在
の形に発達することが出来る。しかし、それは個性が与えられ、人間として
の形を取った時にのみ、その可能性が実現される。16.26.4.1883 12 2016高位の自己に対する降伏は、否定的な傾向性からの解放を齎し、個人的弱点
からの自由を与えてくれる。12.18.4.1594 12 2016叡智へのイニシエーション—それが長く続くものであれば—は、マスターに
よって突然与えられるものではなく、それは体験と人生に対する思索により
徐々に成長していくものである。思考は徐々に習慣に転換され、習慣は今度
は気高い性格として組み入れられていく…13.20.3.193, 巻5 12 2016初めに彼がしなければならないことは、注意する方向を考え直すことであ
る。新しい方向を定め、新しい対象を設定することである。その方向は自身
の内に向けられるべきであり、深い感情と大いなる愛に満たされて、深奥に
潜む「魂」の探求に進むべきである。4.4.3.836 12 2016大抵の人々が大きな不幸と捉えることが、時にはそれがなければ訪れなかっ
た利益に繋がる新しい機会や発想、あるいはコースへの扉を開けることがあ
る。このような出来事に対する評価は、最終結果により、全体像が把握でき
るまで、差し置いたほうが賢明であろう。9.13.2.2017 12 2016全ての思考が「全的静けさ」に消えた時、エゴとしての人格も消える。これ
は仏陀が言った自己がないという意味であり、ラマーナ・マハリシのエゴは
思考の集まりに過ぎないと言った意味でもある。6.8.2.578 12 2016ある人々は、彼らの所有物や人的関係者が満足させることの出来ない、何か
必要なものが人生に欠けている、という感情から始める。2.1.2.3049 12 2016人の幸福にとって必要な全ては、ともに これらのソース----霊的そして肉体
的----から発生する。静的中心や十分に発達した知的審美的特質そして身体の
健康と精力を住まいとする能力である。13.20.3.27210 12 2016瞑想は、瞑想者と彼の創造する高位の自己との対話として始めることがで
き、それを超えた「内なる神」との本当の対話に進むことは可能である。し
かし、それ以上に進もうとしたら全ての対話は終了しなければならない、対
話をしようとする全ての努力は「全的静けさ」の中に終焉しなければならな
い。4.4.7.4311 12 2016この憂鬱な事実は、全ての事物や生き物の宿命である:いつかは消えるこ
と、仮の存在であること、そして絶対的な意味で真実の存在ではないこと。
彼らは暫くの間、現われ、本質的で、重要に見えるが、実は長期に渡る蜃気
楼にしか過ぎない。これが事実の全てだとすれば、これほど陰鬱なことはな
い。だがそうではないのである。そこから来たり、そこに戻る、そこ自体は
消えることはない。それが、「真理」であり、私たちもその一部である大宇
宙を存在させる「意識」なのである。そこから最善、最高の自己であるそれ
ぞれの生命でこの小さな花が咲き始める。私たちがそれを探求し、それを発
見したら、私たちは、私たちの起源を取り戻し、私たちの源に戻ることが出
来、その状態は 消えることはない。そうなのだ、形としては最終的に消える
がその中の本質は消えることはないのである。6.9.1.1912 12 2016あなたの体内には、あなたが夢想だに出来ない「力」と「知力」の蓄積があ
る。2.1.2.16113 12 2016この段階になったら彼は、エゴを捨て、「内なる神」に降参する以外に何も
することがない。これが済むと、必要なことは全て行われてしまう、何故な
ら、この時から彼の進路は示されており、今後の行動は、「内なる神」によ
って指南されているからである。12.18.4.17614 12 2016イエスは西方大陸の大衆に「秘密」を公開し、それまで選ばれた少数者にし
か与えられなかったものを与えてしまった。仏陀もアジア大陸の大衆に全く
同様のことをした。16.25.3.8615 12 2016瞑想におけるそれぞれの実践は、効果を期すのであれば焦点を定めて開始す
べきである。それで終了する必要はないが、ある特定の概念又はテーマを対
象として開始すべきである。4.4.3.7716 12 2016世間における人間の生存に関わる活動は、直感の指示に従って改良したり、
変更したりすることはあるが、継続することに問題なく、放棄する必要もな
い。仕事上の、職業上の、家庭の、そして社会的興味を断念する必要もな
い。また芸術を鑑賞し、または創造することも中止する必要はなく、知的、
文化的生活も維持することが出来る。ただ一つ彼に要請されることは、これ
らの活動のどれも自給自足的なものであってはならず、転生の背後にある
「全存在」や究極のそしてより高い目的を無視することによって存在するも
のであってはならないことである。15.24.3.15017 12 2016悟りはその性格において異なる。あるものは、ソフトで、温和で繊細そして
静か、制御されたものであるが、その他のものは恍惚とし、有頂天で興奮を
伴う。全てはその程度により、高揚感、高まり、覚知、または啓示の一種を
与えられる。14.22.6.7918 12 2016普通の人にとっても容易に啓示に至る瞬間は来ることがある。しかし、その
瞬間の重要性は知られていないので、その機会は気付かずに過ぎてしまう。
何れかの人が聖なる存在にこれほどまでに近く、当面の活動を止めることに
よってその近さを活用し、自ずと啓示に発展していく繊細な感情に身を任せ
ないとしたら、それは残念であり、憐れでもある。それは内的展開への道を
解く鍵であるが故に残念であり、そのような人は閉ざされた人生を歩み、や
がては来た道をもう一度戻らなければいけないが故に哀れである。14.22.4.3919 12 2016宇宙の全てのことは、その背後には、素晴らしい叡智が存在していることを
物語っている。16.26.1.21120 12 2016彼の存在の高位の部分が彼にとって何が良いかを知っているだけではなく、
それを生み出す力さえも無限に所有していることを理解した時、お任せする
人生に入る準備が出来たと言える…彼は彼以外の力が彼の生命と心に入り込
み、彼自身はそれらを妨害せず、かれらの仕事をさせる。彼がかれらの活動
を進んで受容すればするほど、その仕事は良い仕事になる。12.18.4.141, 巻21 12 2016人々は、人間の想いの不確かさを感じ、人間の欲望の移り変わりを知り、人
間の活動の不完全さを知った後にのみ、本当の人生を知りたいと願う。2.1.2.18822 12 2016「内なる神」に近づくにつれ、まるで芳香のような内的平和と高揚感を味わ
い、この内的生命がいかに真実で、逆説的に通常の観点からはいかにそれが
理解し難く、描写することが出来ず、また実体のないものであるかを理解す
るであろう。それは何物かであるが、五感によって把握できる形や姿にする
ことはできない何物かである。それはともかく、それはそこに存在し、それ
が「永遠不滅の魂」なのである。2.1.5.32123 12 2016「内なる神」は全ての人々に恩寵を齎そうとするが、全ての人はそれを得る
ことは出来ない。それは異なる理由による、物理的、物質的理由もあるが、
最も多いのは感情的、または精神的な理由である。12.18.5.824 12 2016聖堂の甲高く荘重な鐘の音は、それを聞く人の内的生命に響き渡る。教会の
美しい鐘の音は信者を魅了し、その音の度に聖なる想いを呼び起してくれ
る。12.17.2.5625 12 2016「内なる神」の美と平静、そして叡智と力を住まいとしている彼は、自ずと
その方向に考えを進めていく。12.18.1.6426 12 2016真実の宗教への道は1つということはない。神は全ての道の終りで待ってく
れている。ある道は他の道より私たちに適しているということである。12.17.1.18827 12 2016男性的気質と女性的気質を自身の中で融合させるように、彼は知識と感情、
叡智と崇敬の念をも融合させていく。13.20.3.41428 12 2016啓示は瞬間で終わる、または1分、1時間あるいは1週間、続くかも知れな
い----誰がそれを知ろうか、何故ならそれは神秘の恩寵ではないか。だが、そ
の間、人間の思考は完全に回転を止め、時間は休息に入っている。それは他
の人と共有することは出来ない----他の人はその成果を感じることはあるが---
-その範囲で、それは孤独の体験である。14.22.4.13329 12 2016霊的預言者から度々与えられる、自己を捨てよという命令は、人道的なもの
ではなく、他の人々との社会的関係を意味しているものではない。それは心
理的なもので、表面的自己より深い内奥の自己に注意を向け、個人的エゴを
捨て、無私の「内なる神」に歩みを向けよと言う諫言である。12.18.4.10730 12 2016科学と合理主義により成就された業績は必要ではあるが、宗教的規則と、そ
れを基にした道徳を破壊した。人類は今や倫理の世界で一連の建設的仕事を
し遂げなければならない。そうでないと、大きな規模で社会的凋落を経験す
るであろう。ここでは隠れた哲学が登場し、価値ある貢献が出来るところで
ある。13.20.2.1131 12 2016
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