毎日
人が自然の中で一人坐し、遮る音もなく、すべでが静寂で、心地よく、調和
しているときがある。そして自然との静寂さに入り、さらに十分深く入り込
んだとき、ほとんどの宗教が神と呼ぶものを発見するであろう。3.3.6.771 12 2013彼は、神の面前に立つため教会や寺院に入る必要はない、彼はいつも神の面
前にいるのである。12.17.6.1542 12 2013強調したいことは、本当の真実は人の心の中心に既に存在しており、人は誰
でもそれを厚く覆っている幻想や、それを騒がしさで隠している激情や、ま
た取り分けそれを大きく恐れているエゴを取り除くことによって、その真実
は誰でも見ることが出来るということである。新しいことを発見することで
はなく、古いものを除去することを意味している、それは私たちの本当の姿
を知ることであり、いつか私たちがなるという姿を意味しているのではない。15.23.1.103 12 2013彼の修行は全ての真実が発見されたとき終わりを告げる、瞬間的な啓示では
なく、それは間断なく終生にわたって続く。2.1.5.1064 12 2013自己を否定的な感情や刺のある考えの犠牲としないことを覚えておくべきで
ある。それらは事態を修復するのではなく苦しみをさらに増やす、そして不
必要に苦しむことになる。5.6.2.575 12 2013求道者から聖人になるまでは長い旅路である。だがこのことは時間という概
念にとらわれたときのみ真理である。私たちの生存が出来事の連続であり、
人間はその本質において全ての出来事を超越し、時間のない中に住んでいる
ことを知っている人にとっては、この旅路は著しく短くなり、または速やか
にその目的地に到着することも可能となる。このためには、哲学に対する徹
底した理解と自己に対して間断なくそれを適用することが求められている。13.20.4.886 12 2013もしそれがすぐに消えてしまう場合、それは瞬間的啓示に過ぎない。起きて
いるときの全ての瞬間にその状態を保てたとき、それは悟りである。14.22.9.577 12 2013理論的には「長期修行」は「短期修行」に先行する。しかし実践面ではその
ように先行するということは短い期間のみであり、それ以降は二つの道を同
時に進むことになる。15.23.5.1968 12 2013...究極として求められ、「短期修行」で到達する純粋な瞑想は「内なる
神」に直接意識を集中することであり、それ以外の何物でもない。15.23.5.104, 巻9 12 2013...つまり事物とそれについて思考するという二つの主体はないということ
を理解することである。事物は心にあり、事物は思考としての心の投影であ
る。これが非二元性ということである。何故なら心はそこから来たものとは
別物でなく、またそこに帰るものとも別物でないのだ。事物があるように、
身体と世間もそのように存在する。全て究極的には宇宙とともに見えるよう
だが、直接的には個人の考えの投影である。16.28.1.25, 巻10 12 2013個人の意識の中にある精神の一部、つまりエゴが、その源泉とも言うべき
「心そのもの」を否定するとしたら滑稽なことである。何故ならエゴはそれ
が経験し、知るという極めて限定された世界に閉じこもってしまうからであ
る。6.8.1.10311 12 2013瞬間的啓示は霊的奇跡である。何故ならそれは彼の性格を変えるのみでなく、
隠れた能力を発現するからである。14.22.7.9912 12 2013どんな動物も自己から離れ、自己を客観的に見る力は持ち合わせていない。
幾ばくかの人間はその能力を持っている、そしてさらに多くの人がその可能
性を高めることによってその能力を持つことになる。16.26.4.3113 12 2013それは道程で困難に会い、それを理解することにより、またそれに立ち向か
い克服し、私たちが成長することによって可能となる。この世界の私たち一
人一人は外部の現象がそれと反対のことを示したとしても、連続する闘いの
状態に住んでいるのである。休息は死んだ人に対してのみである。しかも限
られた時間で...3.2.9.43, 巻14 12 2013カルマのことをあたかも東洋の風変わりな空想と考えるのは愚かなことであ
る。それは自身の行為について責任を持つよう促し、またその行為から派生
する結果を甘受しなければならない法則である。私たちはそれを自己責任の
法則と呼ぶことができるだろう。6.9.3.98, 巻15 12 2013修行者がこれらの突然開示される瞬間的啓示について自由に繰り返すことが
出来る方法や手段があるかと問いかけたとき、その方法は瞑想と呼ばれる方
法によって可能であることを発見するであろう。またさらにこれらを終生す
べての人生において享受し続けることを望んだとき、答えは可能であり、そ
してそれを可能にするためには「修行」と呼ばれる道をたどる必要がある。14.22.5.2916 12 2013孤独であるという感情、一人で道を歩くという想い、これは表面的には事実
かも知れないが、内面的には真実ではない。何故ならそこには「内なる神」
の光輝く優美な愛が一緒にいてくれるからである。自身でこの事実を知るた
めには十分に内面世界を模索し、絶対的確信として知る必要がある。2.1.3.32117 12 2013彼は尋ねなければならない。「内なる神」は自分に何をするように命じられ
ているのだろうかと。答えは一瞬で出るものではない。彼は、十分明らかに
そして断固たる答えを聞くまでに数日、数週間、あるいは数か月も待たなけ
ればならないかも知れない。9.13.2.23318 12 2013私たちの中にある自己の最高の存在を発見することは人にとって理想の人生
となる、それを実現するためには、長い経験や多くの苦しみ、また指導を受
け、啓示に従い、直感を磨き、瞑想を実践し、賢明に生きることが必要とな
る...2.1.5.18, 巻19 12 2013平和と真実に到達するのにどうして遥かな未来を夢見ていかなければならな
いのだろうか。なぜエゴによる自己認識の全ての幻想を思い切って捨て去り、
真実の自己との一体化は既に達成していると認識しようとしないのか。15.23.1.3220 12 2013自身の修行で彼が初めに選択することは最終的姿をあらかじめ決めることに
なる。そしてその選択は自己中心の逃避と無私の活動との間の選択になる。
どちらの道も大いなる平和を与えてくれるであろう。どちらも彼の内面の欲
求に真実であることを許可してくれるであろう。しかし困難な道のほうが苦
闘する人類に何かを与えてくれるであろう。単に一人だけを救済することは
哲学的求道者を満足させることはない。2.1.5.11621 12 2013それを感じる人のみが、エゴと「内なる神」の間を行き来する愛の完全で満
足すべき性質について知ることが出来る。体験した同じ日にそれらは去って
しまうかも知れない、しかしそれ以降の生涯の人生の願望にそれらは反映さ
れるであろう。14.22.7.6122 12 2013人自身の内部に隠された光がある。その光はその人の最も美しい芸術作品、
最も崇高な啓示や非難の余地なき道徳的決定に表現される。14.22.2.923 12 2013「内なる神」の愛は、私たちを天国という目的地に運ぶことの出来る最も俊
足な馬である。それを私たちが愛すれば愛するほど、私たちはエゴとそのや
り方から離れていく。12.18.1.9324 12 2013もしあなたが「高位の自己」を探し当てる方法を知りたかったら、イエスは
極めて明確な答えを出している。求め、たたけ、そして尋ねよ、それを、そ
してそれについて祈れ--一度でなく、数十回、祈れ、そして全身全霊で、愛
し、欲求し、尊敬しながらと。12.18.1.5525 12 2013「内なる神」があなたを包み込んでくれているので、二度と孤独感に悩むこ
とはなく、また人としての愛が否定され、あるいはあなたから去ってしまっ
たからと空が真っ黒になることを二度と発見することはないことを理解する
であろう。14.22.6.11026 12 2013完成を目指す渇望は私たちの中に確実に存在している。この渇望は永遠の癒
しへの指針である。しかし、私たちの生命が肉体に宿り、仏陀が指摘したよ
うに私たちの存在が、所詮は全て死や衰えに行き着くと定められたレベルで
は完成へと到達される示唆はない。それはそのような限定的視点が存在しな
い高いレベルで達成される可能性がある...2.1.5.102, 巻27 12 2013真我より迸り出る平和と静謐で瞑想が終わらないとき、その目的が達成した
とは言えない。しかしながら、わずかでもそれが感じられたとしたら、それ
は瞑想が私たちにしなければならない重要な仕事である。4.4.7.2228 12 2013実践が最初の条件である。来る日も来る日も人は我が心を掘り続ける。人は
泳ぎを印刷された書物だけでは学ぶことは出来ないのと同様に「内なる神」
について単に読書するだけでは知ることを学ぶことは出来ない。3.2.6.3229 12 2013高位の自己を通して、人は最高善を達成することが出来る。
14.22.3.11030 12 2013死後の夢の如き進歩も無駄ではない。それは人生の真の目的を生まれる前に、
その都度、思い出してくれる働きをする。6.9.1.7531 12 2013
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