毎日
自分たちの全てを投げ捨てることが出来る人たちは、全てを受け取るであろ
う。感情的振幅を乗り越えた人々は、「理解を超えた平静さ」を見つけるで
あろう。彼ら自身が修行途上の障害物だと認識することが出来る人たちは、
遠くない間に真理を発見するであろう。15.24.3.921 11 2019修行は単に形而上学を学ぶことだけで終るものではなく、また一人で瞑想だ
けして終るものではない。どちらも必要であるが、十分ではない。実験は絶
えず実行されなければならず、また直観が注意深く使用されなければならな
い。取り分け、修行者は、哲学の倫理的理想を真摯に追求し、その道徳的教
えを誠実に実行しなければならない。1.2.0.262 11 2019イエスは、自身の心と意志の努力も必要であるが、人が神の道を目指して出
発し、それを続けさせるのは恩寵であると言った。ラマーナ・マハリシはこ
の発言を確認している。12.18.5.1613 11 2019「世界意識」は、私たちが「魂」または「内なる神」と呼んでいる実体をそ
れぞれの個人に作り込んでいる。16.25.1.104 11 2019「ヨハネによる福音書」17章、21節「お父様、あなたが私におられ、私があ
なたにいる。」16.25.1.85 11 2019人の失敗や不幸はいろいろな事柄や他の人々が原因にはなり得るが、完全に
それだけが原因ではあり得ない。自身の内部を見たとき、いつも根源的な原
因がそこにあるのを発見するであろう。6.9.3.3816 11 2019自我は自身の虚しさを認めるべきであり、自身の不安定さを克服すべきであ
り、その結果、真に謙虚になれるのである。12.18.3.747 11 2019哲学は過去の罪や失ったチャンス、または犯した過ちに対して後悔し続ける
ことを良しとしない。それは時間を消費し、力を阻害してしまうからであ
る。分析が終わり、教訓は学ばれ、改革が成されたら、過ぎ去ったものは忘
れるべきである。それ以上、考えても利益がないのであれば、回復できない
事になぜ良心を呵責し、記憶を新たにする必要があるのだろうか。4.4.4.1768 11 2019人為的な喜びは終りのない幸福感とは異なる。前者は五感を通した快感によ
り外部から与えられるが、後者は内部から与えられる。15.24.1.859 11 2019自我の様々な要素の完全なるこの統一は、一部が完成途上で統一され、その
他が完成された段階で統一されるということにはならない。全てが同様に高
いレベルで同時に完成され、統一されるべきである。1.20.0.6210 11 2019善良な行為が心から感じられ、誠意を持って実行されたとき、それは他の
人々に対する慈愛や、私たちが生まれたときから持っている自己中心の姿勢
を捨てることを表している。これは自我の明け渡しを意味しているのではな
いだろうか…5.6.5.187, 巻11 11 2019彼は時とともに内部に住むある「存在」と行動していることに気づき始め
る。それは実践の指針でもある、何故なら彼が倫理的に生き、苦しみを避け
ようとするなら何をしてはいけないかを警告してくれるからである。彼が完
全なる悟りに到達していなくても、彼は進歩するのである。14.22.3.16712 11 2019彼は次のように異なるが、価値もあり必要な五つの方法で結果を確認するこ
とが出来る、その五つとは (1) テストとして (2) 邪悪なる力による反抗として
(3) 心理的に彼自身を調整する問題として (4) 会い、それを道徳的にも克服し
なければならない誘惑または試練として (5) 知的に、また無私公平に耐え忍
ぶ過去のカルマとの戦いとして。1.6.0.1113 11 2019どうしたら孤独になれるかを学ぼうとしない人は、どうしたら神と一対一で
いられるかを学ぶことは出来ない。1.3.0.3914 11 2019この高位の境涯においては、彼の心は「気高い精神」と意識して連結してい
る…16.25.2.119, 巻15 11 2019身体と精神の静けさだけを求めるのでは十分でない、注意力と意志が、身体
と精神を超越する「内なる神」に同時に指向されていなければならない。1.4.0.4816 11 2019困難な問題や立場で困ったときに平静を発見する第一の方法は、思考の混乱
から抜け出て、内部の静けさの中心を見ることである。それを見ることが出
来、その静けさから離れたとき、または離れなければならないとき、必要な
助言を求めるのである…15.24.4.138, 巻17 11 2019罪に対する私たちの定義を広げる必要がある。衛生についての法則を破るこ
とや、害悪または活力を失うような習慣に陥ること、殺戮によって収穫した
食物を食べることなども罪とするべきである。4.5.3.7018 11 2019彼の精神が誠実な希望であり、謙譲を表す祈りによって支えられ、指示を懇
願するものであれば、それは叶えられる。しばらくの間、回答が出ないよう
に見えることはあっても、まもなくそれはやってくる。12.18.2.20519 11 2019… 今世において自我を破壊することによって「内なる神」との結合は獲得さ
れないかも知れないが、彼は自我を弱めることによって目標に向けて確実に
進歩することは出来る。このように自我を弱めることは、恩寵によるのでは
なく、完全に力量や能力の範囲に依存する。1.2.0.42, 巻20 11 2019神を表すアラビア語—アラー—またはアラム語 (イエスの話し言葉) の語彙--
アラー—はマントラとして素晴らしい働きを持つ。4.4.6.5921 11 2019… イエスはこの件では二つの助言を与えた、先ず、天国を求めよ、そして、
それは自身の内部に求めよと。神に全ての人々が関係しているという真理を
人が試すことが出来ることを明らかにしたのである。 しかしながら、忍耐力
や謙虚さ等の資質をその修行に注がない限り、その道は厳しく、結果は期待
できないものとなる。16.25.1.6, 巻22 11 2019真理は、一瞬たりとも私たちが内的自己から本当の意味で離れてはいないと
いうことである。14.22.3.7723 11 2019高位の人生を希求する人々は、彼らが住まいとしている身体とその考え方を
作り出している神経や頭脳の状態を高位の品質に作り変えなければならな
い。かかる修行者は、身体に供される食物に対しても不注意なのをやめなけ
ればならない。1.5.0.1224 11 2019彼は自身の性格においてどんな愚かな傾向性が自身の知らぬ間に働いている
のか、また自身の潜在意識より、どのような誤った衝動が起こり、これらに
よって不利益な行動を起こしているかについて、観察しなくてはならない。1.6.0.2525 11 2019十分なる叡智、深き献身と個人的な自己改革により、いつかは、聖なる平和
感に包まれた気高き神秘に囲まれた境涯に入ることが出来るであろう。15.24.2.16126 11 2019… 精神的態度においては、事柄に対する個人的そして内的対応は、自由なる
意志によって決められる。しかしながら、かかる自由が、それに対する反応
や態度自体が過去のそして数多くのその他の出来事によって条件付けされて
いることを考えたとき、どれだけ幻想に過ぎないのではないのかと疑問が湧
く。私たちの過去が私たちをある一定の方向に考えさせ、行動させるのは正
しいからである。しかし、その反対に時間とともに私たちも成長し、生活を
改革し、変化していくのも事実である…1.9.0.56, 巻27 11 2019自我は消えていくものである。だが、そのよりどころは消えない。
6.8.1.2928 11 2019人間の生活に何らかの高位の目的があるとしたら、それは阻害されることは
あっても決して影響力を失うことのない「内なる神」との調和を見出す道を
再び自我が発見することである。16.26.4.8629 11 2019彼がそれらを発見しようとすれば、最もそれが予期できない片隅、例えば孤
高な霊的渇望の中にまで自我の隠れた働きを発見するであろう。自我は死ぬ
ことを嫌がり、このような大きな規模での自己活動の中止も、それが自己の
死を免れる唯一の道であれば、それすら歓迎するであろう…6.8.4.167, 巻30 11 2019
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