毎日
私たちが長い期間、懸命なる努力の後、結局は、自我の縛りを解くことが出
来ないことを知る。そのときこそ、恩寵に頼り、私たちに働きかけて貰わな
ければならない、その方法に同意し、それを受け入れる以外に私たちがやる
ことはない。12.18.5.1471 11 2017「内なる神」は人の中での神の代理人である。
14.22.3.3052 11 2017この素晴らしい感情が彼を覆いつくすにつれ、「内なる神」が自我に取って
代わるのが明らかに、そして間違いなくわかる。これまで彼は肉体と頭脳の
決まりに従って、惨めな限定条件に満足するしかなかった。今や彼は新しい
支配者が彼の玉座に座っているのを痛感しているのである。14.22.6.2123 11 2017全ての人は「内なる神」によって用意された高邁な目的を無意識に成就しよ
うとしている…16.26.4.105, 巻4 11 2017低位な自我がそれ自体、表面化した後は、他の自我から分離し、聖なる源泉
から益々遠ざかる過程を進む。6.8.3.1725 11 2017価値ある書籍を学び、祈りと反省を実行し、自らの「高位の自己」の洞察力
のある指導に従いながら自身を教師にすることが有益であることは良くある
ことである。15.23.1.876 11 2017この境涯では世間は意識に関与することがない。従ってそれに関連する如何
なる問題も存在しない。自我も個人的感情や特定の思考に働きかけることも
ない。この中心的存在の静謐を乱すような内部の矛盾は存在しない。15.23.7.1137 11 2017悪い行いの結果は最終的にその人に届き、その反対の行為の価値を教えてく
れる。もし彼がその価値を喜んで受け入れる前に、頑なに人生という学校で
多くの教訓と教室を必要とする時は、それは残念な事実で、彼の苦しみは避
けられないものになる。9.13.1.2308 11 2017彼は、時間が完全に止まっており、全ての世界とその動きは思考の単なる影
であり、また表現することが出来ず、ゆったりした静謐に入ってしまったこ
とを感じている。15.24.3.2489 11 2017直感—ベルクソンは真理への確かな道と呼んでいる—は、躊躇することを防
いでくれる。あなたが問題を解決するに当たって、「内なる神」とコンタク
トしている時、どうすべきかについて直接的指示を受け、しかもそれが正し
いことをあなたは 知る。相反する見方の中で右往左往する時に起きる躊躇や
動揺の雲は消えてしまう…14.22.1.265, 巻10 11 2017「短期修行」のみが信仰を成功へと導く、何故ならそれは恩寵のみに頼るか
らである。15.23.1.16311 11 2017彼は、啓示が来た時の内的及び外的条件を思い出し、一時的にでもそれらが
自身の一部であり、また彼の周囲であるように振舞うべきである。彼は、あ
たかも劇場でこの役を演じる役者のようにそうしなければならない。その時
は、彼はあたかもその経験が実際に起こり、啓示が本当に起こっているよう
に考え、感じ、振舞わなければならない…15.23.6.201, 巻12 11 2017彼が高位の自己に彼の心を委ねる程度に応じて、彼は心が感じる悩みや恐れ
を屈服する。12.18.4.17113 11 2017教師は「内なる神」への道を発見した。 彼はその存在による祝福を日夜享受
している。彼は人生を単に存在することから有意義なものにしており、宇宙
の根底には平和と愛があるのを知っている。彼は今他の人にも自身の発見を
分け与えるため、支援したいと思っている。16.25.5.2214 11 2017成功する求道者は、興味、熱意、そして実践を安定し、衰えない条件で続け
ていける人である。3.2.3.16915 11 2017プラトンは、啓発された芸術家が外見や形の美しさは、結局、「内なる神」
の形のない美しさへの導入部分に過ぎないということを発見したことを見て
いた。9.14.3.6116 11 2017その人の「内なる神」への帰還が十分で完全であるとき、再び霊的に無知な
状態とはならない。それどころか「内なる神」の平和と存在を意識して享受
するであろう。13.19.3.12517 11 2017「内なる神」はそこに存在しているのだが、自我がその交信を妨害している
のである。6.8.3.9218 11 2017私たちの周囲のこと、そして私たちに起こる全てのことは神の意思の表れで
ある。16.26.1.3019 11 2017神の国、即ち高位の「霊的自我」を求めるか求めないかについて選択できる
人はいない。全ての人は、知ると知らざるに関わらず、それを求めており、
そのように定められている…9.13.2.5, 巻20 11 2017… もし、彼が終局を見れば何が正しいかが分かるだろう。同様に小さな目的
の背景にある、より大きな目的を発見すれば、二つの相反する道を選ばなけ
ればならない時、どうすれば良いかをはるかに容易に知ることが出来るであ
ろう。3.2.4.48, 巻21 11 2017エゴは唯一の自我であり、本当の自我であり、自我の全てとのポーズを取っ
ている。6.8.3.6022 11 2017「私は誰か」という質問は、あの歴史的古典、「ヨガ・ヴァシスタ」のどこ
かで発せられている。それから幾世紀も下って、聖フランシスの祈りにも含
まれていた。しかし、霊的求道者と瞑想者たちへの助言でそれに重要な意味
を与えたのはスリ・ラマーナ・マハリシだった。15.23.6.10623 11 2017人生が彼に与えてくれる特定の問題は、彼の成長に取って極めて適切なもの
である…3.2.3.149, 巻24 11 2017人生の半ばか晩年に達した全ての人は、彼が携わることの出来る最も重要な
活動はこの地球上において自身の高い目的を出来るだけ成就することを試み
る年齢に到達したと言える。この活動の基本は自己向上や人格の涵養と自我
の克服でなければならない。9.13.3.18125 11 2017悟達の確信はミルクと蜂蜜に溢れた土地ではなく、善と美、平和と智恵に溢
れた土地への旅を与えてくれる。それは人生にとって最高の瞬間である。14.22.4.8726 11 2017私たちは神を発見するために闘う、私たちは達成不可能と思えることを追求
している、そして私たちは、自我がそれに属する足かせとともに鎮まってし
まうまで、一歩も引くことなく、全てを明け渡し、全てに降伏しなければな
らない。12.18.4.13227 11 2017人生の目標は、「生命」と意識的に合一することである。
16.26.4.9028 11 2017地球は人が霊的発達を遂げるために生を受けた場所である。身体は人が地球
と直接接触する唯一の媒体である。無知より身体を虐待すること、不注意か
ら濫用すること、または怠惰よりなおざりにすることがいかに愚かなことで
あろうか。4.5.2.4029 11 2017… 「短期修行」が効果を生み始める後期のそして更に進んだ段階では、修行
者は自身と自身の努力を忘れなければならない … 「内なる神」を自身の内
的及び外的生活に表現する考えに完全に捧げることにより、「内なる神」と
自身をみなさなければならない…15.23.4.94, 巻30 11 2017
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