毎日
… 彼は不必要に他人を傷つけることはない。彼は、他人に助言出来る最善の
言葉の一つは「親切にしなさい」であることを知っている。このようにし
て、あなたは自身の自我を減少させ、何かを示し、愛の—響きかも知れない
が—そして内在している霊的自我を発散するのである…5.6.2.86, 巻1 10 2019それらはお互いに反発し合うのではなく、実は補完し合うのである。「長期
修行」が険しい上り坂とすれば、「短期修行」はその日向と言える。15.23.5.1862 10 2019… 哲学者のある部分は、感動せず、独立した、無分別の傍観者である。彼
は、事物の性格を認識はするが、不愉快な事物の不快感により、感情が流さ
れたりせず、また快い事物の快感によってその魅力に我を忘れたりしない…
対人関係においても同様である。他人の性格は良く理解する、しかし彼らが
どのように不善で、欠点があり、邪悪であっても、かれらを判断することは
しない。それどころか、かれらの状態をそのまま、受け付けてしまうのであ
る。自身が、そして彼らが共通して元々は神の存在であるという認識からそ
れは当然のことである、彼は誰に対しても不断に善意を実行するのである。15.24.3.22, 巻3 10 2019両親が何らかの遺産を子供に残すように、心の何かが私たちにはある、しか
し同時に私たちもその心の中に存在するのである。16.25.1.74 10 2019空間が人々の邪悪な行為や気高い行動によって影響されないように、「内な
る神」は自我の性格や行動によって影響を受けることはない。それは、自我
の悪い行為によって悪くなったり、または正義によって良くなったりするこ
ともない。14.22.3.3535 10 2019… 「私は私に対していつもサービスしてくれ、私についてのみ考えてくれ
る、人々の利益と安全について世話をする」。バガバッドギータでは「内な
る神」のことをクリシュナはこのように語っている…15.23.6.154, 巻6 10 2019彼が霊的存在に 既に 住んでいるのでなければ—そう、今ここで!—彼はその
存在を見つける切望は感じないであろう。12.17.1.197 10 2019しかしながら、ある人々は自分たちの不幸と挫折により、消極的な理由で、
また他の人たちは積極的な理由により、この道にやってきた。彼らは直感
し、疑問を感じ、想像し、または高位の存在について語られたのを聞き、聖
なる誘いに答えたのである。2.1.2.2428 10 2019彼は、演技者が演技し、聴衆がそれを観劇するのと同様に、全ての場面に参
加しているのである。15.23.6.999 10 2019… 他人を故意に傷つけることは二度としのないようにしよう、そうでなく全
ての人の幸せが彼の関心事としよう。イエスの言葉では彼は「生まれ変わっ
た」。現実と真理を求めた後、自分の幸せとともに他の全ての人々の幸せを
求めることをイエスは自己の最大の幸せとした。この結果、彼らへの奉仕と
悟りのために不断の戦いをすることになる…13.20.4.224, 巻10 10 2019低俗な性格は、高位の性格に本質的に敵意を持つ。不幸を内在する束の間の
喜びを優先し、悲劇的結果を齎す醜悪な罪を犯す、こうして人生に妨害を及
ぼすのである。7.11.1.1311 10 2019たった一人のロビンソン・クルーソーですら、人生を一人で渡るのではな
い。全ての人々は高位の自我と共に渡るのである。このような連帯意識は、
大抵の場合、無意識のものであり、それを無効にするほどの量もない。人が
それを信仰や行動によってそれらの魂の存在を否定することも、実行するこ
とはできないのである。14.22.3.5312 10 2019この修行を始めた人は、価値について再考しなければならなくなる。今まで
不快なので避けていた経験は、それが教訓を与えてくれるものであり、また
は弱点を隠すことに使用されていたため、反対に良いと考えることもあり得
るのである。5.6.2.3513 10 2019人がいつも幸せを感じるようになったときは、感覚的に喜びを感じなくな
る。何故なら感覚的な喜びで彼を刺激することがなくなるからである。だ
が、喜びを認識する感覚は持ち続ける。15.24.1.7214 10 2019鋼鉄のような沈着さで座し、油断はないが受け身であること、これが正しい
黙想の技術である。15.23.7.2415 10 2019… つらく、苦しい、または敵意のある状況に対応する方法には、彼自身の霊
的成長度や高位の価値に対する献身する姿勢や自身の体験に対する理解度な
どが、表れる。これらの出来事やこのような条件に関わる方法により、彼自
身の本当の姿や、今後の目指すものを示してしまうのである。彼自身の獲得
した成熟度に従ってのみ、かかる問題に対応することになるのである…3.2.3.74, 巻16 10 2019本当に大事なのは個人がどうかではなく、彼自身の背後に何が潜んでいるか
である。6.8.1.14517 10 2019人間の精神は限定されており、制約があるが、宇宙の「精神」の導入部分と
なり得る。この偉業は、喜びに溢れ、かつ平静な感情によって実行される。
この私で ある小さな存在が純粋で無限のより大きな存在に溶け込む- -- -身体
が私を呼び寄せるまで。16.25.1.3618 10 2019肝要なことは心の直観的感情にいつも注意を向けているべきで、利己心、一
時の感情や狡猾さ、または欲望により引きずられないことである。15.23.6.21119 10 2019怒る行動への欲求または叱責する欲望に抵抗する度に、彼は自我に抵抗して
いる。このような訓練を数多く行った結果、自我は弱まり、その最終的消滅
の時は近くなる。6.8.4.24120 10 2019過去の過ちに対して長く後悔することや自己の今後の人生に対して自責した
りすることは、自我の誘惑であり、単にそれを強めることになる。それより
「短期修行」の道を取るが良い!15.23.4.6721 10 2019自己の意識を「内なる神」に一致させる悟りは「恩寵」によってのみあり得
る。12.18.5.12422 10 2019人が内的開発を進展させ、豊かな物質的経験を積むに従い、彼は、自己の利
益を追うことよりも、共同作業を実行するほうが収穫があることを見出す。5.6.5.5923 10 2019高位の法則に従わずに、人生を切り開き、様々な事業を切り抜けることを想
像する人は、幻想に生きている。どこかで、またはいつか気づきがあること
は必定である。6.9.3.5924 10 2019古い混乱をもたらす態度と自己幻滅の方法は、自我のものである。困った現
象が出た時には、それとは反対に「あたかもうまくいったようなこと」を思
い浮かべ、その場で意識を高めることである。15.23.6.13325 10 2019真の教師が現れた時は、自身の中にある何かがそれを認めている。現れた現
在に、見えない過去の原因が存在しており、師弟の関係は、過去世から現世
まで続くことを理解すれば、それは奇跡ではない…2.1.6.227, 巻26 10 2019… 高位の存在を心から信じている修行者が、自身と世俗の人生を大きく変換
して、その存在に全てを任せてしまう決断をしたとき、それは知的目的や意
志の力を自ら破棄し、幸福を構成する正しい行動となっている…それは何を
すれば良いか分からない拷問より自由になることを意味する、何故なら全て
の必要な決断や全ての必要な選択が適切な時に心に自然で明瞭なものとな
る。直観が自我に取って代わってしまったからである…12.18.4.145, 巻27 10 2019私たちの本当の「自己」は運動したり、変化したり、形作られたりすること
はない。この見えない自己に私たちは合一するしかないのである。6.8.1.5528 10 2019カルマの紐は世紀を経る毎に人を縛り付け、または自我が離れていく毎に薄
くなっていく。6.9.3.20329 10 2019私たちは、私たちがいかに不完全かを認識するために、十分に謙虚であり、
反対に自我に隠された部分がいかに聖なるものとして輝いているかを、再認
識しなければならない…12.18.3.4, 巻30 10 2019確かに真理を追究するのであれば、学習と瞑想のために時間をかけなければ
ならない、しかし、同様に自己訓練の実践も必要となる。何故なら真理への
修行の成功は、自我が作り出す思考、感情、気分より、自己を離す範囲によ
るからである。3.2.1.7531 10 2019
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