毎日
「恩寵」が訪れたとき、意識をそらさず、冷静にその意識を持続し続けるた
めには、人は、先ず自身の精神を強くする何らかの訓練をして、「内なる
神」と意識を統一することを試みるべきではないか。4.4.3.1481 10 2018直感はいつも心の底から意識に突然表れるものではない、時として数時間、
数日、または数週間も時を経てゆっくりと表れることもある。14.22.1.862 10 2018「暗い夜」は、それは「内なる神」の働きであり、恩寵の動きでもあると信
じ、理解し、また知っていたとき、暗い夜ではなくなってくる。15.23.3.473 10 2018人が恐ろしい打撃を受けたとき--かけがえのない人を失ったような--仏陀が何
故全ての衆生は苦しむと教えたかがわかる。幸せな時には、この真理は理解
することが出来ないのである。多くの人がこの教えにたどり着くのは、悶絶
する悲しみによってなのである。何故なら彼らは高位の力についての知識を
求めることによってのみ、心の平静について確実な方法があると遂に学んだ
からである。心の内部の静かな実感の中で—その強さと理解力の中で—外部
の苦難、悲しみや損傷について慰めが見出されるのである。15.24.1.154 10 2018本当に悟達したときの精神的状態はいかなるものであろうか。それは束の間
のものである。神秘的体験とはそのような状態である。それは人が瞬間にそ
こに入り、瞬間にそこから出るものなのである。それを超え、より高い境地
は、不変の真理を知ることである。11.16.2.295 10 2018太陽がそれ自身の光によって見られることが出来るのと同様に、真理は、自
身が織り成す心の悟りにより、認識できる。つまり、恩寵が悟りへと導いて
くれるのである。その他の方法はない。13.20.5.2016 10 2018慈愛への姿勢は神秘的な姿勢が成長するに伴い、減少するものではない。そ
の姿勢もともに成長する。しかし、それにより徐々に自我中心の利己的関心
または理解する姿勢が薄くなってくる、そして最終的には「内なる神」への
純粋な愛のみとなる。12.18.1.947 10 2018これらの覚醒の瞬間には彼は「無限の美」しか見ていない、しかし最終的な
悟りの時にはそれと合一してしまう。14.22.8.628 10 2018「内なる神」は 存在するだけでなく、 獲得することも出来るし、またそれ
は真実の哲学の前提であり、約束でもある。2.1.5.1549 10 2018中国では数年も前に、「仏教徒中国信徒連合会」と呼ばれる団体が
存在しており、自己所有の放送局を運営し毎晩中国仏教を視聴者に
説法していた。彼らが自分たちの中国仏教を広めたように、私たち
も哲学を広めることが疑いもなく出来ると思う。8.12.4.18010 10 2018「長期修行」では彼は背を「内なる神」に向けて立ち、自我を再教育しよう
とする。「短期修行」では、この姿勢を転換し、「内なる神」を正面より見
詰める。15.23.1.7411 10 2018計測できるところで生活することは、思考の運動の中で生活する結果であ
る。しかし、これが彼の静かなる中心部に滅入したとき、時間の無さをその
特質と発見する。何かそこに驚きがあるとすれば、それは瞬間でしかない、
何故なら新しい意識の中ではいつも寛ぎがあるからである。15.24.3.25212 10 2018この見事な平和感は、彼の努力の報酬と自身の高潔な性格を包む雰囲気によ
る。15.24.4.10913 10 2018内部の静けさと外的には効率さで新しい仕事に取り組め。しかし、何をしよ
うとも、意識の背景には「内なる神」を想起せよ、それがヨガの状態であ
り、内的影響力である。1.24.0.2114 10 2018他の人がこの混乱のプールに浸り、世俗の所有物を獲得し、または世俗の喜
びに我を忘れているとき、彼は自身の本能に話しかける、「これまでで、十
分である」と。彼にとってはこの世の楽しみは制約されたもので十分であ
り、偉大なる福音の学習と、「静けさ」を実践する十分な時間、思考力、そ
してパワーがあることに満足しているからである。15.24.3.16515 10 2018人が自我の支配を逃れ、「内なる神」に支配された時、今まで時折夢みてい
たが、実現することは無かったあの善を真に獲得出来るのである。6.8.4.46816 10 2018修行と言うこの仕事は人が取り組むことが出来る最大の真摯なものである。
私たちはそのような姿勢で取り組まなければならない。しかし、だからと言
って携わる人は誰でもユーモアを無くすことはやめようではないか。2.1.1.10217 10 2018全ての素晴らしい啓示的な芸術は、「内なる神」がメッセージを発し、私た
ちを真の故郷に帰すものとして受取るべきである。9.14.1.10718 10 2018普遍的真理は存在するのだろうか。個人的見解やある特定の時代を反映する
もの、または特定の地域の文化に依存しない教説はあるのだろうか。普遍的
経験に訴え、個人的な 偏見に訴えない教えが存在するのだろうか。私たちは
存在すると答えるが、それは形而上学的資料、古代の資産や東洋的迷信に埋
もれている。私たちの仕事は、現代の利益のために、死んだ過去よりこの教
説を救い出すことである。これらの頁で私たちは 虚偽の教説を暴き出し、真
実の教説を発見するのである。13.20.5.19419 10 2018本当の天国とは喜びに包まれた休息にあるが、限定された人の精神では正し
くそれを想像することは難しく、通常は自我の永遠の息抜の状態と誤解され
てしまう。1.19.0.2620 10 2018彼は平和に包まれ、超常的力で保護された経験的感情から表れてくる。
14.22.7.2221 10 2018修行の段階は次のように明らかに定義されている。はじめに — 霊的成長へ
の情熱が人の心の中で表れている。二番目 — 過去の過ちと罪への後悔がそ
れを曇らせる。三番目 — 禁欲的または自己否定の訓練がその反動として起
こる。 四番目— 定期的に瞑想を実践し始める。1.1.0.6722 10 2018結婚において夫婦が精神的協調性と同じ理想を抱く必要性は、自分に適切な
伴侶を選ぶことを重要視している。結婚において間違った決定は全ての点に
おいて破滅的であり、正しい選択は多くの点で有用である。9.13.2.44623 10 2018彼の究極の目的は、「内なる神」の祝福された存在を心の底で楽しむことで
ある。しかし、それは、次元の低い神秘家のようにそれを1人で楽しむとい
うことではない。彼はそれを他の人と共有したいと願っている。13.20.4.25124 10 2018牧師やグル、芸術家、著作家は、彼らの仕事を通し、僅かの集団の人々また
は数百万の人々を運んでいかなければならない。彼らが持つ器量は彼らのも
のかも知れぬ、だが直感は彼らの視野を越えた高いレベルから来る。14.22.2.3925 10 20181つの事物、または対象物に対して長い時間集中を続ける力--ナポレオンが
強く賞賛した力であるが--最終的にはこれらの修行を続けた人々が獲得する
ことが出来る。4.4.3.12626 10 2018… 啓発された行動の福音を受けた人が、世界において大きな力になることに
は様々な理由がある。人生と言うゲームにおいて、どのような役割が彼に与
えられようと、彼はその役割を壮大かつ見事な方法で演ずるであろう。以前
とは較べ、現代史では、世界はそのような積極的哲学者を待っている…13.20.4.229, 巻27 10 2018全ての生きとし生けるものには聖なる生命が宿っている、故に全ての人類に
も宿っている。それは人の感情と意識を司る源泉であり、感情と意識は限定
された形であっても身体にあり、人の行動を司っている。14.22.3.25828 10 2018霊的資質のテストは人がどれだけ長く瞑想で黙想できるかではなく、いかに
彼が巧みに自身の自我を否定できるかを見ることで判断出来る。6.8.4.46929 10 2018私たちが自身の悪い行いにより、その結末に面したとき、その苦悩を逃れ、
または少なくともそれを減少したいと思うであろう。それがどこまで出来る
かを言うのは難しい、何故ならそれは恩寵に拠ることもあり、また私たちの
努力に拠ることもあるからである。それに対する前向きの対策を立てること
により、これらの不幸な結末を修正し、時には無くしてしまうことに役立つ
こともある…1.13.0.28, 巻30 10 2018数世紀に渡って神学者はイエスの天国は私たちの身近にあるとの宣言を議論
してきた。それらのほとんどは歴史的解釈を加えているだけである。イエス
の心境に近づけた者だけが、霊的解釈を与えている。何故なら彼らだけが、
「内なる神」による天国は私たちの腕ほどに近くにあることをイエスが意味
したことを知ることが出来たからである…14.22.3.38, 巻31 10 2018
The notebooks are copyright © 1984-1989 The Paul Brunton Philosophic Foundation
This site is run by Paul Brunton-stiftelsen · info@paulbruntondailynote.se