毎日
… 長い間、ノックをし続けても開かなかったドアも、愛情溢れる思いを送り
続けることにより、開くものである。15.23.6.160, 巻1 10 2017… 吟味してみると、自我は身体と思考、物質的感覚と精神的傾向性の混合体
であることがわかる…6.8.1.196, 巻2 10 2017老子は図書館員であり、ジャナーカは王様であり、ローレンス神父は厨房で
の調理人であった。しかしながら、全ての人が「内なる神」との平和な交信
という素晴らしい同様の体験をしている、つまりその人の先祖や、仕事また
は役職は支援ともならず、また障害ともならないことを証明している。16.25.2.713 10 2017悟達への閃きは神性が関与している。他の人生の全ての交わりや遭遇と峻別
されるものがそこにはある。14.22.6.1254 10 2017「短期修行」の道は「内なる神」への信仰が根本的で完全なものであり、ま
たその力の効果についての信頼感が強力で揺るがないものであれば、その道
を旅することが出来る。15.23.1.1405 10 2017キリストが彼の罪を許してくれると強く信じている人は誤ってはいない。し
かし、許してくれる人についての解釈は間違っている。許してくれるキリス
トは生きている人でなければならず、それは死んでいる歴史上のキリストで
はない。その力は彼の内なるキリストであり、それは「内なる神」のことで
ある。12.18.5.616 10 2017… 恩寵の来臨と共に修行者の全ての苦悩と過去の醜い記憶や現在の心痛は奇
跡のように「内なる神」の見えざる癒しの手により拭い取られる。彼は新し
い要素が彼の意識の内部に入り込んで来たことを知り、そしてその瞬間から
祝福された内的生活が始まったことを紛れもなく感じるのである…3.2.9.67, 巻7 10 2017行動することは正しく、必要で、必然でもある、しかしそれをやり過ぎた場
合、私たちがそれに過度に積極的になった場合、またそれが私たちを悪霊の
ように苦しめ、駆り立てるとき、私たちには内的平静は永遠にない。3.3.2.278 10 2017精神は制限の全くない意味では真実である。人は自分の名前を知るのと同様
な、つまり知的な過程ではなく、即座の過程により、それに 成りきる とい
う直感的な過程によってのみ、それを知ることが出来る。16.28.2.1219 10 2017… この修行の要諦は「私」、つまり自我を捨てることである… 傷ついた感
情の嵐が完全に去ったとき、大きな平和が訪れる。16.25.5.160, 巻10 10 2017… 何故なら自我と「内なる神」は溶け合い、融合するが、自我が自身を表現
し、または世間で活動する能力はそれによっては無くならないからである…6.8.1.207, 巻11 10 2017前世の生活がそれに貢献するということを知らない人には、恩寵の究極の秘
密は解明されることはなかった…12.18.5.194, 巻12 10 2017一時的覚知と共に永続する悟りに達すると強力な開放感が訪れる。それはこ
れまで彼に取り付き、苦しめてきた様々な全ての制約や制限からの解放を意
味する。14.22.6.14213 10 2017自己より何か高位な存在を知らせてくれる全てのもの、より霊的な人生を望
むように誘引してくれる全ての経験は奨励されるべきである…3.2.4.46, 巻14 10 2017彼は、自身にとって世界意識が持つ意味を内的に理解するに至る、つまり人
間としての自己を使用して彼の人格を動物のそれから高めること、そして彼
の持つ天使のような最善の自己に従い、普通の人間より彼の人格を高めるこ
とである。そのようにして彼は世界意識に協力していくのである。16.26.4.123, 巻15 10 2017… それは人を悟りに導く一度きりの覚知であるが、彼は二度と無知に戻るこ
とはない。聖なる真髄と「心」の起源に目覚めた彼は、終日、そして毎日真
実の自己を確認している。それは自ずから努力することもなく、訪れるので
ある。16.25.2.141, 巻16 10 2017この高位の修行の門には、あなたの入場を妨害する障害がある。それらはあ
なたにとって異質のものではなく、あなたの心の中にある。従ってあなたの
主要な仕事はそれらを克服することである。3.2.3.11417 10 2017カルマは自動的に働いているが、カルマの背後にある「力」は、全てのこと
を知り、全てのことを支配し、カルマそのものすら支配している、そして 許
しがいつ望ましいかを知り、理解している。12.18.5.76, 巻18 10 2017一度、この境地を会得したら、真実についての知識と、感情の平静さが消え
ることはない。それらは束の間のことではなく、彼にとって永遠のものなの
である。16.25.2.16519 10 2017全ての 思考の背後にいつもあるものは「意識」である。意識なしでは、全
ては現れず、存在することも出来ないが、「意識」は自給自足で存在する。13.21.5.18920 10 2017ほとんどの人が哲学には表面的な興味しかなく、その深い理論を学ぼうとは
しないからと言って、それは必ずしも彼らが霊的成長をしないということで
はない。それどころか彼ら特有の成長段階としては良くやっているとも言え
るかも知れないのである。彼らが進化した真理を理解することが出来る前
に、何回も転生を繰り返す必要があるというだけのことである。2.1.2.13621 10 2017「今」が哲学を実践し、自我を粉砕し、そして積極的に思考する正しい瞬間
である。2.1.1.13622 10 2017「短期修行」におけるこの自己訓練の結果は、全ての質問、問題、状況や実
践において、彼は初めにその事柄を「内なる神」に委ね、判断を仰ぎ、その
後、再び考え直した時、その事柄は聖なる光によって判断されるのである。15.23.1.14923 10 2017自我の内部で何が起きているかは短期間でもそれより高所に立ったとき、観
察ができ、判断ができる。啓示がそうさせてくれる。光景が開けるのであ
る。14.22.6.31324 10 2017それが修行者の真理への道を妨害し、それにより自身の寿命を永らえるので
あれば、自我は彼を巧妙に欺き間違った決断をさせたり、誤った解釈をさせ
たりする。6.8.4.30725 10 2017この実践の根拠は「内なる神」を思い出すことによって時間の経過とともに
自我を忘却することにある…15.23.6.152, 巻26 10 2017この驚嘆すべき経験を初めてした時のことを覚えている…私は何か分解し
て、その場所から消えてしまったように感じたが、意識はしっかりしてい
た。何かがそこにあった、私でないのは間違いないが、それを十分に意識で
きた。1つだけ大切なことは、それが何か極めて重要なものだということで
あった。数分で我に戻ると私は時間と空間の中にまた存在しているのがわか
った、しかし、とてつもない静けさに満たされ、慈愛溢れる感情がそこにあ
った。木々や、灌木、花々、草木を見ると 大いなる思いやりが感じられ、他
の人々に対しても大いなる慈愛の念で考えることが出来た。14.22.6.80, 巻27 10 2017… 教師が出来るのは迷路からの道を示してあげることで、旅は求道者自身で
しなければならない…2.1.3.102, 巻28 10 2017小さな部分ではなく、「無限」に心を置いている者、断片ではなく、全てを
吸収してしまう「全体」を取り扱う者は、その「無限」の力の一部を得る。16.28.2.10929 10 2017身体、欲望、好ましくない感情は、根気よく訓練しなければならない。統御
されず、野放しにしていると、それらは神の門の守衛が入門を許可する前に
殺さなければならない龍や獅子、または蛇として神話に象徴されている低い
性格を構成してしまうのである。このような浄化が、霊的意識へ個々の心を
開く、高度な訓練のために必要な前提であり、条件でもある…3.2.7.106, 巻30 10 2017… 全ての生命は、原始的アメーバより完全な霊的意識へと発展することが保
証されている。16.26.4.174, 巻31 10 2017
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