毎日
人は、ちょうど知性と身体がすでに明らかに把握していることについて、魂
が教えてくれることを把握する訓練をしなければならない。3.2.5.1531 10 2013自身があたかもこの修行を完成したことを思い描こう。力の頂点という玉座
に座し、自身の喜びと人類の幸福を願い静かに瞑想している自身をしっかり
と見つめよう。15.23.6.1252 10 2013「内なる神」が人の意識に住しているとき、「それは」人の思考と行動に住
するようになる。それらはすべて「その」管理におかれ、「それ」から始ま
る。そのような人は特定の美徳を求める 必要はなくなる。 何故ならすべて
必要なときには 発生するからである...15.23.5.155, 巻3 10 2013深い眠りにおちても脳震とうを起こしても、それらが終わると「私」という
意識が回復しないことはない。6.8.1.984 10 2013瞑想が深くなったとき、「無の状態」に入ることを恐れる必要はない。それ
はエゴが単に高位の自己に抵抗しているに過ぎない。それは修行を積んだ全
ての神秘家がこの瞑想の段階に到達したとき、そこから戻れないのではない
かと恐れるのと同様である。しかし、それも全く根拠のないもので、それは
最も称賛される修行で彼らが保護される神への信仰の試練である、神に近づ
き低次の自己よりさらに離れ、進んで行くという修行の...15.23.8.62, 巻5 10 2013ギリシャ神話の中でアテナの女神が「あなたが一人で何かを考えるとき、神
はその他のことをあなたの心に注入してくれる」と言っているが、これは私
たちが簡単に直感と呼んでいることを神話作者が表現した方法である。14.22.2.26 10 2013口汚い非難や断罪的会話を避けることは「短期修行」の姿勢であるーー否定
的な姿勢への断固たる拒否や肯定への選択として。15.23.1.1127 10 2013哲学の学習にとり、取り分け「短期修行」の実践にとって否定的考えや感情
を避け、それらが起きた瞬間に反論することが重要である。これは精神的に
必要なだけでなく、実際的にも必要である。このような感情を忌避すること
は精神を直感的、超越的な理解に到達させ、それを維持するのに役立つ。3.2.4.898 10 2013思考がいつも動き、エゴがエゴを大切にすることにより、それら二つとも本
来生かされた源泉であるはずの「内なる神」を私たちから隠してしまう。6.8.4.829 10 2013人はその罪が許され、救済される。これは単に敬虔な人が持つ希望的な考え
ではなく、避けることのできない運命である。 聖なる「宇宙意識」は、
この贖罪と救済が可能であり、いやが応でも確実でない限り、実現されるこ
とはない。16.26.4.21510 10 2013哲学は、身近な興味を究極の目的に従属させ、根本的な方法で人類に奉仕す
ることを望んで、思考を制御でき、そして価値ある市民となるよう哲学的な
知識を身に付けた男女のグループをつくることを目指している...13.20.1.397, 巻11 10 2013このような高い目標を目指していない人生、あるいは「内なる神」の意識に
全く興味のない心、これらの欠落は今世の人生でも来世の存在に対しても静
かに人を責めることになるであろう。6.9.3.6012 10 2013修行者がより高き境涯に入りかかるとき、その資格を試す状況が伴う人生に
必ず直面するものである。この試練を乗り越えるとこに成功したとき、次の
段階に進むことが出来る。3.2.3.9913 10 2013容易で自然にできるようになったとき、あなたは瞑想について習得したと考
えることが出来る。4.4.2.15614 10 2013この「短期修行」の道においては、修行者は渇望や希望、そして思考のすべ
てを「内なる神」に向けていくのである。「内なる神」とあなたの間にはグ
ルたりと雖も入ることは出来ない。15.23.1.8515 10 2013意識を、身体的報告や感情的ムードあるいは精神的な思考に混ざっていない、
その基まで遡ってみよ。このことはあなたが分析しながら深く潜航するとき
成功する。この過程が瞑想となるのだ。究極の過程では何も意識していない、
つまり意識している以外に何もない。このときあなたは対象物のような二次
的なものを知ることが出来ず、ただそれになりきっているのである。15.23.7.20816 10 2013内なる神」があなたとともに滞在する前に、感情は静けさという条件に入
らなければならず、思考は深く内部に潜航し、そこでとどまる。そうでなけ
れば外部的困難があなたの注意をそらせてしまう...15.24.2.164, 巻17 10 2013皆に当てはまる固定した規則はない。一人の人は「短期修行」が少しで「長
期修行」の多いのが合い、あるいはその他の人にとってはその反対となる。
大抵の人にとって併用することが最善である...3.2.1.209, 巻18 10 2013道徳的訓練は私たちがより良き人間となるため確固とした居場所があるが、
それだけでは「内なる神」のレベルまで登ることは出来ない。「長期修行」
にそれは属し、人間的価値ではあるが、魔法のように超越的なものではない。15.23.2.15019 10 2013身体と精神の緊張感を抜き、弛緩した状態になることは高位の力に対して自
由かつ開放的で受容可能な状態を保つことになるーーー取り分け直感的なも
のにたいしては。3.3.3.7820 10 2013私たちが、心が経験や環境、世間を創造するという哲学的理論をそのように
正しく理解したとき、環境が変わるのは私たちの考えが変わったときだけ可
能となる理論を理解する。思考は創造的である。私たちは私たちの思考の特
徴と質により、私たち自身と環境をいつも創造している。13.21.5.45, 巻21 10 2013彼は、そのときそのときのつまらぬ俗事に多忙のため、時間と空間を超える
人間としての道を閉ざしている神秘的障害を打ち砕く時間がなかったことを
頭をうなだれつつ認めなければならない。3.2.8.1322 10 2013「内なる神」の恩寵という贈り物をいつも受けることが出来るのは、短期的
修行の独自の賜物である。15.23.1.13423 10 2013初めの訓練として人は、テーマとして自分が選んだ主題、祈り、理想、ある
いは問題に関わりのない全ての考え、感情、想像、エネルギーを消滅するこ
とを要求される。それ以外の何物も意識に侵入させてはならない、あるいは
心の昔からの落ち着きのなさで侵入させたときは、ただちに除去しなければ
ならない。そのように除去するときは、息をはきながらする。選択したテー
マに戻るときは今度は息を吸いながらしなければならない。4.4.3.2124 10 2013痛みと苦悩はこの物理的、そして影の世界にのみ属している。喜びと至福の
み人の経験として存在する高位の世界がある。16.26.1.5025 10 2013人格とは影という仮の存在である、影は光の存在を前提としている、そして
本当の自己の光は存在しており、影に生きることを否定し、光に移ろうとし
ている...3.2.3.29, 巻26 10 2013人が高位の自己より内なる啓発を気づくのに十分進歩しているとき、その啓
発に従いその指針に身を任せ、霊的人生を歩ませてもらうようにすべきであ
る。3.2.9.3, 巻27 10 2013多くの業績は他の人に気づかれず、知られない間に私たち自身の心の中で静
かに成し遂げられている、そしてあるとき、止めることもできない勢いで成
就されてしまう、世間はどうしてなのかとそのとき訝しく思う。14.22.2.4328 10 2013私たちは聖なる存在を絶え間なく発見し、それに気づき、それを表現すると
き、人生の目的を成就したことになる。14.22.2.4529 10 2013人が霊的体験を持っていないが、それについての完璧な信仰を持ち、また悟
りを開いた人の役割を演じることが出来なくても、それでも演じてみるが良
い。それを実行することが演習となる。あたかも修行が成功していると考え
よう、完成した哲学者の真似をして思い描こう。15.23.6.12130 10 2013エゴを軽視する議論にも関わらず、最高の人格を養成し、それを使っていこ
うとする考えは間違いではなく、賞賛すべきことである。その性格は浄化さ
れ、その熱情は制御され、弱点は克服され、その無知は追放されるのである。
新しい美徳は生まれ、新たな力が備わる。かかる人格を人は自己のため、ま
た他の人のためにそれを有効に使用することができる、また使用すべきであ
る。6.8.1.15931 10 2013
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