毎日
私たちは自分の魂を包囲しなければならない。心の砦を不変の決意で攻めれ
ば、勝利は約束されている。しかし、門が開くその日まで、包囲網は維持さ
れなければならない。3.2.6.671 1 2022私たちが十分に忍耐強く、かつ粘り強く努力すれば、私たちの中には、人類
に驚くべき可能性を約束する「源泉」があることを発見するであろう。その
「源泉」は、一般的には魂とも呼ばれている。14.22.2.11, 巻2 1 2022人は、長い経験と厳しい考察を経て初めて、自分を惹きつける美や、自分が
求める忘我の境涯は、欠陥や無常のない内なる魂にのみ見出すことができる
という真実に目覚めるのである。5.6.2.213 1 2022覚知が何故人に与えられるかの他の理由は—魔法の鏡 に写るように—「内な
る神」が存在することを人に示すためである。14.22.6.3824 1 2022「隣人に対する愛」は素晴らしい美徳であるが、全ての美徳の最高のもので
ある聖なる魂に対する愛に取って代わることはない。2.1.5.48, 巻5 1 2022「内なる神」は、「唯一の無限の生命体」の一部である。それは一滴の露が
大海の一部であるのと同様である。14.22.3.3246 1 2022修行者が高位の存在について尊敬の感情を育て始めた場合 … 彼は大きな利
益を得るであろう。12.18.1.7, 巻7 1 2022人は自身の安全については、外的環境に適切な価値と役割を与えることはす
るだろうが、それのみに頼ることは出来ない。完全に安全な方法として、わ
ずかではあっても「内なる神」の存在により、安全であるとの確信を持つべ
きである。15.24.3.2738 1 2022直感的に進めば進むほど、自我の巧妙さが彼を迷わせようと活躍するだろ
う。6.8.3.1189 1 2022一般世間で仕事をしながら、「神の存在」の中で完全に生きることが自然に
できるようになったとき、その人は1つではあるが、異なるレベルで同時に
生き、存在することになる。15.23.6.24010 1 2022彼らは、意識の中に微妙に入ってくる直感的な感情に抵抗したり、拒否した
り、単に無視したりするたびに、自分の中のより高位な部分を裏切っている
のである。14.22.1.15111 1 2022「悟りを開いている」と意識する修行は、この本当の「真我」の考えを心に
浸透させることを目的としている。15.23.6.12712 1 2022…高位の哲学のより重要な教義は、知的に極めて微妙なものであり、最初に
触れたときにはわからないほど微妙である......しかし、繰り返し触れること
で、一種の間接的な瞑想のような働きをして、不明さを取り除き、理解でき
るようになり、少しずつ情的な意識に沈潜されていくのである…8.12.5.114, 巻13 1 2022「長期修行」における自己非難は捨てなければならない。彼の目は、もう一
つの、より高位の自己を見なければならない。15.23.1.6914 1 2022自分のエゴを仕事に持ち込まないようにし、自分が間に入ることなく神と人
を結びつけようとする人は真の伝道師である。2.1.6.34215 1 2022瞑想は、常に思い出しをしているような態度になるように発展させる必要が
ある。短時間の集中力を高める練習は、初期の段階に属し、単に精神的に制
御する訓練を目的としている。15.23.6.24916 1 2022「宇宙意識」は、存在するすべてのものだけでなく、まだ存在していないす
べてのものを含んでいる。16.26.1.9117 1 2022聖女テレサは、「内なる言葉」をこう定義した。「言葉は明確に形成されて
いて、肉体の耳には聞こえないが、間違えることはない」と。14.22.2.15118 1 2022動物としての身体を生かすだけで精神的に無気力に生きるのは、一生の経験
が無駄になってしまうように思える。しかし、もちろん実際にはそうではな
い。外見上は認識できないようなわずかな内的成長であっても、それは必ず
存在するはずである。そうでなければ、自然の輪廻転生のプロセスは意味の
ない、無駄な機械的反復になってしまう。6.9.2.14219 1 2022ほとんどの場合は自然に、そして予期せずに覚知は訪れるものであるが、瞑想
という手法によって体系的に体験を深めることも可能である。14.22.5.2420 1 2022個人的なことや家庭のことに夢中になっていると、自分の心の奥底からの繊細
な呼びかけに身を任せることができず、あたかもそれがないかのように生きて
しまう。15.24.3.21821 1 2022それは、「宇宙精神」の存在であり、物事は「宇宙精神」に基づき起こって
いるのである。16.27.3.33, 巻22 1 2022もし、問題に対処するための適切な方法が見つからない場合、また正しい判
断を下すことや困難な状況に対処することが自分には無理だと思われる場
合、あるいは通常の行動指針がすべて不十分または役に立たないと思われる
場合は、その問題を「高位の力」に委ねる時である。12.18.4.1423 1 2022仮に宇宙が明らかに単なる偶然に基づいているとき、またそれが完全に無秩
序な状態にある場合、あるいは月、太陽、地球がそれぞれの意志でさまよっ
ている場合、そして組織化された痕跡がどこにも現れていない場合、私たち
は その背後に「宇宙精神」がなかったと正当に主張するかも知れない。 し
かし、私たちの周りにはこれらと正反対の現象が見られる…故に、私たちは
間違いなく「宇宙精神」が存在しているはずだと断言することが出来る。16.26.1.28, 巻24 1 2022覚知の瞬間を出来るだけ鮮明に思い出しなさい…
15.23.6.202, 巻25 1 2022哲学の入り口に入ろうとすれば、ほとんどの場合、他の人や、哲学者たちが
考えたり教えたりしたことから始めるでしょう。しかしながら、修行者自身
で再開しなければなりません。修行者は自分自身の精神、人格を再検討しな
ければなりませんが、それは自分から離れた位置から冷静にしなければなり
ません。修行者は、本や教師から集めた真実を、その日の出来事、義務、機
会、思考にどのように適用するかを、毎日毎時間決定しなければならないの
である。2.1.5.3826 1 2022覚知とは知ることを試みる事と、実際に知る事との相違である。
14.22.6.36127 1 2022修行者は、世界を作っている最中でも「宇宙精神」が自己の本質を失ったり
変えたりしないのと同じように、世間的な活動の最中でも、自分自身の真の
神秘的な存在についての考えを敬虔に、そして不変的に保持しなければなら
ないことを常に念頭に置くべきである。15.24.3.314, 巻28 1 2022エゴは自身を守る方法を十分に知っており、求道者がエゴを支配する力を逸
脱してしまう方法を知っている。6.8.3.5429 1 2022自然の中にも、人間の中にも、「高次の力」の存在を示す十分な証拠があ
る。それが見つからないと言う人は、先入観という色眼鏡で見ているか、あ
るいはあまりにも限られた範囲でしか見ていないのである。正しく見て、視
野を広げれば、十分な証拠がある。16.26.1.1430 1 2022神を探す修行は終焉を迎えたが、自身との関係性の探求はこれから始まる。
今後、彼の人生、経験、意識は謎に包まれる。15.23.4.5431 1 2022
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