毎日
自我の背後にある「内なる神」に私たちを近づけるには何か、または誰かが
必要である。2.1.6.251 1 2019修行を始めるために必要な道徳的浄化やそれに伴うメンタルな訓練を実行す
る時、彼はそれらを始める何らかの動機がなければならない。どこでそれを
見つけるか。答えは人によって異なる、何故ならそれはその人の進化、性格
や運命によって異なるからである。ある人にとっては世間の倦怠感によって
作り出された悲しさであり、ある人に取っては一瞬の覚知によって作り出さ
れた喜びである。またある人にとっては真理への渇望または自己変革への希
求であり、またある人にとっては前世の人生から持ち越された傾向性に盲目
的に従っている場合もある。2.1.2.2212 1 2019… 私は魂があるのを知っている、何故なら私は本当の生きた存在として毎日
それと連絡を取り合っているからである。8.12.3.36, 巻3 1 2019… 何故なら短い覚知の時に、経験した感情で知ったように、彼は証明、研究
や反省に拠って、「内なる神」がいつも背後にあり、彼の自我の起源である
ことを知っている。この強い確信を思考や行為、態度に反映させることが「短
期修行」の主要な修行である「天の道」[あたかも]修行である…15.23.6.109, 巻4 1 2019どうして私は宗教的信仰心、崇敬感情を養わなければいけないのだろうか。
何故なら自己の感情を一般的に高めてくれるからである。何故ならそれは謙
虚さを高めるからであり、また「恩寵」を招きよせるからである。何故なら
それは、「起源」に関連した人間の努めだからである。12.18.1.45 1 2019気高い法則についての知識や高位の自己についての意識は、特別な義務を齎
す。それらを応用することは、それらに準拠して生きるという新しい責任を
齎す。2.1.2.5006 1 2019ある方法で行動するように強制されるのは部分的には環境からの圧力による
が、私たちの過去からの提案というのも部分的にはある。時にはそのひとつ
がより強力で、時には他のひとつが強力である。しかしながら、問題の全て
の根源は私たちの精神にある。それを適切に成長することにより、二つの強
制から大きく自由になることが出来る。6.9.3.1407 1 2019この段階では、彼の仕事は、忍耐強く待つことであり、待つ間に内的に出来
るだけ深く見詰めることである。無理やり「内なる神」を探ろうとすること
は、敗北を意味する、自我の意志による努力は自我を力づけるに過ぎないか
らである。しかしながら、例えば乞食のように手を差し延べ、十分なる時間
黙して坐して待つことによって、ある日、「内なる神」が彼を捉え、突然彼
の心に入り込む日が訪れるかも知れない。その結果、求めて止まなかった記
念すべき「悟り」は彼のものとなる。彼は師弟の絆を発願し、そしてそれが
受け入れられた象徴である。15.23.7.2448 1 2019自由とはそれ自体は良い事でも悪い事でもない、賢く使うか、軽率に使うか、
それを使う方法で、その価値が決定される。6.9.4.689 1 2019動物の殺すことが人間の食べ物にとって真に不必要である限り、それは道徳
的に罪であり、預言者、聖者、救済者や教師たちが、全ての国家に対して批
判し、警告した古代からの罪である … 人々が神に対して慈悲を願う自分た
ちの願いが叶えられないと言うのなら、自分たちがいかに無慈悲なのかを思
い出すべきである。1.5.0.22, 巻10 1 2019聖者が繰り返し地球上の生活に戻る決断をするとき、考慮できる最大の犠牲
をさいているが、それは単に全ての生き物の幸福のためである。16.25.4.811 1 2019「内なる神」は全ての美徳の源泉であるので、それと合一する人は本当の意
味で自然に美徳のある人となる、彼の性格における全ての悪い点は無くなっ
てしまう。15.23.1.15912 1 2019熟慮して実行しない事はカルマの因果から逃れることにはならない。それは
行動しないという隠れた決断を含んでおり、従って行動の一種となってしま
うのである!6.9.3.18113 1 2019… 誰でも「内なる神」に自身を捧げ、その祝福によって幸福になり、悟りを
得た存在になるとき、彼の中には人の幸福のために働く不思議な人物が存在
しているのを見出すであろう。6.9.3.583, 巻14 1 2019… 結局のところ私たちは、私たちの最高の尊敬を有限の時間の中に示すので
はなく、無限存在その物に示すべきであり、また人的には歴史上の人物とし
てではなく、人間を超える無限の存在にそれを保留すべきである。16.28.1.116, 巻15 1 2019長期修行では、私たちは真理、現実、そして「内なる神」を探求する。つま
り、自我の力と機能を使うのである。短期修行では、私たちは静粛になり、
真理や現実、「内なる神」の恩寵に私たちを任せてしまう。自我はそうする
と見える世界にはいなくなる。15.23.5.7816 1 2019私のそれは名前を付けられない宗教であり、議論出来ない神であり、見る事
も、聞く事も出来ない崇拝の対象である。私が尊崇するものは極秘と静謐の
中に存在している。8.12.3.6417 1 2019何処に行くにも持参すると良い—第一に「想念」として思い出すこと、その
次は存在として現実化することである。15.23.6.21818 1 2019真に霊的に成長している人は、他の人よりも自由なる意志の力を多く持って
いる--人生の型を造り、カルマを逆転させ、良いカルマを創り、脅威的、ま
たは現存する悪いカルマを一掃してしまう力を持っている。6.9.4.8119 1 2019金銭を稼ぐこと、生計を立てること、そして仕事の上での、または事業の成
功は人生において確固とした意義があり、達成されるべきものであるが—霊
的願望の成就と比較した場合—二次的な意義となってしまう。2.1.1.15920 1 2019恩寵はいろいろな方法で絶えず提供されているが、私たちはそれを発見する
ことが出来ない、私たちは盲目であり、そのためそれを見過ごしてしまう。
どうしたらこの条件を逆転させ、悟りを開くことが出来るか。適正な条件を
準備することである。毎日、少しの時間を作ることである--始めるため、少
しの時間--普通に生活している時間から退却の時間を作ることである。この
時間を沈思し、瞑想に向けるのである。数分の間、世間から去るのである。12.18.5.18721 1 2019通常の状態では人は、彼自身の事を個人的思考者と肉体的存在として意識し
ている。神秘的トランスに入った状態では、彼は自身の意識を無くし、神聖
さのみ意識している。哲学的状態では、通常の意識に戻るが、神聖について
の意識は離れる事はない。13.20.4.13522 1 2019彼が低い性格から齎される動機を認識し、それを拒否することを訓練すれば
するほど、正確に理解する力は彼の物となる。5.6.4.2823 1 2019もしあなたが、人の病を癒したいのであれば、その病気の内容について囚わ
れてはいけない、そうでないとその病を強めてしまう。そうでなく、その人
の「内なる神」について念を強めよ、それが彼を解放してくれるように。彼
が治るとすら祈ってはならない。むしろ、「内なる神」の力が恩寵を彼の内
部で働かせ、それが意図する結果を生むように祈るべきである。7.10.2.4624 1 2019… 本当に達成出来る自由は心の奥底にある。それは目に見えず、精神的なも
のであり、聖者が享受しているものである。聖者は事業の責任感に圧倒され
ていても、また家族に囲まれていても、彼の心は何物にも乱されることはな
い。16.25.3.270, 巻25 1 2019「汝を捨てよ」とは全ての偉大なる預言者がいつも唱えている訓示である。
何故このことを繰り返し唱えているかを理解するには、彼らが語っている自
我の性格を先ず理解しなければならない。全ての人には虚構の自我—エゴ—
と本当の自我--「内なる神」が存在するのである。6.8.4.36826 1 2019努力が無駄になり、理想が叶わない時、また不況が暗い雲のように襲ってき
た時、人生は意味を失い、自我はその無力感を味わい、依存する物からも見
放されていることを感じてしまう。12.18.3.9127 1 2019啓発された人からの一言または二言は他人の心に潜在的働きを起こし、最終
的にはその人が新しい真理あるいは新しい見解を持つことに導いてくれるこ
とがある。2.1.6.6328 1 2019宇宙の壮大さを考えると、人間の持つ誇りの無価値さと、その自己過信のば
かばかしさに気が付くことがある。16.26.4.1229 1 2019…高位の存在が彼の心に触れた栄光の瞬間を思い出してみよう。これらの瞬
間は、高貴あるものの全てが彼を包んでいた。敵は許され、悲しみは去り、
人の営みは慈悲と寛容さによって観察されていた…5.6.5.316, 巻30 1 2019好ましくない特徴に対して特別な努力をすることもなく、それらは否定する
ことによって消えてしまう。これは「短期修行」をしている場合の結果のひ
とつである。15.23.1.15531 1 2019
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