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目標への途中までの支援とはなるかも知れないが、第三者的な観察者という形は仮のものに過ぎない。何故なら、理解、見通しと実践面において完成した場合、ある事が発生するからである、観察者と、身体と世間を持つ観察された自我が、分かれる事のない「精神」に統合されてしまうからである。
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