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…「長期修行」では多くの修行者は神秘的、オカルト的、霊的体験を望んでいる。エゴがそれ
らを欲求し、進歩への満足感を望んでいる。「短期修行」ではいかなる種類の内的体験を望む
ことはない。人が既に「真理」に住んでいるとき、そこには何の望みももう存在しないからだ…
Source: The Notebooks of Paul Brunton


皆に当てはまる固定した規則はない。一人の人は「短期修行」が少しで「長
期修行」の多いのが合い、あるいはその他の人にとってはその反対となる。
大抵の人にとって併用することが最善である...
Source: The Notebooks of Paul Brunton


... 「内なる神」に対しては子供が親に対するような疑いのない信仰を持つこと、そして幼き子
が両親に対して完全に依存しているようになることが極めて重要である...
Source: The Notebooks of Paul Brunton


... 昼間の活動的な間では瞑想は想起する形を取る、いつも「内なる神」を思い起こすの
である、「あるがままのもの」(それで十分である)...
Source: The Notebooks of Paul Brunton


... 「長期的修行」では修行者は自己を陶冶していく。彼は成功と失敗、上昇と下降を経験する。
失望したときは、憂鬱になる。「短期修行」ではそのようなことはあり得ない、何故なら幼児の
ような信仰を持っているからである。彼は自己の未来の全てを「内なる神」である神に託してお
り、それを信ずる深い信仰がある。彼はいつも正しい決定をしていることを知っており、従って
いつも幸せである。彼はこの「恩寵」に依存しており、「それ」を知っており、「それ」が世界
の背後にある至高の存在から来ることも知っている。何が来ても、それは最高のものなのである
...
Source: The Notebooks of Paul Brunton


... 普通、私たちは思考が霊的とは言え、思考の中に住み、小さな自己の中に
住んでいる。従って私たちは全ての思考から離れなければならない。貴方が
「内なる神」について考えたいとしても、それは形がなく、それは無理なこ
とになる。考えることを試みても、所詮何らかの概念や形、姿では正しくな
い。貴方がそれを想像することは出来ないのだ。そうするのを停止して、黙
すしかない...
Source: The Notebooks of Paul Brunton


長期修行—これは自我を通じての修行である。修行者は自身のことを自我と
思い、集中力を高め、自己の成長に努め、純粋になろうと努力していく。彼
は「私がこの修行をしている…」と言う
Source: The Notebooks of Paul Brunton


… 短期修行 — これは異なる、何故なら「自我」という考えはそこにはな
く、「内なる神」のみで、何かになろうとする (それは長期修行に属す) ので
はなく、自己認識することを目指す…
Source: The Notebooks of Paul Brunton





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